すごい発見! その2

前回は、すごい発見というのは、「自分責め」の正体を知ったことでした。

じゃあ、その正体とはなんなのかというところですが、まずは前回のおさらいをしたいと思います。

・人は自分の枠、器の中で生きている
・人は自分の枠、器の外で生きている人、外に出ようとする人を見ると羨望とともに、不安に駆られて自分の器、枠の正当化に走って攻撃してしまいがちになる
・私は、ビジネスの成功や他者貢献をするために、自分の枠、器を広げていきたいと思って(枠の外に出たがっている)行動をしているが、なかなか結果に結びつかない
・その原因となっているのが、「自分責め」であることに気づいた


ここまでが前回のまとめになります。

最初の枠、器の話と自分責めとどう繋がってくるかということについてですが、その前にはこれは勝手な持論なので読み飛ばしていただいていいのですが、なぜ、日本人はこうも自分の枠、器の中で安心して生きている人が多いのか、という話をしようと思います。

いろいろ諸説あると思いますし、全員がそうではないと思うのですが、
結論から言うと私は、「教育」しかも大東亜戦争後のGHQによる洗脳が日本人をここまで枠と器の中に押し込め、自虐史観(自己否定や自信のなさ)を植え付けられているんだと思います。

そう気づいたのは最近ですが、きっかけになったのは過去10数回に及ぶ海外旅行で出会った海外の友達でした。
彼らの多くはキリスト教の人が多いのですが、彼らはたとえどんな失敗や、粗相や失態を犯しても、自分責めをしている人って見たことがないんですよね。
例えば、お酒を飲みすぎて店に迷惑をかけたり、帰りの電車や飛行機を逃したり、お金を無くしたりしても、もしかしたら内情は違うのかもしれませんが、そこでお酒をやめるとか、もう2度と〜はしないといって辞めている人をほとんど見ません。病気になっても怪我をしても治ったらすぐ元の生活に戻ったりしています。
これは彼らが自分の器、枠が大きかったりするのかもしれませんが、ここも勝手な持論なんですが、「懺悔をすればどんな悪いことも神様が許してくれる」と思ってるところもあるのかもしれないのです。
だから、枠が神様サイズなので、本人の枠や器がでかいので、平気なんだと思ったのでした。

一方で日本人はそういう宗教観を持ち合わせていないため、教えられた価値観(枠、器)の範囲でしか考えられなくなってしまい、自分の枠、器の外にいる人を見ると許せなくなるぐらい、狭められて、固定化されてるんじゃないかなって思います。それを言葉を変えると「真面目」に置き換えられるんですよね。

もちろん私もその一人でした。今でもそう言う部分はたくさんあります。
枠も、器もまだまだ大きくしている最中なので、読んでる皆さんからしたら「偉そうに」と思うかもしれませんが、同じような状況です。

でも、そこで、一つだけ気づいたことというのが最初に書いた
「自分責め」の正体なんです。

他者依存、他責で生きている人からしたら「他者責め」の正体と言ってもいいと思います。ここでは自責、他責のどちらが良くてどちらが悪いなんてことを言うつもりはありません。どちらであってもいいと思います。

自分責めにしても、他人責めにしても、自分の枠の外、器の範囲外にある、いる人を見ると責めてしまうと言うのは一緒だとすると、見えてくるものがあると思います。

そう、自分の器、枠自身です。

自分責めをしてしまう、〜をしてしまってダメだなー、悪いなー、何やってんだよ、と思った、行動っていうのの外には、うまくやれてる人もいる、うまくやって当然、という人もいるという思考です。
逆を返すと、自分が失敗したのは、こんな行動をしたのは、結果が出ないのは、自分の枠の外にチャレンジしたからだという、エゴが自分の枠の中の安心ゾーンに引き戻そうとする行為なんです。

例えば、枠、器の大きい人は、同じ失敗をしても、自分を責めません、たとえ責めても一瞬だけで受け入れて責め続けません。だから再度チャレンジして次は成功するのです、そうすると、他の人が同じ失敗をしても失敗した自分のことも認めているので、他の人を責めたりしません。

これが器と枠の大きさの違いなのです。

器の大きい人は失敗しないのではなく、失敗しても自分も他人も責めないで、そこに反省はするけど後悔はしないのが正しいのだと思います。

だから、器の大きい人が偉い、のではなく、自分の器を広げることが重要なのですが、そのためにはまず自分の器に気づく、ことが最重要になります。

その、器のセンサーとなっているのが、自分責め、他人責めなのです。

何に自分責めているのか、誰の何を見て他人を責めているのか、どんな行動、どんな失敗、どんな失言、どんな態度に自分、他人を責めているのかを一つ一つ丁寧に見つけ出す、探し出す、気づくことで、自分の器の輪郭が見えてきます。
その時に、また、自分責めをしたくなる人は自分の枠、器の小ささを嘆かないでください、その代わりにまたひとつ自分責めをしてまう項目を見つけた、と喜んでください。

さらには、ここが肝なのですが、実は、

「自分/他人を責めている自分」を責めている自分

にも気づくと話が早くなります。

つまり、〜をやってしまって失敗したなー、と思って自分責めをしてしまっていることにも自分責めしちゃいけない、自分責めしたらうまくいかないと二重に自分責めをしてしまっているケースがたくさんあるのです。

実はそれこそが自分の枠や器を固定化している原因の一つなんじゃないかなと個人的には思っています。

他責で生きていた時にも〜が悪い、〜のせいだと散々やってましたが、文句を言った後に一瞬はスッキリしましたけど、自己肯定感は全然上がりませんでした。逆にもっと自己否定していた感覚が強かったようにも思います。
だから、NLPでいうダブルバインドを自分でかけているような状態で、さらに枠と器を強固なものにしてしまっていたのではないかと思います。

だから、実は自分責め、他人責めをしているということは、あなたの枠、器の端っこはここなんだよ、と教えてくれるセンサー的なものなのかもしれません。そう考えると、自分責め、他人責めも悪いことではないし、むしろ逆にツールとして活かすこともできると考えると、心が軽くなってきませんか?

第二弾は、自分の枠、器の大きさに気づく方法と、自分責め他人責めの正体についてでした。
第三弾はいよいよ核心、じゃあ、どうやって自分責め、他人責めをやめて自分の枠、器を広げていけるのか、について書いていこうと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?