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TRPG TIPS:「ゲームになってるか」の点検のはなし

Twitterで思いがけず600favに届きそうなツイートをしてしまった。

今回はそのツイートでも書いていたシナリオ完成後の推敲ポイント、「ちゃんとゲームになっているか」のチェック項目についての話。

メインテーマは情報の共有とかモチベーション
セッションという場にエンチャントされている魔法の維持に関わるお話だ。

なお、先のツイートに続けて書いてあるアレコレに枝葉を付けた話なので、「どこかで読んだぞ?」って人はおれの熱心なフォロワーさんか、FEARゲー界隈で先生がたから同じような話を聞いたことがあるTRPGerだ。

1.ちゃんとゲームになっているか?

Twitterでも書いたとおり、元々は大学サークルの先輩のありがたいお言葉。数ページに渡るソード・ワールド(旧版)のサマリーを作ったり(サークルない私的利用の範囲ですよ)イラストめっちゃ上手かったりするスゴイ先輩だったんだが、なによりシナリオが面白かった。

完璧超人か。

思い出し嫉妬はともかく、その先輩から聞いたシナリオ作成のコツが表題の「ちゃんとゲームになってるか?」を確認すること、であった。

あんなエモいシナリオ作る先輩が「ゲームになってるか」なんてことを挙げてくる。最初は謎掛けのように思ったものだが、ストーリーがしっかりしている「だけ」ではTRPGのシナリオとして、PCの/PLの手に取りにくいものになってしまう可能性がある、ってのは周知の話で。

先輩のシナリオが面白かったのはエモさを確保した上でゲームであることを離れないこと、ってのがあったのだなぁ、と今更になって思うわけだ。

2.今回のお話における「ゲーム」

「ちゃんとゲームになってるか」のチェック、そのためにはゲームとはなんぞや、という深淵に挑まなければならない……が、それはこのお話の目的じゃなあない。

今回は、TRPGがいくつも内包するゲームのうち、いわゆるデータ部分のゲーム……HPとかの数字を足したり引いたり、とにかく大きいダメージを早い手番で撃ったりするゲームに加えて、シナリオというストーリーを体験して物語に育てていくゲーム、いわゆるナラティブの要素もゲームのモノサシにして書くつもりだ。

正直、「ちゃんとゲームになっているか」を語るときにはあまり正面から取り扱ったことのないネタである。なんせTRPG語りでゲーム要素っていうと、どうしても数字比べやリソース管理のゲームの事になりがちだからね。

しかし、ストーリーを遊ぶのだって立派にゲームだ。
個々のプレイヤーが持ち寄った別々の情報を、帰納と演繹を駆使しながら意味あるものに結びつけていくことによって、そこに物語が生まれ、育つのだ。
逆に言えば、全く関係のないもの同士を並べたところで、そこに物語を見出すことはすごく難しい。

カードの手札を選ぶように、お互いが想像力を刺激しあい、物語が生まれやすいように、出す情報を吟味している。そして互いの提案と承認により、いくつもの情報が組み合わさった"役"ほど、より強く物語を体験できるだろう。
各ルールブックの世界観は、それぞれのセッションでやり取りする情報というカードセット、PCはそれを使ったデッキみたいなものだ。

どうだゲームになったろう(あの絵)

#焼くな

ということでここからは、いくつかの側面から「ちゃんとゲームになってるか」を見ていくお話。

おっとそれから。この手の記事はおれたちの卓で取られているコンセンサスに優先するものじゃないのを忘れないでくれ。実際に遊んだおれたちが「ちゃんとゲームになってた!」っていうのが一番だ。
「いつものアレ」的な注意書き。

3.リソース管理としてのゲーム

まずは一般的な(とおれが解釈している)「ちゃんとゲームに~」の一番わかり易い、数字を扱うゲーム……リソースマネジメントの部分のゲーム性だ。

このチェック項目も真面目に検討すれば多岐にわたるんだろうけど、今回は「判定とリソースは連動しているか」のチェックを代表的な例として挙げてみる。

話の流れでなんとなく行う判定ではなく、置かれた状況の突破という目的を持ったシーンと見せかけて、蓋を開ければ失敗のペナルティがなく再判定し放題、成功率を上げるためのリソースを消費するかどうか迷う余地すらない……なんてのが判定とリソースが連動していないケースだ。

