発達障害の配慮の話。
昔は、変わった奴だな〜とか、なんやこいつ関わらんとこ、とか言われて配慮どころの話では無かったわけですが。
(いや、今もそうかも)
個性的なキャラクターを生かすか殺すかは育成含めて、環境が深く関わっていくんだなぁと思っております。
発達障害が自分にあったのか否か、既にアラフォーになったいい大人が今更それを知ったところで周りには全く関係ないだろうと思うので調べてはいません。
いやね、娘と息子が不登校になったり、授業をうまく受けれなかったりしているので受診したんですよね。
近所に割と有名な病院があって良かったな〜と思っています。ハードルが低くて。距離があると、それだけで結構しんどいですからね。
今日はさっきまで、息子の心理検査結果を聞いてきました。
知的には問題はないし、平均。ただし、凹凸が激しい。得意不得意の差がある。
なにが問題かというと、学校という場面では、めっちゃ出来る部分を基準にしてしまうということ。
苦手や努力を要する部分があるど、どうしてアレは出来るのにコレは出来ないの?と言われてしまう。
頑張ったら出来る、つまり、頑張らないと出来ない。頑張り続ける労力が必要。凄く疲れる、ストレスがかかる。
やれば出来る。
それを当たり前にして、子どもがしんどい思いをしているのに気づかないのはある意味加害ではないか。いや、これは言い過ぎか?
子どもによる、確かにそう。でもちゃんと個別に見ているのだろうか。親である私も、娘や息子の凹凸を見分けてやれているだろうか。
二人とも検査結果で言語化してくれているのはありがたい事で、悩んでいる親御さんにはおすすめしたい。
(娘は自費で検査してもらった)
IQは下がっても、上がらないと聞いた。それは正しいらしい。苦手な分野を無理矢理上げようとするより、そこはツールや対人、環境でフォローするのがいいと。
無理に頑張ると、嫌になって投げ出してしまうパターンが多いらしい。耳が痛い。
学校は何でも揃ってできないと、ダメのレッテルを貼られる。ピアニカやリコーダーが出来ない、跳び箱が飛べない鉄棒で回れない、そんなん私、大人になってどれもやってないわ。
学校は体験できる場所であれ、こういう物や知識、手段があるのだと知る場所であれと思う。いろんな人間がいる、同級生、後輩、先輩、先生、親、色んなパターンの性格があるんだなぁと知る場所であったらいい。
そこで友達が出来なくても、自分に合う人が狭い学校の中にいなかっただけで、世の中に自分がいていい場所なんか他にもっとあるんやで。
というのを、私は子どもに逃げ場として習い事(本人希望)をやりたいだけチャレンジさせている。体験も含めて。
まぁ正解かわかんないけど。
その各場所で、娘や息子に合理的配慮して!っていうのは一切思わない。ダメなら辞めればいいから。
しかし学校が、行かなきゃいけない場所だと声高に言うなら、出来ない事を出来ないと認めてくれないなら、出来ない部分を補う道具や環境を整えていかねばなるまいと思う。
それが子どもを守る手段だと思う。
思うばっかり。
とりあえず結果を学校に出して、これからを考えねばならない。娘は中学受験するみたいだし、好きに生きていけばいい。息子は目下、学校で辛い思いをしないでいいように、環境を考えていかねばならないな。
長いような短い夏休みがあと一週間。
親も踏ん張りどころだなぁ。