時計

崩れていくあなたを見ていた。
差し出された手をはねのけて、
「落ちてく」と呟くあなたを。
それが最後の会話なら、
少しは美しく語ることもできるのに。
そうじゃないってのも、また。
最後に交わした会話すら覚えちゃいない。
「そんなもんだね」と嗤うくらいには、
それなりに生きてきた。

崩れていくあなたを何もできない無力な僕は、ただ見ていた。
とても話せる状態じゃないってことに気付きながら、
とおく離れて、見ていた。
あなたが僕に話しかけるのを、待ちながら、
それは決してやってきやしないまま。
光が消えていくのを、
ただ眺めていた僕は、
そこを出ていく後ろ姿を、ただ眺めていた僕は、
「無力だね」なんて嗤うことに逃げてしまいそうになりながら、
だから誰ともことばを交わさずに、
光が消えていくのを、
じっと見ていた。

あなたがいなくなってから、ずいぶんと経った気がします。
でも、どこかで、また電話が鳴る気もしています。
夜はまだ若く、朝の光が差し込むまでの、
「こんな時間になっちゃったね。そろそろ寝ようか?」
二人はまだ若く、旅に出たあなたはもうずっと若いまま。
でも、どこかで、またすれ違う気もするのです。
中断された会話の続きを。
僕はたまに待ちわびている僕に気付くのです。
美しい物語になんかしてたまるか、
なんて意地をはって、
「また上がってくるのを待ってるよ」と呟いたあの日の、
それで泣き崩れたあなたに初めて会った日、手を振るあなたを、
それでも美しい物語にしてしまおうとする僕を僕は嗤う。
嗤いながら、ようやくあなたのお墓に行ける気もするのです。
あなたが時をとめたとき、僕もまたひとつ、
時計をとめた。
針の動かない時計を長い間つけたままだったけれど、
あなたが残したその時計を、
どうやら手放す時が来たのかも知れません。

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