大体のTRPGで、障害突破のために費やされていくリソースが設定されている(カウントダウン型のHPや正気度(CoC)、カウントアップ型の侵食率(DX)などなど)ので、そこと連動するのが一般的だが、最終的な障害が軽くなる/重くなる(ボスの弱体/強化など)なんて方法もある。
セッションのキーになる必須の判定を用意するとき、そういったPCの費やすモノや障害の強度と連動していないようなものはないか、というのはゲームになっているかチェックしどころのひとつだ。

最近手に取るゲームはこの辺は手番制限やポイント制など、中盤の進行方法としてシステム内でルール化されていることが多い。ちゃんとゲームになるようにできている。

山をも揺るがすごとき膂力も、汲めど尽きせぬ泉のごとき知力といった数値の高低で表される能力も、過去の生い立ちから周りのキャラクターとの関係性などのエモい設定も。TRPGのキャラクターは情報の塊だ。そしてTRPGのリソース管理ゲームの側面は、その情報の塊の変動によりゲームを進行させていく仕組みである。

リソースに影響する判定、というのはPCを構成する情報へのアプローチなのだ。

リソース管理ゲームとしてみた時、リソースの消耗抜きに何かを得られるのはPLとしては喜ばしいことである。これも真理だ。
しかし、それは判定などのゲーム的達成の向こうにご褒美として用意されることで意味を持つのだ。

誤解を恐れずに言うなら、再判定自由でノーペナルティな判定は、情報としてのPCに踏み込んでいるとは言えない。おれの趣味も含めて言えば、大事なところでそういう判定が出てくると、ご褒美どころか弛緩の原因にもなると思っている。

4.物語を楽しむゲーム

無から物語は生まれない。
ウィスキーとウィトルウィウス的人体図も難しいだろう。※ウィ連想

これがネジと銀河になったら?

全く関係ないように見える2単語から、「銀河鉄道999」を想起する人も、「天元突破グレンラガン」を想起する人もいるだろう(あれはドリルだって言われるかもしれないが、ネジ=螺旋からの連想だ)。

そこに物語の記憶があり、想像力がそれらを結びつけてくれるからだ。

先も書いたが、TRPGの「物語を楽しむゲーム」は、そんな風に関係のありそうなものを想像力で結びつける遊びである。
いくつもある情報の手札を、関係ありそうだ、って場に出していくのはトランプの大富豪に似ているかもしれない。スートが、数字が合っているものを場に出していく。

あるいは、全く関係ないと思った要素を、想像力を頼りに「これ結び付けられるんじゃね?」と結びつけて披露するのはパズルや謎解きのゲームのようでもある。あんなひどい目に遭うなんて、あいつはバチが当たったに違いない、なんて因果関係を造って無理やり結びつけたりもする。

物語を楽しむゲームになっているか、というのは想像力のレールの接続点検、言い換えればモチベーションの点検といえる。

多くのゲームで、このゲームのPCはこういう存在だ、という定義付けがなされる。これは明確に、想像の入り口…予想の方向づけとしての機能を持つ。

冒険者と呼ばれ、その世界では英雄候補として見なされた特殊技能を持った小集団の一員だったり、都市の光と闇の狭間で活躍するプロフェッショナルのような、一定の社会的階層が規定されることもあれば、社会的な階層はほぼ自由だが、世界の謎に触れ、かつその謎を求める好奇心旺盛な存在だ、みたいな存在の定義だけがなされることもある。

ファンタジー世界の冒険者を遊ぶゲームに参加して、珪素生命体の法廷闘争を遊ぶことになることまで予想しているPLはいまい。

いたらごめんなさい

無限の予想は予想していないと同じ、またはフレーム問題で動けなくなるかのどちらかだ。

こんな極端な例なら、「いやいやそんなことありえないだろ」って思うことだろう。しかし「モンスター退治の依頼を受けた冒険者が魔物を倒したが、実は魔物は村を守護していた存在だったために村人から石を投げられる」だったり、「闇の世界のプロフェッショナルの殺し屋が、仕事を放棄しターゲットを護る」なんて流れが事前情報無しにPC目線で展開すれば、PLは戸惑うことだろう。それらは「今日はこういうゲームを遊ぼう」の外にあることが多いのだ。

