かわいいは鎧

小学生の時に、道徳の時間にそれぞれの長所を書いて紙を交換するという時間があった。
「ともだちを褒めよう」という趣旨で、それぞれ席が近い子と「字が上手」とか「おもしろい」とか「足が速い」とか卒業アルバムのクラスランキングに載りそうな言葉を並べた紙を交換する。
わたしは、ある女の子の紙に「かわいい」と書いて渡した。
その子はクラスで1番めか2番めくらいに顔が可愛いけど、すぐに女友達の悪口を言ったり仲間はずれにするくせに、先生や男の子の前ではいい子の顔をする女の子。
それを受け取ったその子はまんざらでもない笑みで、「えーそんなことないよぉ」と言った。
その子にあげた「かわいい」は、わたしの精一杯の嫌味だった。

「かわいい」は媚びてて弱くてダサいと思っていた。
例えば、めちゃくちゃかわいいチワワが出てくる、ある消費者金融のCMが嫌いだった。
理由は、大きくてウルウルしたかわいい目で上目遣いに人間を見上げるチワワの可愛さで、視聴者の記憶に残そうとするのが媚びてるようであざとくて嫌だったからだ。
チワワ自体が嫌いだったかもしれない。
「媚びた目をして飯をもらうようなのが嫌い。」ってお母さんに言ったら、あんたは捻くれすぎだわって呆れられたのを覚えている。

「かわいい」は弱くて愚かなものだった。
「かわいい」を振りまくだけで、誰かが「かわいい」って優しくしてくれる。
誰かに媚びて生きるみたいなぶりっ子、「かわいい」を利用して誰かの心を得ようとするような人が弱くて嫌いだった。
それは、多分、かわいくなれない自分の、かわいいものへの嫉妬だった。
そして、そうやってかわいく笑う「かわいいもの」達がものすごく眩しかった。

でも、大人になった今、女性アイドルが好きになった。乃木坂46とか日向坂46とか、どの仕草をとっても可愛いの塊みたいな彼女たちを目で追ってしまう。生まれ変わったら、田中みな実になりたい。
絶対憧れることがないと思っていた、可愛い人たちが大好きになった。
「かわいい」の威力に気付いたからだった。

捻くれていた小学生時代から成長して大きくなるにつれ、「かわいい」を目指すわたしがいた。
誰かにとって、可愛いわたしになりたい。
それは、男性だけじゃなくて先輩にも後輩にも、親からも先生からも誰彼かまわず可愛いと思われたかった。
絶対かわいいと思われたほうが人生が楽だと思ったからだ。かわいがられた方が得をして、ちょっとくらい失敗をしても味方になってもらえる。
だから、かわいいを身につけたかった。

自分に似合うメイクを片っ端から研究してお小遣いのほとんどをメイク用品に使った。
イヤリングや髪色を「かわいい」と褒められると、それを纏ってる自分が可愛い気がして嬉しかった。
「かわいい」を何度も検索したり、LINEニュースの「かわいいと思われる人の特長」みたいな記事を片っ端から読んだ。
かわいいと言われている周りの友達の真似をしてみた。

でも、誰かから「かわいい」を引き出すのはめちゃくちゃ難しかった。
もともとのポテンシャルもあるけど、「かわいく見せる」ということが難しい。
ごく稀に、わたしの顔がたまたまタイプにヒットしたらしい男の子からの「かわいい」も、おっちょこちょいなミスをしたわたしに、仲の良い女の先輩が呆れたように言った「かわいい」も何か違った。
違う。わたしの知っている「かわいい」と意味は全く違うし、その威力とは程遠かった。
わたしは「かわいい」を完全にバカにしていた。

アイドルや田中みな実は「かわいい自分の見せ方」のプロなのだ。
自分の魅力を分かった上でそれを磨くための努力を怠らない。
アイドルが週刊誌のグラビアを飾るために、誰かの目の前で美味しそうにパンを頬張っていても、ひとりになったら決して大好きなパンを口にしないと語っていたのを見たけど、それは決して彼女だけじゃない。
顔の中で自分の目立たせたいパーツは大きく見せて隠したい部分は上手に隠すメイクはもはやトリックアートなんだけど、それを毎朝毎朝完璧に仕上げるのはもはや職人だし、誰かの懐に上手く入り込むためには、謙虚でいることかつ相手の心をよく知らないと出来ない。
もはや、プロスポーツの世界だった。

「かわいい」は決してスタイルや容姿だけじゃなくて多様なかわいいがある。
自然体がまさにかわいい人もいて、飾らない天真爛漫な明るさに誰かの心が救われている。
わたし自身も、noteのお母さんみたいな人が「笑顔が可愛い」って褒めてくれたとき、その「かわいい」はわたしの中で威力を持って、その言葉のおかげで、笑顔だけはかわいい自分でいたくて、自然と笑顔が増えた。

なんだ。かわいいは弱くて誰かに媚びることだと思っていたけど、むしろ、自分にすら媚びられないくらい強くなきゃ「かわいい」なんてやってのけられない。
無意識か努力かそれは人それぞれだけど、かわいい人は自分の魅力を知ろうとしていた。

ONE PIECEのチョッパーの描き方が変わった理由の話が好きだ。
最初、作者の尾田先生は、マスコットキャラは媚びてるようで嫌いだと、チョッパーをもっと本物のトナカイのようにリアルに描いていた。
でも、アニメで可愛らしく描かれたチョッパーと声優さんの声に感化されて、「チョッパーにはちゃんと中身がある。可愛くても媚びては見えない」と考えて可愛いマスコットキャラクターのチョッパーを解禁した。
でもそれが更にチョッパーの人気の魅力を増したと思う。

かわいいは鎧なのだ。
どんな刃も、ぐにゃりと曲げてしまう鎧。
その鎧を纏うかわいいに貪欲な人が好きになった。
どんなに疲れていても自分がかわいいと思う人の動画を見たり、無邪気なネコの写真を見るだけで心は癒される。
誰かから受け取った「かわいい」があれば自信を持ち直せる気がする。
それくらい、「かわいい」は恐ろしいほどに、この世の何よりも最強だった。






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