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グリーンスリーブス~悪魔の要塞~⑧

 第七章 ヒッポグリフ

 次の日も雲のまばらな快晴であった。まだ空が日の登らない、紫色に焦げたような朝の内から、コヨーテを始めとする賞金稼ぎたちは屋敷を飛び出し、真っ青に若い大麦畑で準備を始めた。一方、私はこのときまだゴールディング男爵の屋敷で爆睡していたので、以下の準備の様子は当事者の証言から想像して書き起こしたものである。
 まずトラヴィスがゴールディング男爵から下賜された囮の馬を大麦畑の中央へ連れて行き、地面に深く杭を打ち込んで、そこへ馬を繋ぎとめた。しかしそれだけでは、ヒッポグリフを釣るのは不十分である。すると次にトラヴィスは、セオドアとアルフォンスに協力してもらって、近くの大麦を刈り取り、そこへみんなで木を積んでいった。
 狼煙でもをあげようというのか? 
 いったい誰に? 
 ………それはとりもなおさず、あの忌まわしきヒッポグリフに対してである。トラヴィスが説明するところによれば、ヒッポグリフは好奇心が強く、大量の煙が上がれば興味を示して、近づかないまでも「何だ何だ」と視線を向けるのだという。すると百マイル先を飛ぶ鳥の種類を見分けるヒッポグリフである。そこへ大麦畑に佇む馬を見れば、食べようと寄ってくるという寸法だ。
 囮になる馬に積んできた薪を、だいたい人の背丈になるまで積み上げた頃には、太陽が昇って空が白んできた。決戦を前に七人はパンとチーズ、それからハムで簡単な朝食を摂った。
「最後の晩餐ならぬ、最後の朝食か!」
 そう言ったのはセオドアだったという。後に彼の身に起こった出来事と合わせって、セオドアのこのセリフはコヨーテに深い印象を残した。
 朝食を終えた七人は、囮役と攻撃役で広い麦畑に散り散りになった。最初の囮役として、トラヴィスが薪に火を点けた。火が付くまでに時間がかかり、大きなかがり火になるにはそれ以上の時間がかかったが、何とか大量の煙が立ち上らせることができた。その日、その時間は風がなく、煙は一筋の糸のように天へ立ち上って行ったという。

 その様子はゴールディング男爵の屋敷からもよく見えた。何故なら私が起きて、いの一番に見たのは窓の外へゆらゆらと立ち上る煙だったからだ。
 いかん、寝過ごした!
 私は素早く着替えてリュートを持って屋敷を飛び出した。すると頭上を巨大な影が横切り、直後にとても立っていられないほどの、とてつもない突風が吹き荒れた。
 ヒッポグリフだ! 
 私が地面に転がりながらも観察したところ、ヒッポグリフは黄色いくちばしに純白の羽毛に覆われ、上半身は聞いた通り鷲の姿をしていた。羽と前足は完全に分離していて、前脚の先端には鋭く大きな鉤爪を備え、飛行中は犬かきをするように動いている。一方、馬の下半身はは栗色をしていて、飛行する間はだらりとぶら下がる格好をしていた。確かにトラヴィスから聞いた通りの姿形である。
「ひえええええ!」
「こいつを付けては来るものも来ないだろう」と、私は前日にコヨーテから魔物除けの呪符を預かっていた。しかし実物のヒッポグリフ前にすると、今にもあの鉤爪でガッと掴まれて、グワッと上空へ引き上げられそうだった。私は思わず悲鳴を上げて屋敷の中へ逃げ込んだが、当のヒッポグリフはそんな私の姿など眼中になかったようで、遠く、煙の上がっている方へと一目散に飛んで行った。前述したとおり、このときヒッポグリフは我らが賞金稼ぎたちの用意した馬へ向かって行ったのだ。
 ヒッポグリフが頭の上を過ぎ去ると、一拍間を置いて私はもう一度、屋敷から飛び出し、大麦畑を一望できる丘を目指して急いだ。ここから視点をコヨーテの方へ移そう。

 このときコヨーテは仲間たちと共に大麦の畑の中へ伏せてヒッポグリフを待ち構えていた。立っているのは馬だけだった。
 日が差し込んでくると、冷たい夜の涼しさとは打って変わって、汗ばむような気温になった。大麦畑の中は土と大麦の青臭い匂いでむせ返るようだった。
 コヨーテの背後にはアルフォンスとエマ、それからトミーがいた。切り開かれた麦の対角線上にはトラヴィス、セオドア、ヴィルフレッドがいるはずだった。
