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大天使ミカエル

私はキリスト教信者ではないけれど、あるとき、天使の絵を描いてみたいと思ったのでした。

その頃、私はスペインに暮らしていて、町中どのブロックにも教会があり、美術館に行けば見きれないほどのキリスト教絵画を目にする日々。その中で、キリスト教絵画を描くとは一体どういうことだろう?という思いが深まり、自分でも描いてみたいと思ったのです。

聖像画を描く以上、自分でなんとなく描くのではなく、きちんと学んで描くべきじゃないだろうか...という、私にしては殊勝な考えから、当時暮らしていた界隈でずっと気になっていたアトリエの扉を叩きました。

そのアトリエは、テンペラ画の技法でイコン画(聖画像)を描くための教室でした。アトリエ主である先生は、キリスト教信者でもない日本人の私がイコン画を描きたいと来たことに驚きつつも喜んで迎えてくれ、テンペラ画の基礎から教えてくれました。

土台となる板を磨くのに一日。下塗りにまた一日。下絵を描くのに数日。そこから、卵と酢で顔料を溶いた絵の具で、コツコツと板に色を載せていきます。絵の具はすぐには乾きません。色の調整も簡単ではありませんでした。

「とにかく辛抱強く。イコンを”書く”のは時間がかかるものよ」先生は、合言葉のようにそう繰り返しました。

イコンは”描く”ではなく”書く”という言葉を使っていました。聖画像に出てくる天使やマリア、イエスのポーズや衣装、その色や記号、画面に書き込まれた言葉には全て意味があり、それらは単なる「絵」ではなく、形を持った祈りの「ことば」なのだ、という考えです。

こうして、アトリエに通い初めて3か月たった頃、「もう、これは完成したと言っていいわ」と先生が言ってくれて、私が初めて”書いた”大天使ミカエルの像は完成したのでした。

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大天使ミカエル   27cm×13cm 板にテンペラ

もう何年も前に書いたものですが、ほとんど退色が無いことに驚きます。

これをIllustratorなどのグラフィックソフトで描こうとすれば、1時間くらいで描けてしまうのかもしれない。でも、時間をかけて顔料を塗り重ねながら書いたイコン画は、それにかけた時間や思いがつまって物質化しているように思えるのです。

「もの」としての絵画は「データ」としてのイメージとはやはり全く違う性質のものなんだなって思います。



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