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渇き

情緒のある夜に流される。

唐突にドラマチックに泣いてみたくなって座り込むフローリングの硬さ。
でもよくある、黄色味の間接照明も、桃のリキュールを炭酸水やオレンジジュースで割った簡易的なカクテルも傍に無ければ、ベッドで抱き合う誰かの影もない。
テレビから聞こえてくる大袈裟な笑い声に同調できずにリモコンを手繰り寄せる。

ただ、頭に残ったひとつの言葉だけで、わたしは生かされも生き絶えも出来る、グラグラとしたシーソーの真ん中に立っていたくなる。
ほの暗いリビングの真ん中で足元に響く冷蔵庫の作動音。

わたしは孤独だろうか。

暗闇がわたしに寄り添うように思える夜は、喉が冷たいアイスコーヒーを求めている。
誰にも話せない秘密とは、誰にも話さないから秘密だというのに、孤独だと感じたいがために大切に抱えては溜息をつく。
苦みを含んだ氷を口に含めば、渇きを思い出す。
もとより備わった欲求を抑え込める理性など、この夜にとってはものすごく悪いもので
ついつい甘くて美味しいそれで喉を潤す度に、渇きで息ができなくなるそんな毒の名を思い出す。

あなたはいいわね。何も知らないあなたは。

飲み込んだ言葉は渇いた喉の奥に張り付くように痛みを増す。
投げつけられた言葉はわたしへの嫉妬だという痺れをもった感情が頭をかすめる。
分かりきった悪意は渇いた喉には飲み干したい毒になる。
誰の顔も思い出せずに誰かの幸せも知らされない暗闇の中に身を潜めて、「知らない」という自由を享受できるならそれは幸せだというのに。

水の中で泳ぐのにそれを飲み込めないから渇いていく。
しんと静まり返ったリビングで、もがくように手足を動かすわたしは孤独だろうか。

この夜が、渇きを埋めるために誰かを求める夜であるのなら、その誰かも潤いに飢えている人がいい。
自分で慰められる傷は痛みが物足りない。
渇ききった者同士で貪り合う夜に息が出来るだろうか。

暗闇に目が慣れてきて、薄ぼんやりとした景色のなかで、記憶が失われていくのを怖がるわたしは、捨ててもいい記憶まで愛おしく感じる。
上手くも伝えられない孤独を分け合う誰かの顔が思い出せなくなるのが恐ろしい。
いいえ、誰を求めて誰に求められたいかが分からなくなるのが怖いのよ。

ひんやりとした風が窓の隙間から入る今宵のリビングで、わたしはひとりでいい。

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