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金魚

浴槽の中で泳がせる指先。
小さな爪にちょんと乗せられた紅いペディキュアが金魚の背びれみたいに歪んだ水の中で揺れている。
ぬるま湯の中に身体を沈みこませると、わたしは水に溶けていって自然に呼吸ができる気がする。
このまま泳いでどこかへ行ってしまいたい。

大人になって、傷つくことが上手になったら、未だに瑞々しい実らなかった恋の忘れ方が、すっかりと上手になった。
瑞々しい果実のその果汁を零すことなくすっかりと飲み干せる。
何事もなかったかのように。
あの時は淡い恋心すら決して誰にも言わないで、その恋が破れたと知ったとき、声をひそめてひとりで散々泣いたのに、誰にも知られないために黙ってた。
でもそんなの今となっては笑い話。
何の価値も見出さなくなってしまった。
切ないって大袈裟な泣き顔をつくりながら聞いてくれる誰かのその表情は、わたしはすっかりもう真似できない。
どこかへ置き忘れたものは最後はどこへ旅立ったんだろう。

両手で掬ったぬるま湯は、上手にぴったりと合わせたはずの指の隙間から零れ落ちて、たてた両膝の上に滑らかに滑り落ちてくる。
わたしの行き場のない優しさを、愛に飢えた誰かに与えてあげたくなる。
与えて、気持ちよくなる。
与える快感に歪んだ視界には、受け取るその人の表情は映らなかった。
わたしの価値を感じることに溺れてゆく。

気持ちのいいことは、一度覚えたらそれは次第に物足りなくなる。
欲望とは、歯止めを知らせる理性を壊すもの。
初めは躊躇うように差し出したものの重さをいつしか秤で計ることすら忘れてしまった。


掻き毟るように与える愛がいつかわたしを傷つける。
それでも、掴んだはずのものが指の隙間から零れ落ちて、わたしの元から何も無くなることの方がよっぽど恐ろしい。
それなのに、もっとたくさん掬うたびに溢れる痛みは強くなる。
最初から、それは溢れるものだとわたしは知っておくべきだった。
もしくは、何も知るべきでは、なかった。

赤い金魚は、いつのまにか入れられた狭い水槽で一生を終える。
狭い水槽の中を泳ぐとき、いつかきっと、自由になることを夢見ていた。
けれど、外に出てしまえば、わたしは涼しい水槽の中では、誰かを和ませ愉しませていたと知りながら、固いテーブルの上で乾いてゆく。

手に入れながら気付けないその価値は、外から見たなら一層輝きを増して見える。

無機質な窓から射し込むまだ落ちない陽を灯りに、静かな浴槽の中でゆらゆらと脚をなびかせると、まだわたしの価値を知らない夕方の金魚みたいだった。

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