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線上のキンクロハジロ 第二十三話

 翌日、スタジオに姿を現した響谷の人差し指には、柔らかいモール糸で編んだハジローが乗っかっていた。かぎ針一本で作った編みぐるみの指人形だそうで、響谷が人差し指を曲げると、ハジローがぺこりとお辞儀をした。

 響谷を中心にアニメーターたちの輪ができている。スタジオ中でわいわいと騒いでいたのがうるさくて気になったのか、ひたすら原画を描き、絵コンテを描き進めていた妃沙子がふらりと近寄ってきた。

「なにそれ、反則級に可愛いんですけど……」

「妃沙ちゃん、どーもー。最近コワいよー。ちゃんと寝てるー?」

 人差し指に乗せたハジローの動きに合わせて、響谷が野太い声でアフレコする。

 ハジロー人形があまりにも可愛すぎたからか、妃沙子は馴れ馴れしい態度の響谷に怒ることすら忘れている。

「こんなのも作ってみた! こっちも写真映えするんだよ」

 響谷は四十センチ程度の等身大ハジローの編みぐるみまで自作してきたようだ。

 自席の椅子に座らわせ、頭に艦長帽をかぶせて、スマートフォンで写真撮影をしている。響谷は昨晩にもハジロー人形の写真を撮りまくっていたらしく、オフィシャルページにはすでに何十枚もの写真がアップされていた。

 響谷がハジロー人形の即席撮影会に夢中になっていると、社内電話の子機を持った林田が近付いてきた。メモ帳に目を落としながら響谷に向かって手招きをする。

「ご年配から出資に関する問い合わせが多いんだけど、『決済の仕方が分からない。新手の詐欺ではないのか』『会社の存在を確認してからお金を支払いたい。実体のないペーパーカンパニーではないのか』『担当者に会って直接お金を支払いたい。領収書は貰えるか』という質問が来ている」

 メモ帳に列記された質問を林田が読み上げると、響谷が目を丸くした。

「目標額に到達しなかった場合は出資金は全額返還されます。その件はQ&Aに詳しく書いてあります。新手の詐欺でもないし、ペーパーカンパニーでもないし、ついでに言うと、資金洗浄のためのダミー会社でもないです。詐欺疑惑の会社に『お宅は詐欺をしているんですか?』って素直に聞ける神経の方がよっぽど理解できないんだけど」

 血相を変えた響谷は怒鳴るような口調だったが、林田はまったく動じた様子がない。ポケットサイズのメモ帳を繰りながら、ごくごく冷静に振る舞っている。

「電話でもそうご説明したのだけど、『孫に調べてもらっているからインターネットは自分じゃ見られない』『ネット上で知らない会社に送金をするのは不安だ』って言われたよ。いちどはご年配向けに出資説明会を行った方がいいかもしれないね」

「いやですよ、そんな吊るし上げみたいなの。やるんだったら社長ひとりで勝手にやってくださいよ。ぼくはぜったいに説明会になんて参加しませんからね」

「あっ、そう。響谷君がそう言うなら仕方がないね。これだけ同じような質問があるんだし、いちどぐらいは出資説明会はやった方がいいと思うんだけどな」と林田が言う。

「説明会ぐらい、ちゃちゃっと出てくださいよ。どうせ大した質問なんて来やしませんよ」

 妃沙子が心底呆れたように言うが、響谷は断固として出資説明会になど出ない、と強情を張っており、懐柔する術はないように思えた。

「嫌だ! 大した質問が来ないなら妃沙ちゃんが出ればいい。なんならトミーで十分だよ」

「私も嫌です。面倒くさい。そんな時間があるなら作画してますよ」

 妃沙子と響谷はお互いに顔を背けた。

「ああ、それとね」

 林田がメモ帳を見ながらついでのように言うと、響谷が眉をひそめた。

「まだなにかあるんですか? ぼくは説明会の面をかぶった謝罪会見なんかにゃ、どれだけお金積まれたってぜったい出ませんからね」

「こういう質問が二、三件来てるんだ。『五十万円出資したら制作チームとの夕食会の特典が付くそうだが、その会に高槻沙梨先生は参加するのか』だって」

「……は? なんですって?」

 林田の前から立ち去ろうとしていた響谷の動きがぴたりと止まる。

「ええと、『高槻先生のデビュー以来のファンなので、高槻先生も夕食会に参加されるなら、一生の思い出に退職金を発奮します』『妻に内緒でこっそり出資しますので、ホームページやエンドクレジットに名前を載せるのも支払いの履歴が残るのも勘弁していただきたい』っていう問い合わせがあったんだ。高額出資案件の相談だね」