 一体、何人生き残れるだろうか。
 と、そのときコヨーテは考えたという。しかしすぐにその考え、というより考える行為を振り払った。何も考えずに、全力でヒッポグリフの足を狙うこと。今、この瞬間、全てのエネルギーをそこへ注ぐ。それだけを考えればいい。
 それからコヨーテは銃の点検をしようと、コートから散弾銃を取り出して、散弾銃に装填された弾丸を確認した。
 そこへ突然、ヒッポグリフが現れる。すかさずトラヴィスが立ち上がって、あらかじめ用意していおいたバケツの水で、篝火を消火して背中からクレイモアを抜いた。直後に、凄まじい突風、いや嵐が大麦畑に起こった。あまりの風にコヨーテは目を開けてはいられなかったほどだったという。このときコヨーテは大麦畑の大麦が一つ残らず吹き飛ばされてしまうのではないかと思った。実際に何本かが風に撒きあがって飛んでいくのが見えたらしい。風がやむとそこには、ヒッポグリフの堂々たる立ち姿と、それに対峙するトラヴィスの姿があった。
 囮の馬はヒッポグリフの前脚に捕まれて、地面に伏せられていた。首はあらぬ方向へねじ曲がっていて、目と耳からは血が噴き出ていた。恐らくは即死だろう。トラヴィスが手綱を結び付けて置いた杭はその衝撃で根元から引っこ抜かれたと見えて、先端に土を付けて転がっていた。
「かかってこい! 怪物め!」
 トラヴィスはクレイモアの鋼を陽光に煌めかせ、大げさに大声を上げていた。
「ゲゲェー!」
 ヒッポグリフが威嚇の鳴き声を上げる。コヨーテの位置からは、ヒッポグリフはトラヴィスと同じ、真正面に位置した。攻撃を仕掛けるには、当然、真後ろへ回り込む必要がある。コヨーテは銃を構えると、後ろにいるトミーを筆頭に、アルフォンス、エマにあらかじめ決めて置いたハンドサインで「ついてこい」と指示を出した。トラヴィスと同じく、囮役を引き受けるヴィルフレッドはその場で隠れて待機。セオドアは既に行動を開始したのか、姿が見えなくなっていた。
 耳も鼻も悪いとはいえ、静かに動くに越したことは無い。コヨーテたちは音を立てないように、姿を見られないように、ゆっくりとヒッポグリフの背後へ回り込んでいく。
 トラヴィスの方は危なげなく、ヒッポグリフの注意を引き付けていた。ヒッポグリフの嘴を素早い身のこなしで避け、前脚の鉤爪にクレイモアをぶつけていなした。
 その様子を見てコヨーテは「あれなら一日中でもやっていられそうだ」と思った。
 何とかヒッポグリフの後ろへ回り込んだコヨーテたちは、ヒッポグリフから三十ヤードほどの距離を保ったまま、チャンスを伺った。攻撃はまず、コヨーテが素早く近づいてヒッポグリフの後ろ足を狙い、それが失敗すれば次はトミー、攻撃の前に飛行を始める素振りが合ったらコヨーテの合図でエマが矢を撃つことになっていた。アルフォンスはエマの護衛であるが、実際のところは戦力の勘定に最初から入れていない。その代わり、アルフォンスはコヨーテの薬の入った鞄を預かってもらっていた。
 コヨーテはヒッポグリフの下半身を普通の馬程度の大きさに想像していたが、実際に見てみると、ヒッポグリフの下半身は普通の馬の二倍以上の大きさがあった。
 コヨーテの散弾銃は上手く命中すれば馬の脚の一つや二つ、吹き飛ばすほどの破壊力がある。だがあれほどの大きさになると、負傷させる自信はあったが、吹き飛ばすまでにはいかなそうだった。
 それでもやる。やるしかない。
 自分にそう言い聞かせて、コヨーテはコートの下から散弾銃を抜いて安全装置を外した。するとヒッポグリフが、どうもこの生き物は一筋縄でいかないと分かったようでトラヴィスから距離を取った。

 このとき、私は丁度、ネイタム村の家々を抜けて、大麦畑が見下ろせる丘の岩へ取り付いたところだった。するとコヨーテが(緑のコートを着てフードを被っているから見えにくいものの)怒った猪のようにヒッポグリフへ突撃していくのが見えた。
 だが時を同じくしてヒッポグリフも、その羽をばたつかせ始めた! コヨーテに気づいたからではなく、このヒッポグリフは老練であったようだ。トラヴィスの手練れた身のこなしに嫌な予感を感じて、ひとまず退散しようとしたに違いない! まったくトラヴィスももうちょっと手加減してくれたらよかったものを!

