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マカロン

この頃流行っているカヌレはお好き?

わたしはカヌレが流行る前に、それを食べたことがある。そのとき、ほっぺたが落ちる程の美味しさは感じなかった。見た目の可愛さは当時と同じ。小さくて可愛い見た目が映える世の中に受け入れられたのだろうか。

世間はカヌレを絶賛している。カヌレのお店には長蛇の列が出来ていた。わたしその列を横目に、隣のお店でマカロンを買った。マカロンは期待通りの味。ここで、カヌレが期待通りの味ではなかったことがわたしのなかの評価が低い理由だと悟る。


最近読んだ本が期待通りではなくて、複雑な心境でいる。なぜ複雑かというとそれを読んだ人たちが「すごく良かった」を連発しているように見受けられるからだ。もちろんSNS上なのでどこまでが本心かはわからない。書き手に対して良い印象を与えるべく、そう呟いている可能性もある。しかし、絶賛している声が多いのが事実だ。

こういうとき、少数派に立つと「アンチ?」と言われたり「文学をわかったフリして」と言われそうで公には呟けないのがもどかしい。なによりネガティブな意見はあまり大勢の目に晒したくないというのがある。しかし、自分の主張が埋もれるのもいやだというわけでここに記す次第である。


わたしはきっと「形容」が美しい文章が好きなのだ。だからこそ安直にイメージをそのまま書かれてしまうと美しさに届かず、物足りなく感じてしまう。Aという事象を、いかにAと言わずに描けるかといったところにこだわるのも好きだ。言わない美しさや、余白の美学に通ずるものがあるのだと思う。


世間の絶賛と自身の意見とのジレンマに耐えかねるときは、マカロンを食べて落ち着こう。板挟みになった感情をひと口で飲み込んで、美味しかったと丸く納めたい。

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