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線上のキンクロハジロ 第二十八話
高槻沙梨のトークショーは成功裏に終わり、文藝心中社のオフィシャルページに公演の模様を振り返るニュース記事が公開された。記事終わりには、アニメキャラクター化された高槻のカラーイラストが添えられており、出資募集ページにリンクも張られていた。
会場のキャパシティもあってトークショーの参加人数を絞ったことが偶然にも良い方に転がったのか、ハバタキのオフィシャルページへの流入が激増し、出資者も増えた。
五月終わりには千万円が集まり、響谷を中心とした資金調達の経緯が零細アニメーション会社の起死回生の奇策のごとくの美談として取り上げられ、インターネットの海に網の目のように広がる各種ネットニュースに拡散された。
出資者人数が目に見えて増加し、達成率メーターが日に日に一〇〇%に近付いていくにつれ、数多のネットニュースやブログ、SNSなどが後追いし、目標金額達成濃厚と報じた。それによって更にアクセスが増え、勝ち馬に乗るがごとく少額出資者が雨後の筍のようににょきにょきと現れる、という好循環が生まれた。
全国の学生が夏休み気分に浸っているであろう七月の終わり、目標の二千万円を射程に捉えたハバタキの社内も熱気に包まれていた。気の早い響谷は六月頃から達成率メーターの数字を表示する自作のボードを用意しており、八〇%、八三%、八七%……と、数字に変動があるたびにカウントアップしていく。天井にくす玉まで用意している万全ぶりだ。
目標達成を見越して十月スタートの深夜放送枠はすでに押さえてあり、出資特典である書籍版の原画集の制作は文藝心中社が担当してくれることとなった。
「お、お、お、お、お、おお、おおお! きた、きた、きた、きたああーーー!」
艦長ルックがもはや正装となった感のある響谷がパソコン画面を前にしてガッツポーズしている。妃沙子と登美彦が先走ってくす玉を割ろうとするぐらい、尋常でない喜びようであった。響谷が「待て。早まるな」と二人を制止すると、妃沙子が焦れたように言った。
「達成ですか? 達成じゃないんですか?」
響谷が半身を振り返って手招きし、二連のパソコンモニターを指差した。
「まさに春だね。春が来たよ」と響谷が感慨深げにうなずく。
「はい?」
響谷の肩越しに妃沙子と登美彦がパソコン画面を覗き見る。
「ほんとうだ。夏なのに春が来ましたね」と登美彦が冷静に言う。
「うん、これはもうお祝いだね。お祝いするっきゃないね」と響谷が相槌を打つ。
「割りましょう。これはもうくす玉割っちゃいましょう!」と妃沙子がはしゃいだ。
「待って、妃沙ちゃん! まだ一〇〇%じゃないから」
響谷はくす玉の紐に手をかけた妃沙子を慌てて制止するが、妃沙子はお構いなしに思い切り紐を引っ張った。巨大な金色のくす玉がぱかりと二つに割れ、五色の紙テープ、紙吹雪とともに『祝! 目標達成』と書かれた垂れ幕が躍る。
「いえーーーーー、ハルちゃん、おめでとおーーーー!」
「だから妃沙ちゃん、早いって。フライングだよ、ほんとうにもう」
響谷はキャスター付きの椅子をくす玉の下にゴロゴロと転がしていくと、天井からくす玉を取り外し、律儀にも紙吹雪を集め、紙テープと垂れ幕をまた巻き直している。くす玉を自分で引っ張りたかったのか、意地でもやり直すつもりらしい。
「だってハルちゃんが新人賞獲ったんですよ。二千万達成より凄いじゃないですか!」
「だから僕は同時に祝いたかったの! 監督ならもっと空気読みなよ、もう」
「お得意の波動砲で、もう一回お祝いすりゃあいいじゃないですか」
「いちいちチャージするのが大変なんだよ、これ」
妃沙子と響谷がぎゃあぎゃあと騒いでいるなか、登美彦はパソコンモニターの文字列を丹念に読んでいた。そこには大学生の藤岡春斗が文藝心中社主催の文藝海短編新人賞を受賞した、という旨が書かれていた。
春斗は大学生活を謳歌しているのか、はたまた文藝心中社の編集部から「あんまり悪いお友達と付き合っちゃいけません」とでも釘を刺されているのか、このところスタジオに顔を出してはいなかったが、まさかこういった形で再開するとは思ってもいなかった。妃沙子がフライングしてでも祝いたい気分がよく分かる。
選考に際して、五人の選考委員の評はくす玉のように真っ二つに割れたようだが、受賞の決め手となったのは、昨年は「模倣の域を出ない」とばっさり切り捨てた長老格の玄先生が今年は一転して手放しで称賛したためだという。
ネットニュースには玄先生の選評も抜粋で掲載されており、以下のように書かれていた。
昨年も最終選考に残ったが、とある現役作家の模倣作のようで受賞には至らなかった。その点、今年はその作家から影響を強く受けていることは随所に感じさせつつも、模倣の域を超え、硬い殻を軽々と破り、遥か上空に飛翔した感がある。新たな書き手の登場を素直に祝したいと思う。似ていない物真似はもはや物真似に非ず。誰がなんと言おうとオリジナルである。藤岡春斗、受賞おめでとう。
スタジオの出入り口の方からコーヒーカップを持った林田が現れ、「藤岡君、獲ったね。ブラジルプヂンご馳走しなきゃ」と言った。孫の快挙を喜ぶ祖父のような顔をしている。
「沙梨ちゃんも呼んでお祝いしましょう! ハルちゃんのお祝い!」
妃沙子は箒とちりとりで紙吹雪を集めると、二つに割れたくす玉の中へぶち込んだ。
「そうだね。そうしようか。ところで達成率の方はどうなってる?」
「あ、はい。少々お待ちを」
林田に達成率を問われた登美彦はワイヤレスのマウスを操作し、ハバタキのオフィシャルページへとアクセスする。ついさっきまで九八%だったはずの数字は、一〇〇%を軽々と飛び越えて、一〇三%まで達していた。
「すでに達成していますね」
登美彦がどことなく白けたような声で言うと、林田も苦笑した。
「こっちもあっさり越えちゃったね。もっとこう、ぐっと来るものかと思っていたけど、いざそうなると、なにか現実味がないものだね」
響谷は無念とばかりに片膝をつき、妃沙子は両手を叩いて大笑いしている。
「うわっ、世紀の瞬間を見逃した」と響谷が悔しがる。
「ははは。もしかして私、タイミングばっちりだったんじゃないっすか」
「監督ばっかずるい! 手柄の独り占めだ。仕掛け人は全部ぼくなんだからね!」
響谷は天井に金色のくす玉をいそいそと吊るすと、真下にあった椅子を蹴って退かし、両手で思いきり紐を引っ張った。巨大な金色のくす玉が二つに割れ、五色の紙テープ、紙吹雪が舞い、垂れ幕がゆらゆらと躍る。
「いえーーーーーーい、アニメ化決定! それでは皆さま、ご一緒に。万歳!」
響谷がひとりで万歳三唱の音頭をとっているが、大騒ぎに付き合ってすでにお腹いっぱいのスタジオ内には渇いた拍手が鳴るばかりだった。
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