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2021年2月13日(土)私の元の職業は。

私が大学を卒業する頃、世の中はバブル景気の終わりに近づいていたが、ギリギリ、就職が引く手あまたの時代、会社の面接に行けば会社の名前入りボールペンやファイル、タオルなどがもらえるのが当たり前、何なら交通費さえ包まれることもあった。私は4年間、学生寮に住んでいたが、就職活動時期になると、玄関に黄色い会社の情報誌が個人あてに来るので、それが山のように積まれるのを毎年見ていた。私が4回生の時もまた然り。

教員採用試験の勉強をする傍ら、就職活動もして、2社ほど面接に行った。そのうち1社は大阪で面接があったけど、本社は東京。何の会社だったかなあ~?今で言う教育系のIT関連企業だったかな。それで、1次は合格、2次面接が東京の本社だったけれど、その日偶然にも採用試験とブッキング。お断りの電話を寮の公衆電話からした覚えがある。採用試験が不合格なら一般企業へ就職するという流れは、当時は珍しくもなんともなかった。採ってくれる会社がたくさんあったから・・・今では考えられないかな・・・(;'∀')

採用試験に合格し、晴れて小学校の教員になり、最初は周囲ぐるっと見渡すと、ほぼ田んぼと山しかないという、大変にのどかな学校へ配属された。団塊の世代と呼ばれる先輩先生がたくさんいらっしゃって、私たち新任(3人いた)はその中で右往左往しながら子どもたちと接してたなあ。大学出たてのまだまだ甘ちゃんな私を「先生!」と呼んで慕ってくれる子どもたちは心からかわいくて、子どもたちができることを少しでも増やしてあげたいなあ、と一生懸命自分なりに教材を作ったり学級通信を出したりしてた。それもほぼ毎日(笑)その当時は個人情報がど~のこ~の言われる時代じゃなかったから、子どもたちの書いた作文などをバンバン載せて出してた。それも手書きで(笑)あの熱情は今思ってもすごいわ(笑)

これも今はない所も多いと聞く家庭訪問に行くと「おもてなし」は当たり前(笑)お茶菓子に始まって、箱入りの銘菓や、その町の特産品「山芋」を持たせてくださる家庭もあり、びっくりした(;'∀')お母さんだけでなく、中には家族(おじいちゃん・おばあちゃん・ひいおばあちゃんとか)総出で待っていて下さるおうちもあり(;'∀')「先生」という固有名詞に対して、絶対の信頼があるんじゃなかろうかと推測。まあ、中には新任かあ・・・頼んないなあ今年ははずれ?って思う保護者もいたかもしれないけれど(笑)でも、なにはともあれ、信頼という根っこがないと任せてももらえないだろうし。とにかくその2年間は先生という仕事の土台部分を学んだ期間だったと振り返ってみて思う。



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