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020【寄り添いは大事、そして見通しはもっと大事】

道徳が教科になって一年目が過ぎようとしている。子どもの心の底を耕し、掘り起こす。それこそが、道徳の目的であろうと思うが、実際には、「友情」「自主・自律」「国際理解」「思いやり」など、細切れにされたフィルムを継ぎ接ぎしているに過ぎない。どんなに授業の体裁を整えても、その根底にある教師の情熱や哲学、深い洞察がなければ、子どもの心の底を掘り起こすことは出来ない。

子どもの心に寄り添うことと、子どもが想像もしていないようなより高い次元へ導くこと。これらは矛と盾のように矛盾しているが、どちらも大事だ。矛は「けじめは平等を造る武器」、盾は「いじめから守る武器」。この矛盾の波をどう捉えるかが、学級づくりを決める。教師がつくり出す矛と盾の波に子どもたちを乗せる教師。子どもたちに矛と盾の波を作らせ、その上に乗る教師。似ているようで随分違う。

寄り添いと見通しの波にサーフィンのようにバランス良く乗りこなす。そして、その波を乗りこなすのは、誰か。たとえ教師だとしても、子どもだとしても、必死に乗りこなすのは良くない。一生懸命、楽しみながらが良い。

では、けじめ、見通しとはなにか。やるべきことを、ちゃんとやる・やらせるということ。
・時間を守る。
・忘れ物をしない。
・返事と挨拶を明るくする。
・間違ったことをしたら謝る。

そして、寄り添うとはなにか。
・みんなと違う意見を言っても、間違えてもからかわれない。
・もしいじめられても救われる。
・けんかしても仲直りできる。
・対立してもそこから学べる。
・空気を読もうと無理しなくてもいい。

お互いに尊重し合い、認め合い、高め合える学習環境を作る。教師はまずそこに重点を置かなければならない。個人への目標や目的などのアプローチはそれからである。そうでなければ、子どもたちの納得が得られないばかりか、教師の押し付けにより、子どもたちの自己有能感は下がっていく。寄り添うだけでもいけないし、見通しを持たせるだけでもいけない。一生懸命、楽しみながら、二つの波を乗りこなすことが大切だ。

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