愛してる、突然にひとはいう
1998年の春、僕は二回目の浪人生活を、今住んでいるこの街で過ごす。友達を作る気はあまりなかった。というよりシャイ過ぎる性格で、入校しても、周りの人みたいには直ぐにバディを作れずにいた。僕の席はいつも決まって教室の右奥の後ろから二番目。授業の合間にはずっと週刊漫画雑誌を読んでいた。4月の半ば、僕が自分が座る席に鞄を置いていつものように、喫煙所で煙草を吸って帰ってくると、鞄がもう一つ前の席に置き換えられていた。いつもはそこにいる女の子の二人組が、一番後ろの席の男の子二人組と弾んだ会話をしていて、やっぱり疎外感を感じる。それでも喫煙所ってやつは、それがただ水の入ったアルミのバケツだけが灰皿代わりに置かれていたとしても、社交場になる。4月の終わりにはそこで女の子と話し出す。男の子もそこに加わる。このあと、ファミレスでも行かない?男二人、女二人。ウェンディーズに初めて行く。そのうちの一人の女の子が、ちょっとおしっこしてくるねー、といってトイレに立つ。僕はそこでようやく、14歳の中三以来の女の子の現実と出会う。それまで引きこもっていて女の子なんて、どこか遠い、おとぎの国にいるような存在だというように、現実と乖離していた僕にとって、それが女の子も同じ肉体を持った生き物なんだ、と感動する。
5月初め、GW、僕は後ろの席の男の子の二人組に頼まれて、彼女たち4人組とカラオケに行く約束を取り付ける。いまはあるかもわからない、場所も定かではない、カラオケ屋さんは、ステージがあって広く、マイクにはスタンドすらついていた。しばらくそれぞれがそれぞれの出方をうかがう。僕はそれにいたたまれず、僕入れるねー!なんていってステージに立つ。モータウンビートが流れてくる。みんな、ヒロスエのこと、好きー?なんて頭を振りながら、MCを入れながら、マジで恋する5秒前を振り付きで歌う。調子っぱずれの歌と踊りで、でも全力で。女の子たちがキャーキャーいいだすのを聞いている。かわいんだけど!そんなことば。男の子たちの引いてる顔。あとであれでみんなが歌い出したよね、ありがとね!といわれる。もちろん、女の子に。人前で初めて歌うのが楽しかった日。
Tさんはそこにいた。5月半ばに学校内で暴れる男の子がいた。ひとを呼び出して、カツアゲをするような。僕はそれを知らず、彼をただのストリート・ビーツとかが好きな子だと思っていた。たまに音楽やヤンキー漫画をするような。でも彼は校内の素行にかなりの問題があり、Tさんに聞かれた。Gちゃんさ、誰の味方なの?僕はまったく事情を知らなかった。だからTさんにちょっとだけ苦手意識を持った。喫煙所にはKさんって子がいた。僕が自主室から煙草を吸いに行こうとすると、タバコ?あたしも行く、なんて、よく二人で喫煙所で語った。人生について、これからやこれまでのこと。ずっと僕の理想論、現実と乖離した理想を、その現実へ着地させようとするように、話を聞いてくれた。いま考えても彼女たちは一つだけ年上の僕より、相当に大人だったんだと思う。
Gちゃん、髪を切るよっていってくれた女の子がいて、8人で友達のマンションの庭に集まったのは、初夏だった。川沿いのマンション。いいだしっぺの女の子はすぐに散髪をやめ、Tさんが、私、女子高で後輩とかの髪の毛切ってたから、とかいいながら、僕が用意した鋤ばさみですいすいとマッシュルームにしてくれた。Tさんは、8歳上の高校の時からの彼氏がいて、たまに車で迎えに来てもらっていた。やっぱり、大人だなあと思っていた。ストーンテンプルパイロッツやポルノフォーパイロスが好きだっていってて、嬉しかった。僕の周りに少しだけジャンルが違うとはいえ、洋楽を聴くひとがいるんだな、って思った。
ヤンキー少年も夏前にはいなくなった。詳しくは知らないけれど、本当に平和になった、みんなが安堵していた。夏にはある男の子が女の子に告白するっていいだして、周りが色めき立った。でも彼は彼女を呼び出してから、ちょっと待つ間に、屋上に行って飛び降りたいなんていいだした。男の子二人でとめるのを聞きながら、社会性のかけらもない僕は、じゃあ死ねよって呟いて、止めてた眼鏡の男の子に殴られた。カップルもできた。すぐに別れた後、振られた男の子が彼女を殺す、といった。その彼女は件の鞄のバディの片方の子。男の子の過去をみんなが噂していた。高校時代にも失恋で焼身自殺をしようとした。安定剤を飲んでる。安定剤をやっぱり飲んでいた僕には、聞き耳を立てながら、その噂のほうに傷つく。
よくあるようにやっぱりグループは簡単に別れていく。僕は学校自体行くのが気まぐれになる。M君って男の子がいた。高校生で、その小さな予備校の1番頭の良い生徒。M君とは小論文の授業でしか話さなかったけれど、バンドのはなしやクリストファーネメスを着こなす彼は、かっこよかった。小論文の授業は、先生から始まる雑談がとにかく面白かった。哲学者なんてな、ひとつのテーマを見つけたら、同じことしかいわないだろ?僕は笑う。脳だったら脳、幻想だったら幻想、そんなもんだよ。僕は笑う。
それでもだんだんと喫煙所からも足が遠のき、受験シーズンもあっけなく終わる。僕は第1志望の大学に受かった。嬉しくて何度も当時まだ家にあった電話機から、受験番号を入力すると流れる合格のテープを聞いた。
進路がそれぞれに決まって、最初に遊んだ8人で慰労会といって、ファミレスでお酒を呑んだ3月。誰かがみんなそれぞれにひとこといってこう、って野暮なことをいいだす。Tさんが僕に向かっていう。愛してる。僕はテンパる。周りも止まる。それが誰かに、自分以外の誰かに愛してるっていわれた最初の記憶。Kさんによく愚痴っていた、愛のない環境で育っていたことを、あの喫煙所で。それを知ってか知らずか、いまも初めての愛してるのことばをくれた女の子を思い出して書いている。ちなみにKさんは、30になってお互いひとりだったら結婚しよう、初めてのそんな約束を交わした。そんな約束が叶えられることなどないのだと知る前の話。あの喫煙所で、KさんやTさんに僕は少しずつ社会性を教わった。
愛してる、いうのもだけど、愛してるといわれるのも、満更じゃないことを知った、春の日。
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