ジュニア期間というモラトリアム

先日、かつて応援していたアイドルがデビュー発表をした。
かつて、過去に、好きだったアイドルが。

私の大好きだった形が崩れて、その欠けた形のまま進んでいきますと言われ手放した。壊れてしまったものをもう愛せないと思ったから。

私が好きだったのは、六人の君達で。君達の中の一人でも欠けると私の好きな君達ではないんだよ。そんなに優しくないよ。だって私の人生だからね。捧げてなんてあげられない大切な宝物だからね。

そんな考えをしていたのは自分だけだったらしい。
「形が変わっても応援し続けます」
「これからの彼らの背中を追いかけます」
周りを観てみれば、そんな綺麗事ばかりの世界だった。
自分は間違った選択をしていたんだ、普通は自分の好きな子が脱退していなければそのまま推し続けるんだ、へえ、くだらね。と携帯をぶん投げた。

私が好きだったのは、担当本人ではなく六人でいる中にいる彼だったのかもしれない。欠けてしまった箱の中にいる彼に一ミリも興味を持つことができなくなってしまった。自分だけが、まだずっと後ろを向いている。本人も、周りのオタクも、前を向いているのに。

またこうだ。

過去に好きだったアイドルが渡米した。わたしたちの元から離れていってしまった。情報も何もかもすぐには届かない環境で、私たちを置いていってしまった。そんな喪失感に襲われ、彼らも手放した。朝、目覚めるとニュースキャスターの声で彼らのデビューを知った。その時に、自分の知らないところで進んでいく彼らに寂しさと悲しさを覚えた。

何かに向かってひたむきに走る彼らと彼らが好きだった。
それを一緒に応援している自分のことも大好きだった。
その時間が愛おしくてこのまま全部時が止まればいいのにと何度も願った。
でもそんなのはただの幻想で、現実は甘くない。

置いて行かれただの、散々いったがそうじゃない。自分が変わってしまっただけなんだ。変化を恐れ、現状を愛し、過去を羨む。そんな性格の自分に、未来不確定な彼らの応援なんて端から向いていなかったのだろう。

ジュニア期間というモラトリアム。

世間の目に晒される機会が少なく、成長を間近でずっと見守っていられる幸せな時間。彼らの将来や行先を一緒に描いていられる大好きな時間。

なのに、その期間に終わりが見えるたび自分だけがそこに囚われしがみついてしまう。彼らはすぐにでもそこから抜け出しそうと毎日必死に進み続けているのに、オタクの自分だけがずっとこのままでいよう、と足を止めてしまう。そうした結果がこれだ。勝手に、置いて行かれただなんて決めつけて、私が足を止めただけじゃないか、ついていってあげなかっただけじゃないか。

もしかしたら、オタク、向いてないのかもな。


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