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職場に届いた日章旗のこと

息子は小さな頃喘息が酷く私は仕事を辞めていました。息子が中学生になる時、以前働いていた職場から戻ってこないかと話をいただきました。
以前働いていた職場は125年史編纂室だったのですが無事125年史の編纂が完了し、学院史資料センターという名前になっていました。

ある日突然日章旗が学院史資料センターに持ち込まれました。
フィリピンに学徒動員で出陣し銃撃され亡くなった学生さんがポケットにしのばせていた日章旗だそうです。「持ち主の家族なんか見つからないよな。」と職場のみんなは困惑しているようでした。

ところが、調べて探すうちにご家族が判明したのです。返還することになりましたがご家族のご意向で日章旗は母校の資料センターで保管、展示されることになりました。

この旗についてもう少し詳しくお話します。
旗の持ち主は渡辺大平さん。経済学部で学んでいた学生さんでした。学徒動員によりセブ島に赴きました。肌身離さず、寄せ書きのある日章旗を持ち歩いていたそうです。1945年4月アメリカ兵により銃撃され戦死なさいました。
アメリカ兵は渡辺さんのポケットにある日章旗に気づき持ち帰りました。自宅に保管していたのです。
そのアメリカ兵は年老いて余命短いと思った時に知り合いの牧師さんに、なんとかして持ち主に返して欲しいと思いを託したのだそうです。
牧師さんは聖公会との繋がりがあり2009年私の母校の学長に願いを託しました。私の母校は聖公会のミッション系大学なのです。そうして私の職場に持ち込まれてきたのが2010年だったと思います。

亡くなった渡辺さんのお気持ちをお察しすると胸が潰れそうになります。勉学の志半ばで戦地に向かわなければならなかった。たった21歳の若者が目の前で銃撃され命を落としてしまう。その思いはどんなだったでしょう。
そして、同じくらいに、渡辺さんを殺めねばならなかったアメリカ兵の気持ちを察すると胸が潰れそうになります。ずっとずっと良心の呵責にさいなまれてきたに違いありません。
日章旗に寄せ書きに書かれたものが名前だと察したことでしょう。たくさんの人々が青年の無事を祈っていたに違いありません。その大切な人を殺めてしまったという思いは片時も離れなかったでしょう。

戦死なさった渡辺さんと同じように、このアメリカ兵もまた戦争の犠牲者だったと思います。

戦争は何一つ良いものを残さない。
村田さんの言葉が深い傷のように胸に響いてきます。

※村田さんについては、
「ありがとうを伝えたい-2」に書かせていただきました。

立教学院史資料センターホームページからの引用

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