見出し画像

小さな救世主

こんばんは、makoです。
今日は雨☔️風も強かったです。
でも寒くはなかったかなぁ〜
少しずつ春の気配を感じますが、まだ寒い日は続くのかな。



家を出て行ける場所は、母の妹の家。

当時、母の妹は友達の誘いもあり保険屋の仕事を始めていた。
免許を持ってなかったので、伊豆の家とは別に小さな借家を借りて平日はそこで暮らし、週末には旦那さんも帰って来るので迎えに来て貰い伊豆の家に帰る。と、いう生活をしていた。
本音は、母の妹の家へ行きたい訳ではなかったが、行く場所がなかった。

暫くして2学期も始まったが、連絡もせずに学校にも行かなかった。
さて、この後の生活をどうする?
色々と考えた。
その借家は電話もなかったので、友達とも誰とも連絡を取らない生活。
週末、伊豆の家には学校から電話。
辞める事を伝えた。が、辞めるなと何度も何度も説得される。
10月に研修旅行があるから、それには行くようにと。
何の為に?
辞めると言ってるのに?
2学期になって1度も学校へ行ってなかったので、もう今更行く気ないのに。
とりあえず、一度は学校へ行かないと行けない。
退学届も出さないと。
9月の終わりに一度学校へ。
久しぶりの教室。
友達は心配して数人が私を囲む。
もう辞めるよ。
事情を話し、そう伝えた。
ならさ、辞めるなら思い出作りで研修旅行行こう。
そう友達に言われ、じゃ、それを最後にするよ。

数日後、二泊三日の研修旅行へ。

久しぶりの友達とのくだらない会話、楽しかった。
何にも余分な事を考えずにいられた。

帰って来てからも、副担任が私を説得する。
もう、担任は私には構わなかった。
後日、母の妹と一緒に学校へ行って退学届を出した。この時も対応は副担任だった。
学校への未練は全くなく、この時、解放された気持ちでスッキリしていた。

仕事、探さなきゃ。

繁華街の喫茶店でバイトを始めた。
小さな店だったが忙しい店で、毎日が早く過ぎて行く。
母の妹の娘、まーちゃんを朝、保育園へ送ってから、その喫茶店へ通っていた。

家を出る時に、母に言われたのは、
おまえが、この近辺に居ればすぐ見つけるから。

バイト終わった頃に、そこのママが話があるから待ってる様に私に言ったので、カウンター席に座り待っていた。
ママは、あなた
○○さんの娘?
そう尋ねて来た。
はい。
苗字が、この地域には殆ど無く、昔はこの苗字が店の名前だった為、地域では有名だった。
この店のママと母は繋がって居て、もしかして?と思い母に確認していた。
家出していた事もママは知っていて、いきなり辞めさせられた。
何で?
この地域で、この名前を使うと見つかる。
バイトも出来ないのか?

違う所でも面接した時にも、苗字で、もしかして○○さんの娘さん?と聞かれた。
もうどうして良いのか?

学校も辞め、解放されたと思ってたのに。

母の妹の知人が、そんな時にデパートのお歳暮の短期バイト行ってみる?と、言ってくれたのでダメ元で面接した。
1か月半程の短期バイトだったが、年末まではバイトは続けられた。



母の妹はパチンコ好きで、見栄っ張りな人。
その為に、保険屋の仕事をしていた。
私の給料の半分は、ご飯代と言う事で渡していたが殆どはパチンコに消えていた。
母は、妹の癖を知っていたので私が利用されていると感じていた。
ある朝、チャリンコのカゴの中にビニール袋に入った沢山のジュースやお菓子。
母からだった。
メッセージが一言。
体には気をつけて。と。
母なりの不器用な愛情表現だと感じ、母を投げ飛ばした事に心が痛くなった。
憎みきれない、嫌いになり切らない自分、でも許せない自分。
常に自分に対してイライラしていた。

でも戻る気も無い。

だからって、このまま母の妹の所にもいたくない。
色んな感情が湧き出る。

相変わらず母の妹は、パチンコ。
この頃から、少しずつ借金が増えて行ったんだろう。
私の短期バイトも終わり、又違うバイト先を探していた頃、母の妹は保険屋は合わないから辞めて伊豆に帰ると言い出した。
えっ、困る!
この借家があるから、バイトも行けるのに!
どうしよう。
そんな事を考えてたら、もう次の仕事は決めてるから、あんたは、まーちゃんの面倒見てくれるなら家に居て良いからと言われた。
当時まだ多くない介護の仕事。
免許がないので、泊まり込みで仕事するとの事。
借家を引き払い、伊豆へ戻り私はまーちゃんと2人の生活が始まった。
週末には、母の妹も旦那さんも帰って来る。
又、不思議な生活が始まった。
たまに母の妹は平日でも帰って来ていたが、パチンコに出かけていた。
その内、一緒に消費者金融にも付き合わされた。
旦那さんには言わない様にと口止めされていたので、一言も言わなかった。
旦那さんは、とても子煩悩で優しい人。
私も良く一緒に、まーちゃんとあちこちに連れて行ってもらった。
何で、こんな良い旦那さんがいるのに、あんなに借金してまでパチンコ行くんだろ?
娘さえ私に面倒を見させて…

まーちゃんとの2人の生活は楽しかった。
なんせ可愛い。
赤ちゃんの頃から見てるし、一緒に居るのは苦ではない。
お絵描きしたり、TV見たり、ご飯作り一緒に食べお風呂入って寝る。
朝は幼稚園に送って、迎えに行く。
もう子育てしてる感じ。
平和な時間。
なんだか、やっと自分の居場所が見つかった様に感じていた。
無邪気な小さなまーちゃん。
16歳の私にとっては、まーちゃんは癒しで救いだった。

そんな生活が3か月ほど続いて私は17歳になった。
母から電話。
久しぶりに話をした。
もうすでに、妹の借金等知っていて私が、まーちゃんの面倒を見ている事も噂で知っていた。

私が家に戻る事はないだろうからと、部屋を借りて仕事をする提案をして来た。
母は、部屋を借りるお金は払うからと。
考えておくよ。
そう伝えて電話を切った。

まーちゃんとの生活は楽だったが、いつまでもこのままで居る訳にも行かない。
母は私が良い様に使われているのが気に入らない。
又、私が原因で姉妹の関係が、これ以上悪くなっても困ると、あれこれ考えて母に部屋を借りて貰う事にした。
家を出て半年以上経った私にとっては、まだ1人立ち出来ないのかと少し落ち込んだ。
まだ17歳になったばかり。
未成年で、まだ親が必要な歳だった。



この頃を振り返ってみると、生意気にいきがっていたが自立が出来ず、子供だったな。って思う。
あの頃小さなまーちゃんも、今では40代半ば。
私にとっては、まだ可愛い小さなまーちゃん。

雨の日、幼稚園まで迎えに行った時には居なくて、お友達のお母さんに車で送ってもらい、行き違いになった事があった。
急いで家に帰ると、小さなまーちゃんは傘を差して、もう一本の傘を手に持って玄関前で私を待っていた。
その姿を見て私は走って駆け寄り、抱きしめた。
お姉ちゃんが濡れない様に傘を持って来たよ!って。
あの時の姿が今でも忘れられない。
私の居場所を作ってくれてありがとう。
あの頃の救いは彼女だった。


自愛からの慈愛
今日もありがと💕





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?