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線上のキンクロハジロ 第二十二話

 昼過ぎに出社してきた響谷は、鳥かごと大きな網を持ってきていた。

 これでランニングシャツでも着ていれば、炎天下にクワガタやカブトムシでも取りにいけそうな装備である。響谷の奇行には慣れっこなのか、妃沙子は耳にヘッドフォンを付けたまま完全に無関係の立場を貫いており、淡々と作画作業に勤しんでいる。

 妃沙子はある程度の枚数の原画を描き終えると、小休止のたびに高槻沙梨と藤岡春斗が合作した脚本を擦り切れるまでに読み込み、絵コンテを描いていた。たいした用事もなく、作業を中断させるのは憚られるほど、近寄りがたい雰囲気を放っている。

「ねえ、トミー。じわじわとハジローブームが来ていると思わない?」

 網をひゅんひゅんと振りながら、響谷が登美彦に話しかけた。

「はい。徐々にですが」

 響谷の管理するハバタキのオフィシャルサイトは日に日にバージョンアップしており、アクセス数もこのところ右肩上がりに増えていた。美麗な清澄庭園のグラフィック、動いて喋るキンクロブラザーズに続いて、ハバタキの社内風景のイラストや、響谷、妃沙子、林田、登美彦らのスタッフのイメージイラストも続々と公開されていく。

 終始机に向かっているアニメーターたちはカーソルを近付けても喋りはしないが、妃沙子がデザインを担当しただけあって実物の本人たちよりも断然愛らしい姿に描かれている。

 艦長帽を目深にかぶった響谷にカーソルを近付けると、やけに威厳のある態度で敬礼を返してくれる。キャラクターをダブルクリックするとそれぞれのプロフィールページに飛ぶ作りになっているが、断トツで響谷とハジローのページがよく閲覧されている。

 スタジオ周辺にあるリバーサイド・カフェや小鳥パンを描いた背景イラストをアップし、近隣店舗情報を書き添えると、清澄白川駅周辺のおススメの飲食店の店舗検索をしていたユーザーがアクセスしてくるようにもなった。

 スタジオ内を見学させてほしい、と申し出てくる訪問客も増えてきたが、事前の見学予約がない場合はアニメーターの作業の妨げになるからと伝え、メッセージカードとポスターを手土産に持たせてお帰りいただくことにしている。

「ハジローをもっとリアルに描くためには、もっとハジローのことを知らなければならないと思うんだ。だから、ハジローを捕まえにいこうと思う」

「はい?」

 ここ最近、響谷はスタジオ内外で艦長帽をかぶりっぱなしで、胸元に錨のマークが刺繍された黒いロングコートを愛用している。襟の裏は赤く、金色に縁取られたコートの下に白いスカーフを巻いており、身も心も艦長気分に染まっているようだ。

「ハジロー、ゲットだぜ!」

 響谷が小学生のように「えいえいおー!」と掛け声をあげる。大きな網を持って頭上に掲げる幼稚さとはあまりにもかけ離れた重厚な衣装だけに、馬鹿っぽいことを言いだした途端、せっかくこつこつと構築してきたはずの艦長然としたイメージが音をたてて崩壊する。 

 三月初め頃から約一ヵ月も超絶お仕事モードを維持してきた反動なのか、言動の端々にだんだんと馬脚を現してきた気がする。

「まさか清澄庭園からハジローをかっぱらってくる気ですか?」

「餌をやってはいけないって書いてあったけど、捕まえちゃいけないとは書いてなかったからさ。捕まえてきてスタジオで飼おうよ」

 網と鳥かごを小脇に抱えた響谷がスタジオの出口の方へスキップするが、登美彦が右肩を掴んで制止させた。

「響谷さん、正気ですか? 職員の目がある中でそんなことしたら、アニメ化なんて話はすぐなくなっちゃいますよ。ぜったいにやめてください」

「じゃあ深夜に忍びこむのなら平気?」

「それは不法侵入です。犯罪ですからぜったいにやめてください」

 登美彦の剣幕に一瞬怯んだ響谷だが、艦長帽の鍔に触れると厳かな口調で言った。

「慎重さは必要だが、一〇〇%を待っていては行動はできん。ここは決断しよう」

「や、め、て、く、だ、さ、い!」

 登美彦は怒りを滲ませながら一語一語を区切ると、さすがの響谷も少し怯んだ。妃沙子があんなに頑張っているのに、すべてが水泡に帰すような愚行を黙って看過することなどできなかった。

「ほんとうにシャレの通じない男だね。そんなにクソ真面目だと、すぐ作画崩壊するよ」

「庭園に不法侵入して犯罪者になるぐらいなら、作画崩壊したほうがマシです」

 響谷が自席にのけぞって座ると、座面が抗議の声をあげるようにぎしりと軋んだ。

「トミーのせいで一気にやる気がなくなっちゃったなあ。出資額も二十万ちょっとで止まっちゃってぜんぜん伸びないし、野生のハジローでも飼わない限りもう打つ手ないよ」

「仮に野生のハジローを飼ったとして、その後はどうするつもりだったんですか」

 ここで響谷に匙を投げられたらハバタキのオフィシャルページの更新は止まる。

 目標金額を集められないならまだしも、途中で投げ出すのはクラウドファンディングの出資者に対しても失礼極まりない態度だろう。夢を語ったからには、結果はともかく最後までやり遂げねばならない。登美彦の胸の内にあったのは、響谷にこんなところで放り投げさせてなるものか、という思いだけだった。

「動くハジローの写真を撮って、サイトにアップしようと思っていたの。更新のたびにいちいちアニメーションを作ってられるわけないじゃん。写真撮るだけなら楽チンだし」

 手間暇の観点からすれば響谷が言っていることは道理だが、実物のハジローの写真を見て喜ぶユーザーは少ないだろうとも思う。ユーザーがアニメーションスタジオのハバタキに期待するのは、あくまでも可愛らしいイラストとアニメーションであって、野鳥図鑑に掲載されているようなリアルな写真ではないはずだ。

「野生のハジローの代わりにぬいぐるみのハジローを自作したらどうですか。それを写真に撮れば野生のハジローは必要ないと思うのですが。スタジオ近くを散歩して、ぬいぐるみのハジローを撮影するだけでいいなら僕にもできそうですし」

 なにせ黒ずくめの物体にそれっぽい羽根を生やして金色の目を付ければいいだけなのだ。手先の器用な響谷であればそれぐらいちょちょいと作れそうだし、美術専門学校出身の登美彦だって、可愛さを問わないのであれば作ること自体は造作もない。

「トミー……、君ってやつは……」

 艦長帽を目深にかぶった響谷の両肩が小刻みにふるふると震えている。

「やっぱり本物じゃなきゃダメですか?」

 響谷は登美彦の肩をがしっと掴むと、思い切りぶっ叩いた。

「なんて安上がりチープで素敵なアイデアなんだい! 最高だよ、そのアイデア! ぼかあ、早速ハジローのぬいぐるみを作って、隣の晩ごはんに突撃してくるよ!」

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