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日本全国写真紀行

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取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。 日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。
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【日本全国写真紀行】 53 大分県大分市今市

大分県大分市今市 石畳が江戸時代へと誘う宿場町 大分市の中心から西へ、竹田市に向かう途中にある今市。江戸時代、豊後鶴崎と肥後熊本を結ぶ肥後街道の宿場町として、豊後国最大の石高を誇った岡藩が開いた宿場である。岡藩の参勤交代のときには宿として、肥後藩の参勤交代時には休憩所として利用された。街道沿いにはお茶屋、代官所、造り酒屋などが軒を並べ、大名行列の時はもとより、多くの旅人たちでにぎわっていたといわれる。  この宿場町時代に造られた宿内の石畳道が、今もほぼ当時のままに残っている

【日本全国写真紀行】34 青森県三戸郡三戸町

青森県三戸郡三戸町 「南部氏」と『11ぴきのねこ』と「せんべい」の町 三戸という地は、北奥羽の覇者・南部氏を抜きには語れない。  南部氏は清和源氏の一族で、甲斐国(現在の山梨県)南部郷の出身、建武の新政下で北奥羽奉行となり、北東北へ拠点を移した。一族には三戸南部氏をはじめ八戸氏(根城南部氏)、九戸氏、新田氏などがあり、これらが時により協力し合ったり、あるいは反発したりしながら、主導権を争う小競り合いを繰り返していた。だが戦国時代、群雄割拠の世になると、南部家二十六代当主・信

【日本全国写真紀行】 30 秋田県雄勝郡羽後町

秋田県雄勝郡羽後町 農村の原風景が広がる茅葺民家の里 雪が多く降る秋田の中でも、特に豪雪地帯として知られる雄勝郡羽後町。山形県境に近く、雄物川を挟んで湯沢市と隣接するこのあたりは、ほとんどが山林と原野だ。高い山々に囲まれているだけに、冬ともなれば2メートル以上も雪が積もり、あたり一面色のない世界に変わってしまう。  山と雪、その厳しい自然の中で、人々は川に沿って細くのびる谷を開き、田をつくり集落をつくっていった。地図を見ると谷を縫うように広がる数多くの集落と田。羽後町は出羽

【日本全国写真紀行】 29 岩手県一関市藤沢町大籠

岩手県一関市藤沢町大籠 自由と誇りを歴史に刻むキリシタンの里 岩手県の最南端、宮城県との県境にある一関市藤沢町。その町に大籠という小さな集落がある。江戸時代、たたら製鉄の地として栄えた場所で、当時この地を領有していた仙台伊達藩の保護を受けていた。だが、鉄の生産量が思うように伸びなかったため、技術指導を乞うために備中国(現岡山県)からたたら製鉄の技術者を招いた。この技術者がキリシタンだった。鉄の生産量が順調に増えるとともに、村にはキリスト教信者が増え、最盛期には三万人にも達し

【日本全国写真紀行】 28 群馬県利根郡みなかみ町布施箕輪

群馬県利根郡みなかみ町布施箕輪 山間の隠れ里は、まるで養蚕農家の住宅展示場だった みなかみ町の布施箕輪集落は、赤谷川に合流する須川川の左岸にある小さな集落である……というと簡単に聞こえるかもしれないが、実は住所からここを探り当てるのはかなり大変だった。地図上では発見できず、大体の当たりをつけて直接出向き、旧三国街道の宿場町だった布施宿から南西に歩き、みなかみ町新治支所で道を訪ねる。役場の方はとても親切で、詳しい住宅地図を広げて探してくれ、多分この辺りだろうと教えてくれた。彼

【日本全国写真紀行】 27 茨城県北茨城市平潟

茨城県北茨城市平潟 アンコウと温泉の漁師町 福島との県境にある北茨城市。太平洋に面した風光明媚な海岸線は、茨城県の中でも屈指の観光スポットとして人気がある。その中で、自然の入江を利用した漁港を持ち古くから栄えてきたのが平潟である。江戸時代には、山形の酒田港から江戸に向かう東廻りの海運寄港地となり、商業地としてもにぎわいを見せていたという。  実際に足を運んでみると、ほんとうにこじんまりした漁港だ。港の東に薬師堂、西には八幡神社があり、奇岩にも見える海食崖に両岸を囲まれ、お

【日本全国写真紀行】 26 神奈川県足柄下郡湯河原町福浦

神奈川県足柄下郡湯河原町福浦ある洋画家が惚れた小さな漁港 洋画家・中川一政(1893-1991)が描いた『福浦突堤』という作品を観たことがある。漁港に面した山の斜面に並ぶ家々と赤い灯台と突堤が印象的に描かれ、風景画には似つかわしくない躍動感という言葉がぴったりする迫力ある作品だった。この絵画が描かれたのが、真鶴半島の西側の付け根のところにある福浦という小さな漁港だ。  中川一政は、五十六歳の時に真鶴にアトリエをもち、約二十年間福浦漁港に通って絵を描き続けた。地元の漁師たちは、

