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線上のキンクロハジロ 第二十一話

 三月もそろそろ終わりに近付いた火曜日、登美彦は小鳥パンが開店するのを店の外で待っていた。オーナーの大河内がいつか口にしていたように、開店時間は朝八時から十時に変わっていたが、開店前から行列するのは変わっていない。

 小鳥パンのこじんまりした出入り口に続く漆喰の壁には「キンクロ旅団、団員募集中。公共電波に乗ってハバタくためにご支援よろしくお願いいたします」と書かれたポスターが貼られている。

 キンクロブラザーズの長男キンが三匹を代表して語りかけており、ハバタキの所在地とホームページのURL、QRコード、クラウドファンディングの案内などが載っている。

 妃沙子が絵を描き、響谷が自腹で作ったポスターだが、開店前の暇潰しにはちょうど良いようで、列に並んでいる何人かが興味深げに眺めていた。

 林田はハバタキに所属する十二名のアニメーター全員に、アニメ制作費用の出資を促すポスターとメッセージカードの束、キンクロブラザーズの絵が両面に印刷された名刺を五百枚ずつ支給した。名刺の表面はキンが池にぷかぷか浮かんでいる絵で、裏面は池から飛び立ち、空を飛んでいる絵だ。

 囚われのクロとハジローは会社名と氏名の間に挟まって身動きできずにいる。お得意の無表情で文字と文字の間からじいっとこちらを見てくるクロは鉄格子の間から外を覗き見て、ひと言「……狭い」と愚痴をこぼしている。拘束されているのに、それでもなんとなく楽しそうなハジローは無邪気に餌をねだっているようだ。

 ハバタキ以外の仕事も掛け持ちしているアニメーターは名刺やメッセージカードを配るのは強制ではないが、林田から「家族や親戚にそれとなく宣伝しておいてね」と言われているらしい。

 制作進行を長く務めた林田は、アニメ関係者を中心に着実な宣伝をしているようだ。行きつけのリバーサイド・カフェのみならず、清澄白河駅界隈のカフェには軒並みポスターを貼らせてもらっている。寝袋に包まってさえいなければフットワークの軽い響谷は、錦糸町の飲み屋とガールズバーでキンクロ名刺を百枚ぐらいばら撒いてきたそうだ。

 二人に比べて格段に行動範囲の狭い登美彦は名刺を渡すような相手もおらず、小鳥パンオーナーの大河内に頼み込み、ポスターを貼ってもらうだけで精いっぱいだった。

 開店時間の十時になった。列の五番目に並んでいた登美彦は、先頭の客と二番目の客が外に出てくるのと入れ違いに店に入った。

 中段の陳列棚には新作の『キンクロパン』があり、値札には一個百五十円と書かれている。大河内がキンクロブラザーズの絵から着想を得て開発したもので、フカフカした生地の白いパンにキンクロハジロの黒いシルエットが描かれている。中身はカスタードクリームで、柔らかい今川焼のような味わいだ。

 登美彦は目ぼしいパンを手早くトレーの上に乗せると、レジに持っていく。今日も接客はオーナーの大河内自身が担当していた。

「千円だけだけど、出資しておいたよ。今いくらぐらい集まってるの?」

「ありがとうございます。今のところ二十万円ぐらい集まっています。達成率一%なので、目標にはほど遠いですけど」

 登美彦が頭を下げると、大河内が小さく笑った。

「キンクロパンもよく売れているよ。キンクロってなんだ? ってよく聞かれるし、名刺を持っていく人もけっこういる。そろそろ名刺がなくなりそうだから補充しておいてよ」

 レジ横に登美彦の名刺を五十枚ほど置かせてもらっていたが、残りはもう数枚ほどになっていた。遊び心のあるデザインなので、ひとまず貰っていくという人が多いらしい。

「すぐに持ってきます。ありがとうございました」

 大河内からビニール袋を受け取り、登美彦は店を後にした。

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