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線上のキンクロハジロ 第十八話

「なんとなくこんな感じかな、と」

 藤岡少年がわずか数時間のうちに練り上げたプロットは、こちらの想像を遥かに超えた出来であった。主人公はキンクロハジロ、ハバタキのスタッフがサブキャラとして登場し、さらにどこかで戦艦が登場し、なおかつ戦場カメラマンが登場する話がいい、とリクエストしてはいたが、まさかこんな話になるとは思ってもみなかった。

「いくつか部品パーツがあれば作れると思います」と言う藤岡少年には、それこそすべてを伝えた。深川図書館を案内してペンギンの絵本の話もしたし、小鳥パンの話もしたし、ブラジルプヂンの話もした。清澄庭園内もぐるりと散策して、一緒にキンクロハジロの群れを見た。 

 なぜ妃沙子が戦場カメラマンを登場させてほしいかも核心をぼかしつつだが伝えた。

「この子、天才だね! これはもうアニメ化まで突っ走るしかないよ」

 いつのまにかリバーサイド・カフェにやってきて、なんの違和感もなく会話の輪に紛れた響谷は膝を叩いて大笑いしているし、林田はニコニコしながらコーヒーを啜っている。

「どう、美味しい?」

 目を細めて妃沙子が問うと、「あ、はい。美味しいですね」ともぐもぐ口を動かしながら藤岡少年が答えた。苦いコーヒーは苦手なようだが、甘いものは好きらしい。

 溢れんばかりの作家性があって、アップルパイを美味しそうに食べる可愛らしい少年に無性にときめいてしまうのか、妃沙子の目に母性らしきものが浮かんでいる気がする。

 少年を連れてきた高槻沙梨もどこか誇らしげだ。

「ここはプリンも美味しいんだよ。ブラジルプヂンっていうんだけどね」

 林田がしきりにブラジルプヂンを勧めている。プロットはいたくお気に召したらしい。

「どうやったら、こんな話が思い浮かぶんですか?」

 相手が一介の高校生だという意識はもうどこかに吹き飛んでおり、登美彦は思わず敬語で話しかけていた。

 小説家デビューは未定のようだが、素質からして相手はプロ同然である。

 美術専門学校時代、下手なりに漫画を描いていただけに、人を惹きつける物語を紡ぐのがどれほど難しいかはよく分かっているつもりだ。

 少なくとも自分はこんな物語を考えつくことはなかった。

「思いついたわけではないです。聞いた話を適当にくっ付けただけです」

 藤岡少年はアップルパイをつつきながら、きょとんとしている。

「これのなにがスゴイの? フツーだよ、フツー」とでも言いたげな表情である。

 登美彦はA4サイズの用紙に印刷されたプロットをまじまじと見返した。

  
 プロット案

 カメラを首からぶら下げたキンクロハジロの三兄弟・キン、クロ、ハジローが世界各地を放浪、もとい迷子になる話。
 人懐こい三男ハジローが群れからはぐれて、大阪城上空で迷子になる。大阪のオバチャンたちに餌付けされ、すっかり道頓堀の水にも慣れ、大阪弁を覚え、B級グルメ好きとなる。
 方向音痴の長男キン、寡黙な次男クロがハジローを連れ戻しにくるが、群れの元に戻ろうとして迷い、なぜだか清澄庭園に着陸。地元のアニメーションスタジオ『ハバタキ』の面々に餌付けされ、スタジオ所属のフリージャーナリストとなる。
 黒いカメラを首にかけ、ふらりと紛争地帯にいったと思いきや、いきなり航空母艦に乗り込み波動砲をぶっ放したり、ペンギンと氷上で格闘したりする。
 作画監督兼航空母艦艦長のヒビヤさんとは親友マブダチで、社長のハヤシダさんはコーヒー仲間、ふだんはヒサコ姉さん宅のお風呂場にぷかぷか浮かんでいる。
 新入りのトミヒコ君は、キンクロブラザーズのお世話係。
 ハバタキが秘密裏に所有する航空母艦『ハバタキ弐号』が波動砲ウェーブ・キャノンをぶっ放すと、ぐにゃりと線が歪み、次元歪曲が起こる。
 通称、『作画崩壊』。またの名を『ヒビヤ緊急出撃スクランブル』。
 作画崩壊が起こると、手にハバタキ弐号のプラモデルを持って眠っていた艦長のヒビヤさんがアニメーション用の作画机の上ではたと目覚める。
「地球か、何もかも皆美しい」と言ってばたりと力尽き、都度、締め切りに追われる現実の制作現場に戻る。絵の責任者であるヒビヤさんが手直ししたカットにキン、クロ、ハジローが描かれている。  