 今更引けるか!
 コヨーテは風が強まる中、十ヤードのほどの距離からヒッポグリフの右足を撃った。散弾が見事にヒッポグリフの右足に命中し、赤い肉片と血が緑の大麦畑に散った。
「アアーッ!」
 ヒッポグリフの悲鳴をあげた。その悲鳴の大きさは、山彦がベン・ミッダー山脈の方からこだまして聞こえる程であった。
 右脚を撃たれて、驚いたのか、痛かったのか、ヒッポグリフは空中でバランスを崩して墜落する。高度が低かったから、転倒によるダメージは少なかったようで、右脚がびっこを引いているものの、残りの足で立ち上がる。 だがヒッポグリフが落ちた場所は、ああ、なんたることだろう! エマのすぐ横ではないか!
 エマはヒッポグリフへ向かって弓を向けて矢をつがえる。しかしこれは明らかなミスだった。そんなことをせずに、すぐに逃げればよかったのだ。ヒッポグリフはまだ混乱していて、エマの存在に気づいていない。エマはそれをチャンスだとでも思ったのか、コヨーテの指示を待たずに、ヒッポグリフの胸へ向けて矢を射った。心臓を狙ったつもりらしいが、ヒッポグリフの羽毛はニワトリの羽毛なんかと違って固く、生え方もモッサモサと生えていて、とても矢など通りはしない。案の定、羽毛に矢が刺さったものの、血の染みも浮かばせることが出来ないでいた。むしろ、その行動はヒッポグリフにエマの存在を気づかせる結果となった。
 混乱から立ち直っているのか、それとも反射的な行動なのか、ヒッポグリフがエマへかぎづめを振るう。ああ、このままエマも家族の隣に骨を埋めてしまうのかと私がハラハラドキドキしたとき、大麦の茂みから颯爽とエマを突き飛ばす影があった。セオドアだった。私はこのとき、セオドアは悲鳴も上げずにヒッポグリフの鉤爪を食らい、宙を舞って五ヤードほど吹き飛ばされるのをはっきりと見た。
「セオドア!」
 トミーがセオドアの下へ駆け寄り、コヨーテは忌々しい化け物を何とかすべく、散弾銃をレバーコッキングする。すると悪いことは重なるもので、空の薬莢が上手く排出されずに詰まりを起こした。
「くそっ! こんなときにジャム(*弾詰まり)りやがって!」
 コヨーテが散弾銃から空の薬莢を引き抜いている間に、ヒッポグリフがセオドアと、彼を介抱しようとするトミーへ襲い掛かる。
「させません!」
 そこへ立ちはだかったのはヴィルフレッドだった。私はここで彼を見直すことになる。悪魔祓いをしているときいて、私は経典を片手に聖水でも振りまくばかりと思っていた。ところがどっこい、彼のメイス捌きというか、膂力は相当なもので、ヒッポグリフの鉤爪に向けて彼がメイスを振るうとパカーン、と明るい音を立てて砕け散った。これにはヒッポグリフも驚いて、右足を負傷しているにも関わらず翼をはためかせて飛び立とうとした。「行かせはせん!」
 ヒッポグリフの背後から、トラヴィスが飛びかかった。彼はヒッポグリフの尻にクレイモアを突き立てて、なんと飛び立とうとするヒッポグリフによじ登り始めたではないか!
