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少年コピーキャット 第九話

 期末テスト後、図書館内にある閲覧室で個人面談が行われた。
 面談が行われる際は、クラス担任と生徒以外の図書館への立ち入りが禁じられることもあり、小峰先生とぼく以外の姿はなかった。
「なあ、藤岡。どうにかして荻原の脳ミソをバージョンアップさせてくれや」
 冷房が利きすぎてむしろ寒いぐらいの温度であるのに、小峰先生はいかにも暑そうだ。ぱたぱたと手を扇いで首筋に風を送っている。
「それは無理です」
 ぼくの一学期の成績表が卓上に置かれているが、個人面談開始の第一声はぼくの成績云々ではなく、荻原倫也についてである点が釈然としない。
「クソ暑い教室で、赤点おぎわら一人のために休日返上で補講授業だぞ。暑くて溶けるわ」
 ああ、なるほど。そういうことか。合点がいった。
「しょうがないですよ。倫也はオールスターの常連ですから」
「なんだ、オールスターって」
「補講授業に選出されることを野球部では『オールスター出場』というらしいです」
「アホか! 誇るな、そんなもん」
「オールスターに出ないで夏休みに突入すると、夏休み気分に浸れないらしいんですね。補講はスター選手の義務なんだそうです」
 期末テストが終わると、「期末特別授業」という名のテスト返却と解説授業がある。その後、クラス担任との個人面談を経て終業式に至る。よほどの成績不良でなければ、たんなる夏休みカウントダウンイベントに過ぎないが、倫也のような学問の神様に逆の意味で愛された男は、特別授業期間からが本番であるらしい。
 補講および追試という名の少人数精鋭クラスに毎学期欠かさず選出される倫也は、自らを「真のオールスター選手」と称している。
 なぜそんな不名誉なことを勲章のごとく自慢できるのかはいたって不明だ。生憎、今年のオールスター戦は補講担当の教師以外は無観客試合で、真夏の祭典にしては寂しい限りであったという。
 倫也一匹のために補講授業をし、追試の面倒まで見させられた小峰先生は明らかにご機嫌斜めだった。補講授業を行う監獄のごとき小教室はエアコンもまともに利かず、窓を開けても生温い空気が入ってくるだけで余計に暑く、イライラは最高潮に達したという。
 中等部三年の夏は例年になく酷暑だった。補講および追試期間は昨日終了したはずなのに、翌日まで怒りを引きずるほどの暑さであったようだ。
「倫也はともかく僕の成績はどうでしょうか」
 まだ成績表を見せてもらっていない。まあ見なくたって、中間テストと期末テストの平均点から評定は算出できるけど。緋ノ宮学園は相対評価ではなく絶対評価だし。
「……ん、問題なし」
 小峰先生から手渡された成績表には、予想通りに『3+』の数字が並んでいた。緋ノ宮学園の成績評価はけっこうに特殊で、従来の五段階評価ではなく七段階評価だ。
 中間、期末テストを平均して90点台だと『5』、80点台だと『4』、70点台だと『3+』、60点台だと『3』、50点台だと『3-』、40点台だと『2』、40点未満だと『1』という成績となる。
 生徒間では略語っぽく『3+』は3プラ、『3-』は3マイ、と呼ばれる。
 高校進学は全科目の平均評定が『3-』に達していればよいという低ハードルだから、成績表に『1』や『2』ばかりが大量に並んでいなければ基本的に問題は無い。
 オール『5』の成績表は、学校期待の優等生グループ。
 オール『3+』の成績は、問題のない生徒扱いされるグループ。
 オール『3-』以下の成績は、問題児グループ。
 評定成績でざっくり分類すると、だいたいそんな感じだ。
「あ、ちょい待て藤岡。問題がひとつあった」
 成績表を鞄に仕舞うため机横に屈み込んでいると、小峰先生の声がした。
「成果報告がまだなされていないぞ、藤岡」
「……は?」
 腕組みをしてぼくを見下ろす小峰先生の目は、やけに真剣だった。
「沙梨ちゃんの連絡先はゲットできたのかね」
 ああ、例の特命ミッションのことですね。高槻沙梨の連絡先を手に入れて来いという。
「ええ、まあいちおう」