 台詞案

「いざ行かん! 公共電波の彼方へ」
カネがなくてはハバタケぬ」
ブラック上等、砂糖シュガーがほしけりゃよそへどうぞ」
金苦労キンクロ旅団、団員募集中」
「ブラジルじゃプリンだって自立するんだぜ」
「いつかは公共電波に乗って飛び立つぜ」
 
  
 黙々とアップルパイを頬張っている藤岡春斗に響谷が話しかけた。

「ハルちゃんはまだデビューしていないって聞いたけど、小説家はデビュー前から編集者が付くものなの? 編集部期待の新人ってこと?」

 いきなりのハルちゃん呼びに戸惑いの色を見せたが、春斗は口の中に入っていたアップルパイをもぐもぐしてからごっくんすると、苦いコーヒーを一口啜った。

「期待というより、どちらかというと爆処理案件ですかね」

「爆処理?」

「篠原さんにとっては不発弾を投げ渡されたみたいなものなので」

「どういうこと?」

 煙に巻いているつもりはないのだろうが、春斗の話しぶりはいまいち分かりづらい。他人の話を自分勝手に改変して解釈する癖のある響谷でさえ首を傾げている。

 春斗は高槻沙梨の顔色をちらりと窺うと、やや面倒そうに話し始めた。

「中学三年の頃から沙梨先生に国語の家庭教師をしてもらっていたんです。実際のところ、勉強なんかまったくしてなくて、先生の書きかけの話を読んだり、一緒にプロットを考えたりしていただけなんですけど」

 高槻沙梨がまったく書けなかったという空白の四年間、その傍らにこの童顔の少年が寄り添っていたのだろうか。登美彦は目を見張り、春斗の次の言葉を待った。

「沙梨先生の文章を読んでいるうちに、ぼくにも書けるかなって思って、七十枚ぐらいの短編を書いてこそっと新人賞に送ったんです。なんかこの文体、高槻沙梨に似てない? 書いたの、ほんとうに高校生? 高槻沙梨が書いたんじゃないの、みたいな感じで編集部が揉めたらしくて。応募先の『文藝海』は沙梨先生がデビューしたところなので、ぼくと沙梨先生の関係は薄々知っていたみたいです」

 高槻沙梨は口を挟まず、春斗が喋るに任せている。

「それで文藝心中社の編集部に呼ばれたんです。新人賞の選考委員をやっている玄先生と編集者の篠原さんがいて、君、ちゃんと一人で書けるのかい、みたいに聞かれたんです。それから篠原さんにプロットを見てもらうようになったんですけど、文藝心中社じゃなくてもいいので、さっさと新人賞を獲って、とっととデビューしてくださいね、って言われてるだけで基本放置プレイです。とりあえず一作は書き終わったけど、半年先まで結果待ちです。デビューなんか確約されていないし、落ちたらまた来年です」

