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悟った夢。救いとは「」である。

最近は少しピアノをお休みして、色々と勉強系を楽しんでおります。
具体的には英語と歴史の日々。

今日は、夢の話を書きます。

少し前にも書きましたが「COTEN RADIO」にハマってます。
何年も続いてるラジオなので、話数がめちゃくちゃあって、全部聞き終わるのは何年後?という感じ。
気になるシリーズをあれこれと聞いていって、最近は「最澄と空海」を聞きました。

何日かに分けて聞いているので、聞いている数日間はふと最澄と空海のこと、仏教のことを考えたりしていたからか、変な夢を見たらしく、ある朝起きた瞬間に、
「救いとは、惨めさを消すことである」
という言葉が降りて来たんです。

え?

その言葉以外の夢の要素をなーんも覚えてない状態だったので、いったいこの言葉は何??ときょとんとした状態の目覚めでした。
夢の内容をがんばって思い出そうとしたけど何も思い出せず。
どんな夢だったんだろう…。悟った夢でも見たのかな…。

最澄と空海のシリーズを聞いてる中で何度も「衆生救済」って言葉が出てきたし、最後の振り返り回のところでも、この時代の民は結構苦しんでいるからお経を読むだけで救われるという言葉は心の安らぎになっただろうという話が出てきたりしたので「救い」という言葉がキーワードになる夢を見るのは納得がいきます。

でも。
「惨めさを消すことである」
って、そんな言葉は聞き覚えがない。
最澄と空海のシリーズの中でも、こんなフレーズは出てこなかったはず。
何なんだろうこれは…と思いつつ、自分の興味関心とは近いので、頭の中で色々と結びついた結果のこのフレーズなんだろうなーと結論付けました。

惨めさを消す。

救いというのは、苦しみがなくなることだと思うけど、そういう意味ではこの言葉は「苦しみとは惨めさのことである」とも言い換えられるのかな。
うーーーーん。苦しみってもっとバリエーションがありそうだけどなあ。
惨めさだけってことなくない??

例えば… 寂しさも苦しみの一種と言えそう。
いや待てよ。心地よい寂しさというか、一人でいることの快適さもあるわけだし、やっぱり寂しさの中でも「惨めさ」を含むものが苦しみなのかもしれない。
なんというか、ただ「ひとり」という状態そのものは「寂しい」に直結せず、「ひとりで惨め」と思うとそれは「寂しい」になるのかもしれない。
んーーーなんか言葉が足りてないな。例えばひとりを楽しんでいた時に単にふと「寂しいな、誰かと話したいな」みたいな軽い寂しさがおとずれたとして、その状態のつらさレベルは軽いもので、でもその気持ちに「惨め」が加わると一気につらさが増す、つらさレベル爆上がりみたいな。
「惨め」というのは私の中でこういうものかもしれない。

なんか、何を書いてるのか分からなくなってきましたが、こういうことをつらつらとあてなく考えるのが好きなので、楽しんでおりました。
私は仏教についてちゃんと勉強したわけでもなく、さらっとCOTEN RADIOで聞いただけでまともな知識は無いため、そもそも「救いとは〇〇である」みたいな言い回し自体が変かもしれませんが、まあ言葉遊びですね。
特に結論はありません笑
ということで、変な夢を見て起きたら言葉が降ってきた、という話でした!

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