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私たちは”音”と共に暮らしている!

数年前、放射線治療の影響で両耳が聞こえなくなった時!
本当の無音・静寂を体験しました。
その時、思い出した「音」があります。
それは、私の心を癒してくれる「音」です。
今も、日課の瞑想中によく想い出します。

それは、その昔…
暗闇の中を歩いた京都の竹林でのことです。
今や世界遺産である京都嵯峨嵐山の禅寺
臨済宗大本山「天龍寺」。
ここの総長に、当時私が司会をしていたテレビ番組にご出演頂くため、
ご挨拶に伺った時のことです。
以下は、入院中にベットの上で記憶を辿りながら書いた一文です。

『…とっぷり日が暮れた竹林の中の長い小径を歩いていると、
静寂の奥から囁きが語りかけてくる。

サワサワ ザワザワ

竹が風と話しているようでもあり、
自分の心のざわつきのようでもあった。

月明かりは闇をほんのり照らし、
灰色の雲の流れがはっきり見える。
しだいに目は闇に慣れ、
五感が研ぎ澄まされていく。
どのくらい歩いたのか、時間の感覚すらない。

チロチロ、サラサラ

水音が聞こえた気がした時、
雲水さん達の修行道場と総長のお住まいが薄明かりの中に見えてきた。
玄関先に立つと、阿吽の呼吸で、お一人の雲水さんが音もなくお出迎え。
どこでお待ちくださっていたのだろう?

その雅で美しい所作に、一瞬で心を奪われた。
畳に額をつけんばかりのひれ伏すようなご挨拶。
袈裟さばき。
お顔を上げられると、
「お待ち申し上げておりました」
と、静かだけれど闇に響く深みのある声。
私は、笑顔も、返す言葉も忘れて、
ただただ有り難さに身が引き締まる想いだった。

足音を立てない雲水さんの後ろをついて行くと、
長廊下の先に、お会いする方のお部屋の灯りが漏れていた。

ドキドキ、ゴクリ

心臓の鼓動と自分の生唾を飲み込む音がはっきり聞こえた。
このあとは、雲水さんの手料理と竹筒にはいった隠し?酒でおもてなし頂いた。
総長の温和なお声とお話と共に、私の人生を左右するほどの珠玉の時間が流れて行った…。

修行僧のことを、古来「雲水(うんすい)」と呼ぶ。
私も、行く「雲」のごとく、流れる「水」のように、
生きていきたい。』

今も、その時の情景・音・想いを
昨日のことにように思い出すことができます。

TVニュースによると、
「自然の中で暮らしたいと郊外に移住したはずが、
住んでみると川のせせらぎや虫の声をうるさく感じ、都会のマンションに戻る人が少なくない!」と伝えていました。
私たちは、聞き慣れない音に敏感ですが、
しばらくそこに暮らせば、脳は音を認識し受け入れるんですよね。
現代人は、変化に対しての我慢が足りないのかもしれませんね。

私たちは「音」に励ませれ、「音」に癒され、
音と共に暮らしている。
聞きたい音を選ぶこともできますね。

今は、最新の補聴器で聴覚を取り戻した私ですが、
様々な”音を楽しむ気持ち”を大切にしたいものです。
人の声も含めてね♡


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