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聴神経腫瘍のお話④てか、手術より妊娠

検査入院から1年後、2007年の春休み、またも私は流産した。4回目だ。3月は卒業式シーズンで寒い中、体育館で集うこともあったが、同僚や管理職がとにかく身体を大事にと配慮してくれたにも関わらず・・・だった。腹痛と共に大量出血し、病院に駆け込んだ時にはすでに赤ちゃんと共に子宮の内容物は出きってしまっていた。そのため、掻把手術は行わずに済んだ。どちらにせよ精神的なダメージは大きく、何もしたくない気持ちでいっぱいだった。とにかく、仕事に集中することで気を紛らわせていた。家に帰れば、上の子がいる。悲しい気持ちからひたすら逃げていた。苦しい気持ちに誰か、寄り添って~とも思わず、何もなかったことにして、生活していた。元の相方にこの気持ちはわかってもらえないと、それまでの流産後の様子から、自分で判断していた。1人だった。孤独だった。頼りたくても、頼れない、頼ってもむだだと思ってた。家族がいるのに、孤独って、何やねん・・・(笑)

流産直前に受けたMRIの結果を、流産後に聞きに行った。案の定、腫瘍は急に大きくなっていた。このままほっておいて、小さくなることはない・・・除去手術を強く勧められた。その時点で手術を決断していれば、頭開手術ではなく、ガンマナイフという放射線をあてて腫瘍を小さくする方法も取れるという。私は手術という言葉自体に、異常に恐怖を覚えていた。また、入院して何日も家をあけ、上の子のお世話ほったらかして、仕事も休むということも全く、考えられなかった。・・・そして、2人目出産への希望が諦められなかったというのもある。主治医には、妊娠を優先したいと申し入れた。けれど「妊娠していても、赤ちゃんに負担がかからない方法で手術する方法もある。顔面に違和感を感じたら、とにかくすぐに受診して」と最終的には、おっしゃった。

・・・今思うと、なぜ2人目を生むということにあんなに拘っていたのだろう?当時の私に言いたい。「1人っ子っていう選択もあったやん?」当時の相方には「うちは(子どもは)3人くる」と予言?めいたことを言われていたので、それに沿わないといけないと思い込んでいたのだろうか???だいたい、1人目も今で言う「授かり婚」で齢33やった(;´Д`A ```否が応でも、体力も気力も下がる年齢になっていくというのに、何を気張って2人目って思ってたのか。。。

結局その年の8月末に、長男を妊娠した。それが継続しなかったら、2人目は諦めるつもりで、私はいた。長男は強かった。そしてこの世にちゃんと出てきた。9月いっぱい妊娠悪阻で入院し、そのまま産休をとらせてもらい、そして、さらに次男を生むまで、聴神経腫瘍の件は、私の中でなかったことになった。

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今日も良い日でありますように。ありがとうございます。
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「笑顔が人を幸せにする」が座右の銘。日々の記録・人生録・実証録。長女、長男、次男の3人の子どもたちとパピヨン2匹と生活しています。次男はT21のダウン症、次男を含むすべての人が生きやすい世の中になるよう、発信します。