your love alone
マニックストリートプリーチャーズのライブに行って来た!。
11/18、11/19。
場所はZEPP HANEDA。
1994年、高校に入って数日でドロップアウトした僕はその年、初めてリアルタイムのロックに触れる。(そして映画も)
1995年には島根からひとり、東京で暮らしはじめる。理由は東京に出たら、好きなバンドのライブが見られるから、だった。その見たいと思っていたバンドのうちの一つがマニックスだった。
当時のマニックスはリッチーというメンバーが失踪して、活動を休止していた時期。
僕は3枚出されていたマニックスのアルバムや手に入るシングルをずっと聴いていた。
島根の畳の自室でヘッドフォンをして引きこもりながら、東京の片隅でいろんなひとに、未来にびびりながら。
初期のマニックスはCDのアートワークに物凄く凝っていて、コラージュ、それも哲学者などの言葉もふんだんに取り入れていた。
過激な振る舞いやインタビューを古本で読み、僕は初めてのパンク体験に興奮していた。
再始動したマニックスの最初のシングルが確か、A Design For Life。そこからKnow Your Enemyまではやっぱりずっと聴いていた。
2000年代に入って、DJをはじめ、あの喧騒のブリットポップも終息していく中で、マニックスもあまり聴かなくなった。DJをやるにあたって、クラブミュージック、ジャズ、ブルース、ファンク…配信などまだ定着していなかったから、よりたくさんのCDやレコードを買うので、ロックはほとんど聴かなくなった。
ロックをまた聴きはじめたのはいつかは忘れたけれど、DJを少しずつやらなくなってきたこの数年。
そして去年から久しぶりにマニックスにも再会した。だからライブにも行くチャンスは何回かはあったんだろうけれど、今回が初めてだった。
初日はステージ右手、ベースのニッキーの近くで見る。最初からマニックスでたぶん一番に有名なmotorcycle emptiness!。それからeverything must goって再始動した際のアルバムタイトル曲。1985…まだキッズだった彼らに、モリッシーとマーが(THE SMITHSが)選択肢をくれたと歌う曲。
気付けば手を上げて歌っていた。
隣になった外国人の男性とふたり。
クラブミュージック以外では外国人がめちゃくちゃ多いな、と思ったライブで、
目の前で太ったでっかい男性がずっと泣いている。
後ろでは中国語の会話が聞こえる。
それにずっと360度くるくる、ビールを片手に回りながら踊っている髭の男性と目が合うと、
グッドのサインをくれる。
ライブ最初の方はバラバラに聞こえていた演奏が、会場の雰囲気と、ベストの選曲(隣の外国人男性がグレイテストセット!と叫んでいた')でどんどんと熱いものになっていく。
アンコールなし、80分、一気だった。
隣の彼とシーユー!と別れる。
実はスウェードとのWヘッドライナーだったけれど、スウェードも好きだけど、マニックスの興奮を取って置きたくて、Tシャツを買って、帰路に着く。
そして2日目!。
スウェードが今度は最初で、見た。もちろん凄く聴いたバンドだし、ブレッドが以外や以外、ものすごく身体も大きく、びっくりした。スウェードの歌もたくさん一緒に歌えるなあと思う。
マニックスは今度はステージ左手で見る。
最初はちょっとずっと携帯をステージに向けているお客さんがいて、参る。
見えないよー、と。
セットリストは少しだけ変わっていたけれど、
グレイテストセット!。
なかでも、僕があまり聴いていない時期の、
your love alone is not enoughが、二日間でとりわけ心に残る。
目の前のカップルのやはり外国人男性が、その曲が鳴った瞬間に泣きはじめ、女性が肩を抱き寄せていた。
カメラを向けることに夢中だった彼も、気づけば合唱してる。
やっぱり80分、あっという間だった!。
もし生まれ変わるなら…ずっと思っていることがある。マニックスのライブだけ追いかけて、ファーストアルバムのジャケットの入れ墨を入れて、それだけで過ごしたい。
だって最初に、ライブを見たい!と、東京ならライブが見れる!と、引っ越しを決めたバンド…つまり1995年、マニックスが僕に選択肢をくれたわけだ。
それから30年、ようやく見れたんだ。
初日の帰り道、片方が止まった山手線で、座っている女の人がずっと立っている女のひとと手を握り合っていた。
どこかの駅で降りて行ってけれど、ふたりの雰囲気にいとおしさを慈しみを感じた。
そしてこの二日間の光景をずっと覚えているんだろうな、と思った!。
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