PLに手渡す情報が点検のポイントになるだろう。

とはいえ、石を投げられるエンドはいくら事前情報があってもオススメできない。もちろん楽しもうとして楽しむことは出来るだろうが、わざわざ不可避の惨めな思いを味わう、ってのは積極的に推奨されるものではない。どこまでいってもTRPGは楽しむための遊びだからだ。

無限の予想はできないから、今日はこうやって楽しんでほしい、っていう予想の範囲をシナリオに寄せるのだ。いくつかのゲームにある今回予告やハンドアウトが分かりやすい。あれは良い先入観を持ってもらうためにある。
良い先入観を持って、ストーリーラインが共有されてくると、集まった参加者の間でひとりでに、色んな要素から物語が生まれてくるようになる。うまいPLが自分で「後で回収する伏線を張る」なんてのもストーリーラインの共有の為せる技だ。

反論はある。
先入観の話をすると対極として現れるシナリオのネタバレの話だ。
もちろんおれだって、シナリオの最後の、驚きを含む展開にまつわるネタバレまですることは稀だ(予告で匂わせてる、程度はやるけど)

手渡す情報の話は、別にすべてを詳らかにすべし、という話ではない。先にも書いた想像力の接続のレール点検という言葉を思い出してほしい。

もしGMが、「国王から、王国を救うため魔神に囚われた姫君を救うという依頼を受ける」というストーリーラインを提供していたとする。
PLとして、それを先入観として持ち、PCを動かしていくわけだが、ここでGMが一捻りするとして

姫こそが魔神の召喚者であったが、そのことを知らず魔神を屠るPCたち。だが魔神と魂を共有する彼女を倒さねば魔神に真の死は訪れない。姫とともに城に戻るPCたちの背後で怪しく笑う姫――

なーんて事をやってしまったときの不完全燃焼っぷりは、筆舌に尽くしがたい。結局ストーリーラインの何も達成できていないこと、それをPCに情報として渡していないことである。

キャンペーンじゃない? マジで?

PLに見せたストーリーラインにアクロバットを仕掛けるのはGMのテクニックとして重要だが、ストーリーラインを飛び越えすぎると硬い地面に着地して複雑骨折を起こしかねない。
「命に替えて姫を救う!」なんてロールが生きるのは、イメージされるストーリーラインに映えるからだ。姫の本棚から魔神召喚の本とかが見つかって怪しむ展開とかを出すとかはどうだろう。それでも先のセリフが映えることには変わりないし、結末に結びつくストーリーラインの変化となる。
ストーリーラインをきちんと誘導するのが「点検」作業なのだ。

GMの、サプライズを仕掛けたくて隠したくなる気持ちも分かるし、それでケチンボになっちゃう心理も理解できるのだが、あまりに飛躍した展開では想像力のレールが接続できない。ネタバレを恐れるあまりレールごと隠してしまっては、せっかくのお話が台無しなのである。

5.そこにあるゲームの認識
  ~困ったら「ぶっちゃける」~

我と彼は違う。ゆえにゲームになっているかの点検をどんなにやっても、伝わらないときは伝わらない。とはいえ我と彼は違うからこそ、一緒にゲームが出来るともいえる。

リソース管理のゲームとしても、物語を楽しむゲームとしても、それは同様である。

そこにあるゲームを意識させる方法については、色々なゲームがシステムの中で対策を打っていることが多い。それだけ重要なことなんだろうと思うし、逆の目線で「それらのルールがなんのためにあるのか」っていう視点を持つことで使いみちがイメージしやすくもなる。

リソース管理ゲームの部分では、例えば先も触れた中盤のシナリオ進行のルール化だ。昔はボードゲームっぽくなってる、なんて言説も聞かれたが、リソース管理ゲーム部分を運用するためのセッション内ゲームは以前から存在していたし、それが個々のシステムの中で(そのシステムらしさを発揮しながら!)定義されたものに過ぎない。

同じことは今後セッション内ゲームを仕組むときにも応用可能だ。ここからはこういうやり方でセッション内ゲームをします、終了条件はこうです、っていうのを明示するのが良いやり方である。
「なにかトンチをきかせたらボーナスがあるよ」ってのも、トンチを聞いてから初めてボーナスの話をしてしまうと、単なる判定だと思っていたPLとトンチで有利にしよう!って思っていたPLとで、すでに異なるゲームを遊んでいたことになってしまう。

