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日本全国写真紀行

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取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。 日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。
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#風景

【日本全国写真紀行】 56 熊本県葦北郡芦北町佐敷

熊本家葦北郡芦北町佐敷 加藤清正の城下町と薩摩街道の宿場町、二つの顔を持つ港町 佐敷は佐敷川の河口に開けた町で、水運だけでなく、薩摩と肥後を結ぶ薩摩街道の宿駅としても発展した町である。相良氏七百年の城下町である人吉は海のない内陸部にあり、佐敷はその人吉から最も海に近い港町である。薩摩へも人吉へも峠を越えなければ入れない。佐敷が古来から交通の要衝であり、峠越えした旅人たちを迎える宿場町として大いににぎわったであろうことは容易に想像がつく。  南北朝時代には軍事的要衝として城も

【日本全国写真紀行】 51 大分県大分市戸次本町

大分県大分市戸次本町帆足本家を中心に古い建造物が点在する 大分の市街地から国道10号を南下して、大野川にかかる白滝橋を渡ったあたりに広がるのが戸次地区である。大野川の水運や日向街道の交通の要衝として栄え、江戸時代に市場ができると商家の町としてさらににぎわった。  なかでも莫大な財を成してこの町に隆盛をもたらした商家が帆足家である  帆足家は、12世紀のはじめに守護大友氏の家臣となり、江戸時代には臼杵藩治下の大庄屋として戸次の町を取り仕切った豪農である。その後、酒造業を手掛け、

【日本全国写真紀行】37 秋田県にかほ市象潟町象潟・九十九島

秋田県にかほ市象潟町象潟・九十九島 幻の潟がよみがえる昔ながらの景勝地 今から300年以上前、東北を旅して「奥の細道」を著した歌人・松尾芭蕉。その芭蕉が旅の最終目的地にしたといわれているのが象潟である。真偽の程は定かではないが、松島と並ぶ景勝地として先人の歌人たちを魅了してきた象潟を見たいと強く願っていたことは間違いないらしい。  果たして、念願かなって象潟の風景を見た芭蕉は、こう詠んでその魅力的な風景を絶賛したという。  — 象潟や 雨に西施が ねぶの花 —    (な

【日本全国写真紀行】35 福島県大沼郡昭和村

福島県大沼郡昭和村 自然美、高級織物、木造校舎、魅力満載の昭和村へ 昭和村は会津地方の南西部に位置し、只見川の支流である野尻川の段丘に沿って集落が点在している。周囲を広大な湿原や美しい渓谷に囲まれた、自然美の宝庫だ。昭和2年に野尻村と大芦村が合併して一つの村になったことから、昭和村と名付けられた。人口は1,200人に満たず、福島県で二番目に高齢化率が高い村でもある。  どこまでも広がるのどかな田園と、赤いトタンを被せた茅葺き屋根の農家群を眺めているだけでも十分に心癒される風

【日本全国写真紀行】33 山形県東置賜郡川西町玉庭

山形県東置賜郡川西町玉庭 田園と茅葺民家、忘れ得ぬ農村の原風景 何気なく通りかかった場所で、忘れられぬ風景に出会うことがある。山形県川西町の玉庭という小さな農村集落は、そんな場所の一つだった。点在する茅葺民家と広がる田園風景、その見事な構図にしばし時間を忘れて見入ってしまった。  川西町は、山形県南部、置賜盆地のほぼ中央にあり、人口約15,000人の小さな町である。この町の南、米沢市と隣接するのが玉庭地区である。  玉庭地区を走る県道八号線を米沢方面へ南下していた。玉庭小学

【日本全国写真紀行】 32 宮城県塩釜市浦戸寒風沢

宮城県塩釜市浦戸寒風沢 仙台藩の海運を支えた浦戸諸島の島々 江戸時代、東北を旅した松尾芭蕉が奥州行脚の最大の目的地としていたといわれる松島。海に浮かぶ三百近くの島影による絶景は、今もなお多くの人々の心を魅了している。この数多くの島々の中で有人島はわずか四島。その四島をふくめた松島湾の湾口部の島嶼群は浦戸諸島と呼ばれている。ほとんどの島が塩釜市になっているが、一部の島々は宮城郡の七ヶ浜町に属している。浦戸という地名は、「松島浦の門戸」の地であることに由来したもので、かつては浦

【日本全国写真紀行】 30 秋田県雄勝郡羽後町

秋田県雄勝郡羽後町 農村の原風景が広がる茅葺民家の里 雪が多く降る秋田の中でも、特に豪雪地帯として知られる雄勝郡羽後町。山形県境に近く、雄物川を挟んで湯沢市と隣接するこのあたりは、ほとんどが山林と原野だ。高い山々に囲まれているだけに、冬ともなれば2メートル以上も雪が積もり、あたり一面色のない世界に変わってしまう。  山と雪、その厳しい自然の中で、人々は川に沿って細くのびる谷を開き、田をつくり集落をつくっていった。地図を見ると谷を縫うように広がる数多くの集落と田。羽後町は出羽