 私は暴れ馬に飛び乗って馴らす騎士を以前に見たことがあるが、今回、私が目撃したのはスケールが違った。「ゲェー、ゲゲェー!」と叫びながらも飛び立つヒッポグリフ。激しく動くヒッポグリフの背中を、トラヴィスはナイフを抜いて突き刺し始める。適当な高さで飛び降りて逃げるかと思いきや、二十ヤードの高さになってもトラヴィスは飛び降りない。
 高度を上げるにつれ、ヒッポグリフの背中が垂直になっていく。羽の動きも相まって、トラヴィスは背中から、ヒッポグリフの胸へと転がるように移動した、いや転がったのだろう。そのときトラヴィスはヒッポグリフの胸に刺さる矢を掴んだ。そして胸からずり落ちる際に、その矢を思いっきり馬の下腹部へ突き刺した。
 前章で述べた通り、その矢にはコヨーテ謹製の毒が塗られている。
「グガーッ!」
 ヒッポグリフが今まで放ったものとは、少し趣の違う鳴き声を上げた。そして徐々に、その高度を落とし始めた。トラヴィスは矢を突き刺した後、落下する前にどうにかヒッポグリフの尻尾を掴むことに成功していた。彼はその状態のまま、ヒッポグリフと共に大麦畑へ落下した。
「トラヴィス!」
 どうにか散弾銃から空の薬莢を引き抜いてコッキングを済ませたコヨーテが、落下地点へ走る。ヒッポグリフは既に起き上がって逃走を始めていた。毒はヒッポグリフの命に影響は無かったものの、体を痺れさせて飛行能力を奪ったようだった。ヒッポグリフは片足を引きずりながら森の方へ消えていった。
 トラヴィスはヒッポグリフの落下地点に倒れていた。
「無事か!」
 コヨーテが駆け寄る。するとこの男、あれだけの大立ち回りを演じた割には右足をくじいただけで済んでいた。
「悪運の強い奴だな! あんたは!」
 感心するコヨーテを他所に「それよりセオドアを診てやれ」と、トラヴィスは言った。
「分かった」
 セオドアはトラヴィスよりも遥かに重症であった。ヒッポグリフの鉤爪はセオドアの厚い皮の鎧を引き裂いて、胸を切り裂いていた。トミーはセオドアの頭を膝にのせて泣きわめき、エマとヴィルフレッド、そしてアルフォンスが取り囲むように立ち尽くしていた。
「どきやがれ!」
 彼らを押しのけて、コヨーテはセオドアを診察した。息はあるが、意識は無い。脈を取ってみると、不整脈を起こしかけていた。
 すぐに傷を調べる必要があった。
「トミー! 手伝え!」
 コヨーテはトミーに手伝ってもらいながら川の鎧を外し、キルトのインナーはダガーで切り裂いた。セオドアの傷口は想像していたよりも浅く、少なくとも心臓までは達していないようだった。分厚い胸筋のおかげだろう。左の肋骨が数本と、胸骨が折れているようだった。骨片が内臓に刺さっていれば大事だが、調べる術はない。グリーンスリーブスの医術は主に疾病に対するもので、外傷に対してははなはだ無力であることが多かった。
 それでも我が友コヨーテは全力を尽くすことに決めたようだった。
「アルフォンス! 鞄を寄越せ!」
 コヨーテはアルフォンスから鞄を受け取ると、ガーゼを取り出し、蒸留酒で濡らしてセオドアの傷口を拭いた。
「私にも何か手伝えることはありますか?」
 ヴィルフレッドが訊ねるので、コヨーテは「こいつが死んだら葬式を頼む」と答えた。
 コヨーテは針と糸に直接、蒸留酒をぶっかけてセオドアの傷の縫合を始める。縫合を終えると、傷口を再び蒸留酒で消毒してから、止血効果のあるノコギリソウの粉末をかけて包帯を巻いた。
「これで応急処置は完了だ」と、コヨーテが言ったとき「こ、コヨーテ! せ、セオドアが苦しそうだ!」と、トミーが叫んだ。するとセオドアがの口元が震えて、ひどい汗をかいていた。コヨーテが手に触れると、ぞっとするような冷たさを感じた。
「まずい、心不全を起こしかけている!」
「ど、どうする! こ、コヨーテ!」
 コヨーテは鞄を探った。
「くそっ! ジギタリスは無いか?」
 ジギタリスとは心臓が縮むのを助ける強心剤せある。だがあいにく鞄の中にジギタリスは入っていなかった。
「何か………何か手はないか………!」