あるいは、フェイズプロセッション型のゲーム(導入ー展開-対決ー終局、のようにシナリオの流れを区切るタイプ)では、最後の戦闘となることを明示的に宣言することで、「ここが持てるリソースの使いどころ!」を分からせる仕組みになっている。これは戦闘後に〇〇が残っていたら違った結果になる、とかは最後の戦闘の条件提示の段階でしておいたほうが良いよって話でもある。

物語を楽しむゲームの部分でいけば、後にも先にもストーリーラインの提示である。いわゆる今回予告とハンドアウト

今回予告でシナリオ全体、比較的クライマックス周りのイメージを伝え、ハンドアウトで導入部分のイメージを伝える。大体の作りはこうだ。

とはいえおもわずケチンボが発動して、フンワリとしたイメージだけを伝えてしまうことになったり、文学的凝り性が発動して観念的なイメージだけを伝えてしまうことがあったりは良くある事故だが、ここでもなんのために書くのか、目的を意識して流されないようにしよう。

その他、PLにシナリオ内の目的を明示するようなシステムも多い。

どんでん返しを仕掛けるにしても、「少なくともGMは、PLに明示したシナリオの目的を裏切るようなことはしない」という約束が成立することは、先に書いたストーリーラインのイメージ共有やモチベーションのためにとても重要だ(ここはトンチはなしだ)。

そこまでやっても、我と彼は違う。
そんなときはわかってないなぁ、と不平を言うよりも、素直にぶっちゃけてしまおう。

ゲームができている相手なのだ。違って当たり前なのだ。

アライさんっぽく読むことを禁ず

リソース管理ゲームを明示するのに失敗し、いろんなアプローチが提案されたときなんかも、ぶっちゃけはよく出てくる。

・たしかにそれで解決出来るかもしれないが、想定してなかった。ここではこういうゲームを遊んでもらおうと思っているのですまないが付き合ってほしい

・想定外だけどたしかにそれで解決できる。ここではこういうゲームを遊んでもらおうと思っているんだけど、みんなが良ければ採用してひとゲームスキップしてもいい

みたいな感じだ。

物語を楽しむゲームは想像力によって駆動するので、ストーリーラインにいろんな糸口を見つけることが出来るぶん、本筋から離れてしまうこともある。無論、それを拾って行くことも十分想定できるが、例えばPCが望まずカッコ悪くなってしまうとき(そんなサブストーリーは想定していない)なんかはしっかり告げてあげると良い。

・そこをこれ以上調べても、今回は背景情報レベルなので何も出ないよ→無駄足を踏ませてカッコ悪くしない、情報収集ゲームの「外」であることをぶっちゃける

・ロールとして疑うのはいいけど、このNPCは嘘ついてないからね→疑うロールは的外れになるのでカッコ悪く映るかもというアドバイス。大抵の場合「疑うキャラクター」を演りたいだけだったりするけど、「騙し合いのゲーム」と思われてないかの確認でもある。

「ぶっちゃけ」の目的はこんな風に、目の前にあるゲームの認識に齟齬がある時にそこをお互いに認識し合うためにある、っていうのが最近のイメージ。

6.おわりに

ということで「ちゃんとゲームになってるか」というフワッとした点検項目について、リソース管理ゲームとしての側面、ストーリーを遊ぶゲームとしての側面から色々と書いてみた。

書いてみると思った以上にめんどくさい、制約ばかりの話になってしまったのはいただけないが、間違った主張とは思っていない。「TRPGにそもそも向いていないストーリーラインがある」なんてのは昔のおれが聞いたら顔を真っ赤にして否定していたかもしれないが(笑)

向き、不向きがあるから、それに対応する術も考えられるということだ。
セッションに不向きなストーリーラインを愛するからこそ、PLたちとそれを楽しむ方法を追求する、なんてのは何も特別な話じゃないし、多分素敵なことだ。

長々と書いたが、読んでくれた人がそれぞれのセッションを楽しめる一助としてくれれば、それに勝る幸いはない。

では、良いセッションを。

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