 自分から聞いたわけではないけど、なぜだか電話番号を教えてもらった。もちろんこちらから連絡することなんかないし、連絡が来るはずもなかった。同級生同士でも滅多に電話などしないのだ。一回会っただけの女性作家に電話などできるはずもない。
「素晴らしい! よくやった!」
 小峰先生は歓喜のあまりであろうか、身を乗り出してぼくの頭を力強く撫でた。
 そんなに手放しで褒められたのは初めてだった。
「沙梨ちゃんとは頻繁にやり取りしているのか」
「いえ、まったく」
 小峰先生の笑顔がぴたりと止まり、空気が一瞬にして凍った。
 そのとき、唐突に理解した。
 ぼくは「問題のない生徒」から一気に「問題児グループ」に格下げされたのだと。
Whyホワイ? 藤岡、Whyホワイ?」
 いや、なんでそこだけ英語なんですか。
 しかも片言。
「電話、苦手です」
 というより、喋ること全般が苦手だ。
 ぼくには倫也のようなラテンの血は流れていない。
「藤岡」
「……はい」
「携帯没収」
「……はい?」
「早く!」
 無表情な小峰先生は怜悧なナイフを思わせた。
 逆らうとヤバい。ぜったいにヤバい。
 二学期以降の国語の評定で『1』とか平気で付けそうな予感がした。
 それで、クラス担任のコメント欄にこう書かれるんだ。
 もっと周囲の空気を読みましょう、と。
 そんな成績表を両親に見られでもしたら大問題だ。それだけは阻止せねば。
 しぶしぶ鞄の中から携帯電話を取り出した。
 小峰先生は手慣れた様子で携帯を操作すると、どこかに電話をかけ始めた。
「喋れ」
「……はい?」
「早く!」
 携帯電話を突っ返され、耳元に呼び出し音が響く。
「はい、高槻です。ええと、春斗くんかな」
「は?」
 状況がまるで呑み込めなかった。というより、頭が状況を呑み込むのを断固拒否した。
 咄嗟に耳から電話を離して、通話停止ボタンを押そうかと考えた。小峰先生は生放送の収録で進行のフリップを出すADさながらに、「文藝功労賞受賞おめでとうございます、と言え!」と白紙にでかでかと書きつけた。
「あ、あの。文藝功労賞受賞おめでとうございます……って言えって」
「どうもありがとう。言えって、誰に?」
 電話口から小さな笑い声が漏れた。
「ええと。担任の先生に……です」
「そうなんだ。わざわざありがとう」
 白紙に次なる指令が書き込まれていた。
 そんなこと言えるか、と思ったけど。
 逆らうと、どうせもう一回リピートになるんだ。
 だとしたら言うしかない。
「あ、あの。ちょっと相談に乗っていただきたいのですが」
 ほんとうに、その先も言わねばならないのか。
 小峰先生がペン先でこつこつと叩く。
「うん、どんな相談?」
 高槻先生の優しさが却って胸に突き刺さる。
 なんでこういう時に限って電話というのは切ってもらえないのだろうか。
 中学生の電話に付き合うほど、作家って暇なのだろうか。
「小説家になるのはどうしたらいいのか、聞けって」
 電話口からさっきよりも大きな笑い声が聞こえた。
「聞けって、それも先生に言えって言われたのかな」
「ええ、まあ」
 白紙には殴り書きのような乱れた字で「ちょっと相談に乗っていただきたいのですが、小説家になるのはどうしたらいいのか聞け」と書かれていた。
 それをそのまま読んだだけだ。
「お茶目な先生だね」
 次なる指令の筆圧がやたらに濃かった。強調しろ、ということだろうか。
「はい、高槻先生の大ファンなんです」
「そうなんだ、それは嬉しいです」
 白紙が尽きたのか、最終指令は先の文言に二重斜線を引っ張ったうえで、新たな言葉が付け足されていた。
「ええと、それで高槻先生みたいな小説家になるにはどうしたらいいのか、相談に乗っていただきたかったのですが」
 小峰先生の書いた文章をつっかえつっかえ読み終えた。
「じゃあ今度お茶でもしましょうか。相談はそのときにでも」
「いいんですか?」
「ええ、もちろん」
 通話口から手帳か何かをめくる音がした。
「日程は追って連絡します。じゃあ、また近いうちに」
「はい、あの。ありがとうございました」
 思わず携帯電話を握りながらお辞儀をしてしまった。
「よくやった藤岡。二学期は『5』を進呈しよう」
 小峰先生は満足げに頷いている。やっぱり無茶苦茶だ、この人は。

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