 するとコヨーテは口元を押さえて真っ青な顔をしているエマに目を止めた。
「エマ! 矢を寄越せ!」
 しかし、エマはコヨーテの言葉を聞いていないのか反応を見せない。
「おい!」
 足を叩くと、ようやくエマはコヨーテの呼びかけに気が付いた。
「矢を寄越せ!」
 言われるがままにエマはコヨーテへ矢を一本渡した。
「どうする気なんです? それって毒でしょう?」
 不安になってアルフォンスが訊ねるとコヨーテは「この矢に使ったトリカブトの毒は、錬金術で弱毒処理すると強心剤になるって古い研究資料を読んだことがある」と言って、空の空き瓶に水を入れて、そこへ矢じりを浸す。
「弱毒化処理には加圧と過熱の錬成陣が要る! ヴィルフレッド、ちょっと篝火の所から炭を取ってこい! 炭は火属性のエレメントだからな!」
 言われてヴィルフレッドは、あわてて篝火の後から一本の木炭を取ってくる。その間にコヨーテは瓶から矢を抜き、コルクを詰めた。そして木炭を受け取ると、それを二本に割った。そして鞄から白い布を取って地面に広げ、中央に小瓶を置いて木炭をこすり合わせ、錬成陣を描き出す。
「こ、こ、コヨーテ! は、は、早く!」
 トミーに「うるせえ! ちょっと待ってろ!」と怒鳴って、錬成陣を描き終えたコヨーテは両袖をまくった。するとコヨーテの両腕にはルーン文字の入れ墨が彫られていて、それが青白く光ったかと思うと、一気に両掌を錬成陣に叩き付ける。
 ボン、と音が鳴って小瓶の内側が白く曇ってひびが入り、コルクが焼け焦げて嫌な臭いがした。
「失敗ですか?」
 アルフォンスが訊ねると、コヨーテは「こんなもんだ」と言って、小瓶をハンカチで包んでコルクを引き抜き、注射器で中の液体を吸引した。錬金術を行う前は透明だった液体が、今は黄色く濁っていた。コヨーテは注射器を針を指ではじき、セオドアの静脈で突き刺すと「あとは古ザッカリーにでも神にでも祈るしかねぇな」と、薬液を注射した。
 セオドアは薬を注入されたのち、二、三回ほど痙攣した後に穏やかに呼吸を始めた。脈を調べると、それも安定し始めた。一同は安どのため息をついて、コヨーテは地面に尻をついて「やれやれ、ほとんどヤケだったが何とかなるもんだな」と言った。
「落ち着いている場合じゃないぞ」
 そう言ったのはトラヴィスだった。彼は左足でケンケンと飛びながら、コヨーテたちの下へ近づいていく。
「まだヒッポグリフは生きている。止めを刺しにいかなくてはならん」
「この状態でですか?」
 アルフォンスが驚いて言うと、トラヴィスは「奴は足を怪我して毒矢を受けた。今を逃せば次はない」と言う。
「俺も賛成だ。こうしている間にも俺の患者は死にかけているんでな」
 コヨーテも立ち上がる。
「とはいえ、動けないのは俺もセオドアも同じだがな」
 そう言ってトラヴィスはセオドアの横へどっかりと腰を下ろした。
「ということは、この二人を抜いた五人でヒッポグリフを倒すってことですか」
 アルフォンスが言うと「それでもやるしかない」と、ヴィルフレッドが言った。「しかし、ヒッポグリフの逃げた方向は分かりますか?」
「ヒッポグリフなら東の方にある森の中へ逃げ込んだぞえ」
 そこへリュートをかき鳴らしながら私が馳せ参じた。ずっと丘の上から戦いの様子を見ていた私は、ちゃんとヒッポグリフの逃げ込んだ先も見ていたのである。
「恩に着る必要はないぞ? ヒッポグリフをちゃんと討伐戦と、叙事詩にしたときに聴衆も納得せんからのう」
「もちろんだ」
 コヨーテは散弾銃を肩に担ぐと「俺は一人でもやる。付いてくる奴はいるか!」と言った。
「僕も行きます」と、アルフォンスが言うと「私も」と、ヴィルフレッドが続いた。
 エマも「私も行く」と答えて最後はトミーだ。
「トミー、お前は?」
 しかしトミーは首を横に振った。兄のそばにいたいらしい。
「分かった。アンジェリカ、案内しろ」
「ほい来た」
 私を含めた五人がヒッポグリフへ向けて進軍を介する。
 しかしその背後で、トミーはアルフォンスを呼び止めて「こ、これ」と鋼鉄の槍を差し出した。