 小説家デビュー以来、トークショーもサイン会も滅多に行わない高槻沙梨が公の場に姿を現すのはたいへん貴重であるらしい。本人の美貌も相まって特に中年や老年男性から根強い支持を集めており、子供向けのアニメなどには興味はないが、高槻先生と食事を一緒にできるならば出資することはやぶさかではない、という問い合わせがちらほらあるという。

「沙梨ちゃんに夕食会に参加してくれるか聞いてみましょうか」

 妃沙子が言うと、林田がにっこりと笑った。

「前回、お会いしたときに名刺交換させていただいてね。高槻先生の意向はもうお伺いしている。私なんかでよければぜひよろしくお願いします、と快諾をいただきました」

「やっぱり沙梨ちゃん、超良い子だ!」

 妃沙子が小躍りするが、林田が話を続けた。

「高槻先生は近々、最新刊のプロモーションのために担当編集者と一緒にトークショーをする予定だそうです。場所や日時は未定らしいけど、そのトークショーで次回作の構想とかアニメ脚本の話題にも触れるつもりなので、よかったらハバタキの皆さんも登壇していただいて出資説明会も兼ねたらどうですか、という提案をいただきました。私に集客力はないと思いますが、微力ですがお手伝いさせてもらいます、……とのことです」

「それってすごくないですか?」と妃沙子が驚きの声をあげる。

「そうだね。高槻先生と老舗出版社の文藝心中社がタッグを組んで側方射撃をしてくれる、ってことだから心強いし、出資金詐欺だとか、そういう無理解な声は一掃できるだろうね」

「沙梨ちゃんの担当編集ってことは、噂の鬼の篠原が出てくるわけ?」

 響谷がトドのように肥えた身体をブルつかせると、林田が苦笑した。

「高槻先生の紹介で篠原さんにもお会いしてきた。感じのいい好青年だったよ」

「どれだけ仕事速いんですか、林田社長」と妃沙子が感心したように言った。

「篠原さんにはまだ提案していないけど、トークショーをリバーサイド・カフェでやったらどうかと思っているんだ。テーブルを取っ払ってぎゅうぎゅうに詰めれば三十人ぐらいは入れるだろうし、ハンドドリップのコーヒー付きならお得感あるし、マスターも営業時間外なら店を開けてくれるって言っていた。ハバタキの隣だから会社に実態があることも理解してもらえると思う。実現したら一石三鳥ぐらいだと思うんだよね」

 林田がアイデアを披露すると、話を聞くばかりだった登美彦が控えめに言った。

「でしたら、キンクロパンもコーヒーといっしょに出したらどうですか。ああ、でもダメか。事前にぜんぶ買い占めても十個か二十個ぐらいなので、三十人も来たら足りないですよね」

「いや、いいアイデアだよ奥野君。大河内さんに相談してトークショーの日に参加人数分を焼いてもらえるか相談してみるよ。おそらくなんとかなるだろう」

 林田はメモ帳になにかを書き加えていた。

「カフェを貸し切って、パンを用意して、トークショーに出資説明会か。無料でやるには盛りだくさんだから参加費をいくらか徴収しようか。二千円ぐらいが妥当かな。参加者を三十人として六万円。マスターにコーヒー代一万五千円、パン代五千円とすると、手残りが四万円か。書籍の即売会をやれば現地でも売り上げがあがるし、計算上の収支は問題ないかな」

 林田がぶつぶつと皮算用をしていると、登美彦が不思議そうな顔をした。

「なんで老舗出版社の編集者がそこまで付き合ってくれるんでしょうかね。もっとお堅いイメージがあるのですけど。図体が大きい企業になるほど意思決定も遅そうなのに」

「それは俺も思ったから篠原さんに率直に聞いてみた。会社にはいろいろ好きにやらせてもらっていますので、書籍の販促になりそうな提案なら大歓迎ですよ、だってさ。見た目は爽やかなのに、やり手な感じがプンプンしていたよ。本を作るだけじゃなくて、本を売るところまで目端が利いていて、いい意味で編集者っぽくなかった」