【日本全国写真紀行】 25 千葉県夷隅郡大多喜町

千葉県夷隅郡大多喜町 天下の勇将本多平八郎忠勝が築いた美しい城下町大多喜町の歴史は、安土桃山時代末期の天正十八(1590)年、徳川四天王の一人・本多忠勝が十万石で初代藩主となり、大多喜城と町を整備したことに始まる。忠勝は十万石にふさわしい城と城下町の建設をめざし、城の南と東に武家屋敷を、その両側に町人町をつくり、夷隅川の川沿いに二十あまりの寺院を配した。これは、いざというときには侍たちを寺に配備して城を防御させるためだったと伝えられる。  本多忠勝は、通称平八郎。徳川四天王

【日本全国写真紀行】 24 千葉県銚子市外川町外川

千葉県銚子市外川町外川紀州の漁民が拓いた、一大漁港の夢のあと銚子の漁業は、関西、特に紀州の漁師たちによって発展した、ということをご存知だろうか。  紀州和歌山は都に近く、造船や航海術、漁法が発達していたが、土地の九割が山地で農業が発達しなかったこと、また近世に入って漁獲物の需要が増大したことなどから、漁民たちは豊かな漁場を求めて、東は東北へ、西は五島列島まで遠征する「旅漁」を行なっていた。「旅漁」とは、船に漁具のほか生活用具一式をのせて一隻に16名ほどの漁師が乗り込み、各地の

【日本全国写真紀行】23 東京都西多摩郡檜原村

東京都西多摩郡檜原村東京とは思えない山間の風情ある里東京に檜原村という村がある。島嶼部をのぞけば東京唯一の村で、都の最西端に位置し、約2,000人の人々が暮らしている。多摩川の支流である秋川の上流にあるため、村のほとんどが山林で占められており、江戸時代にはその資源を生かして、江戸の木材供給地として繁栄した歴史をもつ。 ※『ふるさと再発見の旅 関東』産業編集センター/刊より一部抜粋 他の写真はこちら↓でご覧いただけます。

【日本全国写真紀行】22 栃木県那須郡那珂川町小砂

栃木県那須郡那珂川町小砂森と樹々と水田と素朴な焼き物、郷愁をそそる美しい村栃木県の北東、那珂川町の北部に位置する小砂地区は、本当に美しい村である。人口は約800人。総面積の64パーセントが森林で覆われた山間の村で、八つの小さな集落で構成されている。 とにかく絵になる風景が連続している村で、各集落を包む緑の濃淡がひたすら美しく、それが水田に光り輝きながら映る光景は、心のどこかに潜んでいる郷愁を呼び起こすのだろうか、いつまで見ていても見飽きない。日本の山里は、やはりどこの国よりも

【日本全国写真紀行】21 茨城県常陸太田市

茨城県常陸太田市 七つの坂と路地を楽しむぶらり歩きの街茨城県北部にある常陸太田市に、鯨の形状をした丘がある。かつて、この地を支配した戦国大名佐竹氏はこの丘に町をつくり、太田城の城下町をつくりあげていった。 その後、江戸時代に佐竹氏が秋田へ国替えになると、城は廃城となり、当然のことながら城下町も廃れていくかと思われた。ところが、その町は水戸と福島の棚倉を結ぶ棚倉街道がとおり、さらに水戸や那珂湊へ送る物資の集積地だったため、商家が林立する商家街に生まれ変わっていった。それが鯨ヶ

【日本全国写真紀行】20 三重県亀山市

三重県亀山市 「さびしき城下町」という別称をもつ六万石の城下町 江戸時代、11代126年間続いた石川氏の城下町として歴史を重ねた亀山。天正十八年に築城された亀山城は三層の天守閣をもち、その優雅な姿が蝶の舞に似ていたことから粉蝶城とも呼ばれていた。多聞櫓や石垣の一部がわずかながら今も残っている。  譜代大名六万石の城下町であった亀山だが、“市中はまったくにぎわいなし”と伝えられている。宿の規模が小さいこともあるが、それよりもこの宿が徳川将軍の宿泊所として使われていたことが大き

【日本全国写真紀行】19 京都府舞鶴市成生

京都府舞鶴市成生 若き僧侶の悲劇を秘めた、美しい漁村大浦半島の最北端にある、海景色のとても美しい小さな入り江の集落。 古来ブリ漁が盛んで丹後ブリの名産地として知られ、今もほとんどが漁業で生計を立てている。 小漁村とはいえその歴史は古い。紀元八世紀に編纂された『丹後風土記』に古社「鳴生神社(江戸期には大将軍社)」の記載があるが、鳴生は成生の旧名。言い伝えによれば、崇神天皇の御代に丹後に土蜘蛛(※)が現れた。これを征伐に来た将軍がこの地を通ったとき、岩が光り兜が鳴り響いたため、