「うん」
 アルフォンスは槍を受け取って、急いで四人の後を追った。

 戦いの方針は事前に打ち合わせたものと変わりはない。ヒッポグリフと距離を取りつつ、じわじわと攻撃を加えていく。変わったのは戦う場所と、人数が七人から四人へ減ったことくらいだ。
「グリーンスリーブスに聖職者、貴族の第一下僕に村娘、なんとも頼もしい仲間じゃな」
 私が言うとコヨーテは「吟遊詩人を忘れているぞ」と言うので「私はヒッポグリフを見つけたら一目散に逃げて、草葉の陰から見守っておるでの」と答えた。
「見守れるくらいの距離じゃ、魔物相手には逃げるとは言わねぇだろ」
「素晴らしい叙事詩には、実体験が必要なのじゃ。ま、危なくなったリュートで気を逸らせてやってよい。ヒッポグリフに音楽を理解する心があればの」
 私の記憶と、森に所々残る枝の折れた木、地面に残された血痕を辿って、我々はとうとう森の中にヒッポグリフを見出した。
 ヒッポグリフは木と木の間に身を寄せて、器用に足の傷を舐めているところだった。
「どうします?」
 ヴィルフレッドが言った。手負いの獲物を前にして、どうするもこうするもないだろう。
「斬って、撃って、殴って、突いて、射る! それだけだ!」
 いうや否や、コヨーテは草むらから飛び出してヒッポグリフへ突撃した。コヨーテの足音に気が付いて、前脚で飛び起きる。コヨーテはその頭に二十ヤードほどの距離から散弾銃で射撃を行った。
「ギャーッ!」
 悲鳴を上げて仰け反るヒッポグリフ。しかし打ち所が良くなかったのか、パッと宙に血が飛び散ったものの、傷は浅いようで素早く木の影へ隠れた。
 コヨーテは素早くレバーアクションで空の弾薬を排出した。このとき散弾銃の弾丸は残り一発。それが無くなればいかに強力な銃とはいえ、ただのデカい鉄パイプと化す。
「うおおおおあああああ!」
 雄たけびを上げてヴィルフレッドはメイスを、アルフォンスは槍を掲げてヒッポグリフへ向かって行った。エマが彼らの背後から弓で援護を行う。その様子は大乱戦であった。ヒッポグリフが暴れ回り、ヴィルフレッドとアルフォンスがえっちらおっちらと攻撃を避けては二手に分かれてヒッポグリフを殴りつけたり、槍で突いたりした。エマは次々と矢を撃っていくものの、多くはヒッポグリフの羽毛が厚い胸部へ突き刺さるばかりであまり効果が無い。
 その内、アルフォンスをヒッポグリフが鋭い角度から鉤爪を振り下ろした。そこへコヨーテが、前脚を散弾銃で撃って怯ませ、間一髪、アルフォンスを救う。しかしこれで散弾銃はいよいよただの鉄パイプになってしまった。
「仕方ねぇな!」
 コヨーテはそう言って、散弾銃を仕舞って、コートの下から例の注射針が付いた金属チューブを取り出した。注射針を保護するコルクを引き抜いて、自分の腕に注射した。
「があああああああ!」
 コヨーテは一声叫んで、腰に差した二つのダガーを逆手に抜いた。
「え? 何?」
 エマが驚いて声を上げる。
「狂化の薬じゃ!」たまたまエマの近くに潜んでいた私が、親切丁寧に説明してやった。「体に注入すると、一時的に身体能力を底上げする霊薬じゃ! それなりの副作用があるがの………」
 ダガーを抜いたコヨーテは、凄まじい速さで、ヴィルフレッドとアルフォンスに夢中になるヒッポグリフの背後へ迫った。通常の倍以上あるヒッポグリフの馬の尻にダガーを突き刺して、トラヴィスがやったように背中へよじ登っていく。ヒッポグリフも連戦で疲労したのか、羽を動かし、背中を振ってコヨーテを振り落とそうとする動きにも精彩を欠いていた。
 コヨーテはヒッポグリフの首根っこに左手でダガーを一本突き刺して、それを手掛かりに右腕のダガーでヒッポグリフの首筋を何度も突き刺した。
「死ねっ! 死ねっ! 死ねっ! 死ねっ!」
 あまりの剣幕に、ヴィルフレッド、アルフォンス、エマは離れて見守るばかりである。
 するとヒッポグリフは前脚と後ろ左足でジャンプした。ヒッポグリフの背中に乗るコヨーテも一緒に跳ねて、着地と共にヒッポグリフの背中から、尻の方へ転げ落ちる。左手のダガーはヒッポグリフの首元に突き刺さったまま、もう一つのダガーはどこかへ行ってしまっていた。
