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残した言葉、想う事。


初めて勤めた会社を思い出す、
とっくに離れてるけど、最初を形成してくれた、飲食店が初めて、僕は「いらっしゃいませ」すら言葉にだせない青二才だった、和食の世界で料理長の下について働いていた、なんと言うか職人って言葉がよく似合う、言葉遣いを正され洗い物をこなして瞬きの間に1日は過ぎていく、盛り付けをしてみろとポテトサラダを盛ってもこんなのお客さんにだせるか!!と叱咤され、通ります!と声をだしながら料理長の後ろを通って背中を平手で殴られ血走った目で「儂が刺身をひいとるじゃろ!!」とまた怒られる、帰りの電車で背中を丸くしながら悲しく打ちひしがれていた。
ある日、バイトの子が足りないとホールスタッフとして駆り出されることになった、先輩のスタッフと仕事をするのかと思っていたらそこにいたのは会社の社長だった、「おう!がんばろうな!」と声をかけてくれた、お客さんがくるまでの間、おしぼりの準備やお冷やの確認と身の回りの整理や把握から始まる、その中での言葉が僕は印象的だった、「いいか?お冷やを持っていくときにコップの下に小指を置くんだ、1度小指をバウンドさせると机にガンッてならないんだぞ」最初は全然意味もわからなかったんだ、何が違うんだろうと本気でそう思いながらその行動をやったりやらなかったりしてどう違うんだろというのを考えた、でも僕の意識は自分がお客さんになったときに衝撃を覚えた、机にお冷やを置くときに音がしないのは品がある、わかるかわからないかくらいの拘りって自分が感じたときにやった方がいいってなる。その後、厨房では山葵の盛り付けを教えてもらい、人差し指中指薬指の間に山葵を置き山のように盛りそれを箸でとって皿に立たせる。そんなこと?とやはり初めは思うのだ、でも厨房の中でもそれをする人とそれをしない人が別れていて、その仕事量の差すらも比例になっていた、「できる気遣いはしろよ、些細な事でも嬉しいって思わせれなきゃ駄目だぞ?」と社長は言ってくれた、都度仕事を教えてくれる、言語化しながら先ずは体現して次に「じゃあやってみろ」と、頭のいい人なんだな、と分不相応に感心して、僕はこの人が好きだと働くモチベーションにしていた。

退社を決めた時、焼き肉に誘ってくれた。

「お前はいい奴だから、どこいっても大丈夫。それに俺が育てたしな」

はい、僕は貴方の背中で育ちました、沢山学んで沢山経験して、でもそうやって成長を自覚できる度、貴方がどれだけ高い壁か思いしらされるんです、だから僕もまだまだって走る事ができるんです。

恩人は音沙汰のない時間の中で、遠い人になっていた、それが耳に入ったのが遅くて、後悔がすごい早さでやってきた、

最後の給料袋には手書きのメッセージ、
貴方には、与えてもらってばっかりで、心の声を出すなら、

悔しい

聞いてください、僕は珈琲屋さんを志してます、貴方のしてる事を追ってるみたいに、珈琲屋さんを目指そうと思ったきっかけは別では有れど、心のどこか少しで貴方になれたらな、はあるんです。

僕の憧れの人へ。

僕は元気です、胸張って会いに行けるようになるまで、貴方の影を追っかけてます。

僕は、元気です。

そんな言葉は嘘で、
本当は貴方のくれたメッセージを読んで、足りない自分に嫌気すら差してます、
それでもまた会えたときに恥ずかしくないような自分でいれるように、かっこいい生き方します、貴方のような。ではまた

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