 響谷は腕組みをしてうんうんと頷き、くわっと目を見開いた。

「なるほど、じゃあハルちゃんはヒマなんだね。だったら脚本書いてよ」

「ぼくに脚本は無理です。集団創作って、自分の好き勝手にできなさそうで大変そうだし、ひとりで小説を書いている方が気が楽です」

 あっさりと断られた響谷だが、しつこく追い縋った。

「大学はどこにいくの? 早稲田? 文学部?」

「いえ。緋ノ宮学園というのんびりおバカさんばっかりのエスカレーター学校です。中学のときの担任が、文学部は他人の作品を論ずるところで、自分が書きたい人間が行くところではない、と言っていたので、文学部に行くことにしました」

「ハルちゃん、ぼくは君の言っていることがさっぱり分からないよ」

 春斗のあべこべの返答に、ついには響谷でさえ匙を投げた。

「そうですか? 担任は、経済学部はお金持ちがお金持ちになった理由をあれこれ考えるところで、自分がお金持ちになるところではない、と言っていたので、なら文学部でいいやって思ったんですけど」

 響谷は矛先を変え、高槻沙梨の方へ向き直った。

「結局、沙梨ちゃんとハルちゃんはどんな関係なわけ? 単なる国語の家庭教師ってわけじゃないよね。文学的なお師匠と弟子みたいなもの?」

 沙梨は口元を隠すように手を添えると、少し考えてからにこりと微笑んだ。

「師匠なんてとんでもない。いっしょに小説という高い山に登る戦友だと思います」

 邪気のない笑みを浮かべている沙梨とは対照的に、春斗は面白くなさそうにふて腐れている。

「ぼくは破門された身ですからね。沙梨先生は自分が書けるようになったら不肖の弟子なんてポイですもん」

 沙梨はちょっと困った顔をして、むくれた少年を宥めすかしている。

「春斗君、もしかして根に持ってる?」

「はい」

「ごめんね。玄先生と篠原さんに、小説はぜんぶ一人で書くものだからしばらく距離を置け、って厳命されていたの。私だって春斗君と会えないのは寂しかったんだよ。でも、春斗君が作品を書くためなら仕方ないかなって」

 春斗は照れ隠しなのかうつむき、消え入りそうな小さな声で言った。

「寂し……かったんですか?」

「半年以上ずっと会ってなかったもん。だから今日は久しぶりに会えて嬉しかった」

 顔から湯気が出そうなぐらいに赤面した春斗は「……ぼく、トイレ」と言って、慌ただしく席を立った。マスターが「店内にトイレはないよ」とあっさり告げたので、春斗はちらりと沙梨を見てから、カフェを出て深川図書館の方へと逃げるように走っていった。

「どうも、ごちそうさまです。沙梨ちゃん、けっこう直球だね」

 にたにたしながら妃沙子が冷やかすと、沙梨はばつが悪そうに頭を掻いた。

「いやー、甘酸っぱいねえ。青春だねえ。性格ひん曲がったひねくれボーイかと思ったら、ハルちゃん甘々じゃん。どう見ても大好きじゃん、沙梨ちゃんのこと。可愛いねえ」

 響谷が爆笑しながら言うと、高槻沙梨もうなずいた。

「可愛いですよね、春斗君。文章がちょっとブラックなところも可愛いんですよ」

「沙梨ちゃん、また女子会しようよ。次はハルちゃん込みで」

「そうですね。そうしましょう。いつにしましょうか」

 沙梨と妃沙子がお互いスケジュール帳を見ながら、次に会う日取りを決めている。

「長居しちゃったので、私はこのへんで失礼します。今日はどうもありがとうございました。今日のコーヒー代はいくらお支払いすればいいですか」

 高槻沙梨が席を立ち、ハンドバッグの中の長財布に手を伸ばした。

 ゆるりとカウンター席に座っていた林田が半身だけ振り向いて、小さく手を振った。

「素晴らしいプロットをいただいたので、今日はご馳走させてください。それより藤岡君を迎えに行ってやってください。一緒にスカイツリーでも見にいくといいんじゃないですか」

「そうですね、はい。ありがとうございました」

 沙梨は律儀にも両腕を脇につけてお辞儀をすると、リバーサイド・カフェを後にした。

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