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聴神経腫瘍のお話⑭

昨日のも書いてて思ったけど、私、我慢しすぎや~(;´Д`A ```入院してまで「こんなこと言ったら、看護師さんに迷惑かける」とか思ってた。人に頼るとかその辺りの線引きがわからないから、どんな場合でも受け身に回って我慢する、大人しくする、良い人(患者)であろうとするのを美徳としてたんかな。何なん、私(;´Д`)でも正反対になる時もあった。私のノリに合わせてくれる人がいたら、どんどん調子に乗って喋ったり、行動したりできるんやけど、乗り過ぎて引き際がわからなくなり、痛い目に遭うとか、、、(*_*;

3/2(術後10日目)母がお見舞いに来てくれた。ふさぎ込んでいる私を見て、母が病院の外へ連れ出してくれた。70代と40代が腕を組んでよろよろ歩く姿は異様だったかも・・・。しかもよろよろが40代・・・(;´Д`)パジャマの上にダウンコートを羽織って頭はぼさぼさな私。それでも、久しぶりの外は、空気が冷たくても気持ちよかった。病院の近くに京都名物八つ橋の老舗がある。本家と銘打っているお店が2つあるらしい。1つは「西尾」もう1つは「聖護院」私が知っていたのは後者。そのお店で義実家への手土産を買った。ずっと子どもたちを預かってもらっている、お礼の気持ちも兼ねて。(子どもたちとは退院するまで1度も会わなかった。インフルとか流行っている時期でもあったので致し方ない・・・次男は私のことを覚えているのだろうか???)午後は、地元で行われているマラソン大会を見ながら、母とお喋りした。眠剤のおかげで、睡眠もとれ、気分も少しずつ回復したかに思えていた。それにしても、顔の腫れ。写真を撮るのも憚られるほどの浮腫が、右顔にまだまだ残っていた。

3/3(術後11日目)朝まで一度も目覚めず、ぐっすり寝られた。今日のリハビリは言語療法→理学療法→作業療法。言語療法ではかすれかすれの声のまま、口の体操や発声をした。作業療法では、日常生活の動作を行う。今日は「急須でお茶を入れる」ことをした。飲みながら、療法士さんと世間話した。立った時に押しつぶされそうな感じになるのは、主治医によると「起立性めまい」ではないかとのこと。立つときに、とにかくゆっくりと動くようにという指示をされた。気をつけていたつもりでも、夕方、病室でめまいが起き、その怖さと気持ち悪さから急に腹痛が・・・パニックだったかも・・・。わあ・・・このままやったら退院しても家のこと何もできへんかも・・・。(現在の私なら、何もできへんでもいいやん~!と自分で自分に言う。しんどいし、ちょっと今日は動けないわって言える。その当時は、私が家のことやらなあかん、絶対できなあかんって追い詰めてた、常に自分を。)

3/4(術後12日目)めまい、頭痛は相変わらず起こる。一生このままやったらどうしようと焦りの気持ちが波のように来る。それを打ち払おうと、今日も外出許可をもらって、病院の外を散歩する。歩いている感じが、なんて言ったらいいのか・・・常に宙に浮いているような感じ。地面を踏みしめているとい感覚がない。ふわんふわんしているというか。ドラ〇もんって、こんな感じで歩いてるんじゃないの?とまで思った(笑)そして、熊野神社まで行き、お参りする。早く回復するようにと。疲れてしばらく境内の横で休んだ。

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入院中、写真を撮って克明に病状等を記録しようと思っていたけど(そのためにタブレットを買い、ネット回線も月で契約し、ノートパソコンも持ち込んでいた)予想以上に術後が大変でそんな余裕なかった。だからこの写真は貴重な1枚(笑)


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