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傾国老人 第八話

 新年を迎えて間もなく、春斗にせっつかれて検診を受けたが、結果は最悪だった。
 末期の肝臓癌である、との検査結果はひた隠しにして家族の誰にも言わずにおいたが、入院生活を強いられるようになった。
 偽造された遺言書によって世界がひっくり返るように、淡々と病状を説明する医師の言葉は、平穏な日々を粉々に破壊した。
 ほんの数ヵ月で世界は一変したが、老いた頭はなかなか事実を受け入れようとはせず、鏡に映るひどく痩せこけた老人の姿が自分のものであると認めるには若干の時間を必要とした。孫の作った不味いうどんを食べて血を吐いたのが、もう遥か大昔に思えた。
 日に日に体調が悪くなっていくのが手に取るように分かったが、柏木弁護士の要請もあり、病室で実に多くの鑑定書を書いた。
 被告側から出された各鑑定書に対する意見書。
 この意見書に対して、相手側から出された意見書に対する更なる意見書。
 伸和翁の年齢と共に推移する筆跡を系統立てたりもした。
 文字性だけではなく、行の流れと方向、点画の方向の年齢による変化も証明した。
 第二遺言書の書かれた平成二十一年の最後の日記の筆跡から、晩年の伸和翁に第二遺言書を書く知力と筆跡力があるかも検討した。
 相手方の科捜研出身者が実践した鑑定と同じ作業をすべて再現し、それぞれの結果を一目して対比できる、図解による一覧表まで作成した。
 しかし、それらの作業はすべて徒労に終わった。
 結局のところ、科捜研出身者の鑑定を覆す伝家の宝刀にはならなかったことを柏木弁護士から聞かされ、心底落胆した。
 由布子夫人から依頼を受けた時点で、第二遺言書は限りなく黒に近い灰色という印象を受けたが、精査を始めて、その疑念は確信に変わった。
 科捜研出身者が第二遺言書を白にして見せたテクニックは、実に古典的なものであった。
 第一遺言書、第二遺言書双方にある「遺言書」「執行者」「不動産」「千年堂株式会社」「平成・年・月」「森保伸和」「森保伸太郎」「森保滝二」「森保喜久雄」「森保由布子」の各字を比較し、以下の五つに分類したものであった。

 a=類似文字
 b=少し差異のある類似文字
 c=類似と相違の中間的な文字
 d=類似点もあるが相違特徴の多い字
 e=相違文字

 分類後、a、bの方がd、eよりも圧倒的に多いとして、「第一遺言書の筆跡と第二遺言書の筆跡は、同一人のものと認められる」との結論を導いたが、結論以上に重要なのはその判断基準である。
「執」字では、第一遺言書においては、へんの第三画の横画が長く、第七画も長いのに対し、第二遺言書では、ほぼ同等の長さである。偏とつくりの位置関係も、第一遺言書ではくっ付き、第二遺言書では大きく離れる。
「行」字では、ギョウニンベンの形がまるで違うし、旁についても二つの横画の長さ関係は異なり、第三画の線状も異なる。
「者」字では、第三画と第四画のつながり方が異なり、第一遺言書では第二画と「日」部の第一画との位置関係が一線上にあるのに対し、第二遺言書では右側に外れている。
 少し細かな分析を加えただけでも「執」「行」「者」の三文字に筆跡としての明瞭な相違点が存在するにも関わらず、科捜研出身者の鑑定ではbランクとして判定されていた。
「少し差異のある類似文字」との判定であるが、書法、つまり文字を書する方法にわずかでも見識があれば、これが「少し」どころか、「かなり」相違するものであることは一目瞭然である。
 このような恣意的な判定方法で類似を作り出した上での「圧倒的に類似性が多い」という結論ありきの鑑定書には、真実を明らかにしようという気は毛頭なく、ただ裁判に勝ちさえすればそれでいい、という狡猾さが滲んでいた。
 全体の集計では、共通点が見られた文字が二十九文字、相違点が見られた文字が四字であるとし、「前記共通点、相違点を総合的に検討した結果、共通点が重要と考えることから、第一遺言書と第二遺言書の各筆跡は、同一人が記載した筆跡と推定される」と墳飯ものの結論に至っていた。
 しかし「執」「行」「者」の三文字を含めて、実際に鑑定がなされたのはわずか十二字だけで、その他に二十一字も鑑定をやり残していた。
 鑑定を限定したのであればそれだけの理由が必要であるし、その理由がないどころか、鑑定対象文字の順序もまったくの支離滅裂で、系統立てていられていない。
 鑑定から除かれた疑念文字の一つには、由布子夫人の一字である「布」の字もあったが、鑑定対象からなぜ外されたのかにも一切の説明は付されていなかった。柏木弁護士に求められ、相手方の鑑定を根本から覆す意見書を書き連ねたが、御上はその意見をまともに汲み取ってはくれなかったようだ。
 にわかには承服しがたいが、御上の裁判所がそう判断したのなら仕方のないことだし、天上の神がそろそろお前も寿命だと告げるならば、それに従わねばならないだろう。
 すべて天命と受け止めよ、とはさる陽明学者の言葉だが、最期に誰の役にも立てなかったのが心残りだった。

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