「何をーッ!」
 そう言って無我夢中でコヨーテが掴んだものは、なんとトラヴィスがヒッポグリフの尻に突き刺したクレイモアだった。
 コヨーテは狂化の薬で増強された腕力に任せてクレイモアを引き抜いて、ヒッポグリフの背中を掛けあがり、ダガーを突き刺した傷口へ向かって、渾身の力を振り絞り、横薙ぎの一線を振った。
 斧で薪を割るような音が響いて、ヒッポグリフの頭が血しぶきをまき散らしながら空中へ吹き飛んだ。さしもの怪物も首を飛ばされては生きてはおれず、力を失って前脚から崩れるように倒れた。コヨーテも慣れないクレイモアに体を振り回されて、ヒッポグリフの体から地面へ落ちた。
「コヨーテ!」
 アルフォンスが駆け寄ると、コヨーテはクレイモアを杖に息を切らして立ち上がった。
「これで胸腺が手に入る」
 コヨーテの言葉に、アルフォンスは力強く頷いた。

 ヒッポグリフ討伐の知らせは、瞬く間にネイタム村を駆け巡った。どれだけ疑り深い者でも、コールディング男爵によって村の広場に掲げられたヒッポグリフの首を見れば、全員が納得した。それから我々が来た時は閑散としていたネイタム村も、一転してお祝いムードへ包まれた。
「凶悪な魔物ほど、だいたい祭りは長く続く。それだけただ酒が飲めるし、どこに隠し持ってたんだか美味いものも食える。だから魔物狩りはやめられん」
 そういうセオドアは、しかしベッドの上だった。彼はあの後、ゴールディング男爵の屋敷へ運ばれて、手厚い看護を受けていた。隣には椅子に座ったトミーがいて、側にはエマが申し訳なさそうに立っていた。
「セオドアさん、私のために………私のせいで………」
「そういう顔をするなエマ」と、セオドアは言う。「お前さんの参加は、全員の総意だったし、俺が勝手に庇っただけだしよ。ゴールディング男爵も、怪我が治るまで屋敷にいてていいと言ってるし」
「矢の毒もそれなりに効果があったしな」
 そう言って、セオドアの部屋にトラヴィスが、左手で松葉杖を突いて入ってくる。
「邪魔したか?」というトラヴィスに、セオドアは「いや」と笑って首を横に振った。
「コヨーテは?」
 セオドアが言うと「断っていたが、無理やり渡してきた。アルフォンスにもな」と、トラヴィスが答える。
「何を?」と、エマが訊ねると「報酬だ」と、トラヴィスは言う。
「ゴールディング男爵から出た賞金三百ポンド内の四十三ポンド。ほら、エマも」
「私は別に、賞金のために戦ったわけじゃないし」
「いいから受け取れ。色々あったんだ、何かと入り用だろう」
 エマは四十三枚の金貨の入った革袋を、トラヴィスから渡される。
「ほら、セオドアも」
 セオドアのベッドに金貨が置かれた。
「助かるぜ、何よりの痛み止めだ。あちちち」
 そう言って、セオドアは胸を押さえる」
「セオドアさん!」
 次に部屋へ入って来たのは、料理と酒の入ったバスケットを持ったヴィルフレッドだった。
「よぉ、お前にも狩りが出来たな」そう言うセオドアに対して「いいえ、当然のことをしたまでです」と、頭をかいた。
「やめてくれよ、坊さんがみんな当然のようにヒッポグリフに立ち向かわれたら商売あがったりだぜ」
 部屋が笑い声で溢れかえる。
「と、と、ところで」トミーが言った。「ぜ、全員に四十三ポンド配ると、七人で三百一ポンド足りないから、だ、だ、誰かが少なくならないですか?」
「一ポンド足りないのは俺だ」
 トラヴィスが言った。
「だから代わりに、ゴールディング男爵から、酒を奢ってもらった。ダガーヒル醸造所秘蔵の一本、王族にしか出荷されない熟成百年のバラミアンウィスキーだ!」
 そう言ってトラヴィスはバスケットから酒瓶を一本、取り出した。
「さぁ! みんなで飲もう!」
 オオーッ、と歓声が上がる中、セオドアは「あちち」とやはり胸を痛めるのであった。

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