【日本全国写真紀行】 29 岩手県一関市藤沢町大籠

岩手県一関市藤沢町大籠 自由と誇りを歴史に刻むキリシタンの里 岩手県の最南端、宮城県との県境にある一関市藤沢町。その町に大籠という小さな集落がある。江戸時代、たたら製鉄の地として栄えた場所で、当時この地を領有していた仙台伊達藩の保護を受けていた。だが、鉄の生産量が思うように伸びなかったため、技術指導を乞うために備中国(現岡山県)からたたら製鉄の技術者を招いた。この技術者がキリシタンだった。鉄の生産量が順調に増えるとともに、村にはキリスト教信者が増え、最盛期には三万人にも達し

【日本全国写真紀行】 27 茨城県北茨城市平潟

茨城県北茨城市平潟 アンコウと温泉の漁師町 福島との県境にある北茨城市。太平洋に面した風光明媚な海岸線は、茨城県の中でも屈指の観光スポットとして人気がある。その中で、自然の入江を利用した漁港を持ち古くから栄えてきたのが平潟である。江戸時代には、山形の酒田港から江戸に向かう東廻りの海運寄港地となり、商業地としてもにぎわいを見せていたという。  実際に足を運んでみると、ほんとうにこじんまりした漁港だ。港の東に薬師堂、西には八幡神社があり、奇岩にも見える海食崖に両岸を囲まれ、お

【日本全国写真紀行】 24 千葉県銚子市外川町外川

千葉県銚子市外川町外川紀州の漁民が拓いた、一大漁港の夢のあと銚子の漁業は、関西、特に紀州の漁師たちによって発展した、ということをご存知だろうか。  紀州和歌山は都に近く、造船や航海術、漁法が発達していたが、土地の九割が山地で農業が発達しなかったこと、また近世に入って漁獲物の需要が増大したことなどから、漁民たちは豊かな漁場を求めて、東は東北へ、西は五島列島まで遠征する「旅漁」を行なっていた。「旅漁」とは、船に漁具のほか生活用具一式をのせて一隻に16名ほどの漁師が乗り込み、各地の

【日本全国写真紀行】22 栃木県那須郡那珂川町小砂

栃木県那須郡那珂川町小砂森と樹々と水田と素朴な焼き物、郷愁をそそる美しい村栃木県の北東、那珂川町の北部に位置する小砂地区は、本当に美しい村である。人口は約800人。総面積の64パーセントが森林で覆われた山間の村で、八つの小さな集落で構成されている。 とにかく絵になる風景が連続している村で、各集落を包む緑の濃淡がひたすら美しく、それが水田に光り輝きながら映る光景は、心のどこかに潜んでいる郷愁を呼び起こすのだろうか、いつまで見ていても見飽きない。日本の山里は、やはりどこの国よりも

【日本全国写真紀行】21 茨城県常陸太田市

茨城県常陸太田市 七つの坂と路地を楽しむぶらり歩きの街茨城県北部にある常陸太田市に、鯨の形状をした丘がある。かつて、この地を支配した戦国大名佐竹氏はこの丘に町をつくり、太田城の城下町をつくりあげていった。 その後、江戸時代に佐竹氏が秋田へ国替えになると、城は廃城となり、当然のことながら城下町も廃れていくかと思われた。ところが、その町は水戸と福島の棚倉を結ぶ棚倉街道がとおり、さらに水戸や那珂湊へ送る物資の集積地だったため、商家が林立する商家街に生まれ変わっていった。それが鯨ヶ

【日本全国写真紀行】19 京都府舞鶴市成生

京都府舞鶴市成生 若き僧侶の悲劇を秘めた、美しい漁村大浦半島の最北端にある、海景色のとても美しい小さな入り江の集落。 古来ブリ漁が盛んで丹後ブリの名産地として知られ、今もほとんどが漁業で生計を立てている。 小漁村とはいえその歴史は古い。紀元八世紀に編纂された『丹後風土記』に古社「鳴生神社(江戸期には大将軍社)」の記載があるが、鳴生は成生の旧名。言い伝えによれば、崇神天皇の御代に丹後に土蜘蛛(※)が現れた。これを征伐に来た将軍がこの地を通ったとき、岩が光り兜が鳴り響いたため、

【日本全国写真紀行】17 東京都品川区北品川・東品川

取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。 日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。 東京都品川区北品川・東品川 旅人の思いが交差する江戸の玄関口 日本橋から約8km、東海道第一の宿が品川宿である。「お江戸日本橋七つ立ち〜」と唄われたように、夜明け前に日本橋を出た旅人たちが、昇る朝陽を見ながら江戸に別れを告げる場所でもあった。 旅人を見送る人、迎える人で品川宿は一日中にぎわいを見せ、江戸においては