「ハルちゃん、元気かなあ……」

 高槻沙梨の担当編集者であり、小説家志望の春斗の面倒もみているという篠原の話題になったからか、妃沙子が天井を見上げて嘆息した。切なげな声だけを聞けば、遠距離恋愛でもしている恋人に思いを馳せているような響きに聞こえなくもない。

「妃沙ちゃんって、ほんとに作家性のあるタイプに弱いよね。沙梨ちゃん然り、ハルちゃん然り、いつぞやのカメラマン然り。まあ、トミーに作家性の煌めきはさっぱり感じないけど。なのに、作家性の塊であるぼくだけが好かれないってどういうことなの?」

 響谷が指先のハジロー人形をへこへこさせながら妃沙子に迫る。妃沙子は鬱陶しい蚊を追い払うような仕草をすると、地の底から響くような声で言った。

「響谷さんに作家性があるのは認めますけど、肉体はぶよぶよに崩壊しているし、人格は致命的に崩壊しているし、肝心の作画も崩壊させた日にゃあ、尊敬しろという方が無理です」

「バカだなあ、妃沙ちゃん。肉体はまるでトトロのような包容力に満ち溢れ、高潔な人格はさながら沖田艦長のよう。作画を崩壊させたのは遠い過去の話さ。恥ずかしがらずにもっと褒めてくれていいんだよ。さあ、さあ、さあ!」

 響谷はがばっと大きく手を広げると、妃沙子に抱きつかんばかりに間合いを詰めた。妃沙子が助けを求めるように林田を見ると、林田は何気ない顔をしてぽんと手を打った。

「そういえば篠原さんが響谷君をベタ褒めしていたよ。クラウドファンディングシステムとオフィシャルサイトをたった三日で作った、と言ったらほんとうにびっくりしていた」

 妃沙子に詰め寄っていた響谷の動きがぴたりと止まり、ゆっくり林田の方へ向いた。

「どんな風に褒めていたんですか?」

 林田はどうだったけなあと呟きながら、こめかみのあたりに手を添えた。

「クラウドファンディングのシステムってふつうは一から作ったりしないで、業者が運営しているサービスを借りるものなんだよね?」

 林田は答え合わせを求めるかのように響谷に問うた。

 まるっきり響谷に花を持たせるような質問だったが、響谷は得意げに胸を張った。

「そうです。既存サービスを利用した方がユーザーの目にも触れやすいです。でも達成金額のうち二割とか三割を手数料として差っ引かれるので、二千万円を集めようとしたら、四百万ないし六百万を手数料でごっそり持ってかれます。そんなのアホらしいのでシステムを丸ごと作ってやりました」

 自慢たらしい説明を聞いた林田が小さく拍手する。

「響谷君はあっさり三日で作っちゃったけど、サイト設計の段階からシステム構築までをそのへんの業者に頼むと半年から一年ぐらいはかかるような工程らしくてさ。それだけでも凄いのに、これで出資金が集まって無事にアニメ化を達成したら、響谷さんにプロジェクトX的な書籍化依頼が大量に舞い込むんじゃないですか、って篠原さんが言っていたよ」

「……プロジェクトX的な?」と響谷が目を見張る。

「そうそう。プロジェクトX的な」

「プロジェクトX的な!」

 響谷は椅子にすとんと座ると、等身大のハジロー人形をむぎゅっと抱きしめて、口を半開きにしながら林田の言葉を噛みしめている。

「それで響谷君はトークショーと出資説明会が実現したら参加してくれる? 篠原さんも響谷君には会いたがっていたんだけどね」

 林田がそれとなく響谷の意向を訊ねると、響谷は椅子からすくっと立ち上がり、見事な敬礼を見せた。

「トークショーでも説明会でもなんでも来いです!」

「はいはい。響谷君、参加表明っと」

 言質をとった林田がメモ帳にさらさらと追記する。

「篠原さん、ほんとうにそんなことを言っていたんですか?」

 登美彦が首を傾げると、林田が微笑した。

「たぶん、そんなようなことを言っていたよ。少なくとも俺の耳にはそう聞こえたね」

「プロジェクトXに相応しいのは響谷さんじゃなくて、林田社長の方だと思いますけど」

「奥野君は口が上手いね。制作進行の素質があるよ」

 林田は親しげに登美彦の肩を叩くと、

「じゃあ俺はコーヒーを飲みに行くから。なにかあったら呼びに来て」

 と言い残して、ふらりとスタジオを立ち去っていった。

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