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日本全国写真紀行

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取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。 日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。
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#一度は行きたいあの場所

【日本全国写真紀行】 52 大分県津久見市保戸島

大分県津久見市保戸島 ゆっくりと流れる島時間を楽しむ 大分県と四国の愛媛県に挟まれた豊後水道。 太平洋からの黒潮の暖流と瀬戸内海の寒流とがぶつかりあうこの水域は、全国屈指の好漁場として知られている。その利を生かして古くから漁業の島として栄えてきたのが保戸島である。   その昔、この地が「海部郡穂門郷」と呼ばれており、この「穂門」が「保戸」に変わったものといわれている。  江戸時代には佐伯藩の勘場や遠見番所が置かれ、近隣の海で鯵やイカを中心に漁が行われていた。明治時代の半ばご

【日本全国写真紀行】42 佐賀県佐賀市富士町上無津呂

佐賀県佐賀市富士町上無津呂 山村の素朴な暮らしと静かな時間 佐賀市富士町の上無津呂という山村に、県内最古の民家があるというので行ってみた。「吉村家住宅」というのがその民家である。一見して、その豪壮な佇まいに経てきた年月の重みを感じた。かつてこの家を増改築しようとした際、天明九(1789)年建立という墨書が発見され、県内最古という称号を授かることになったという。  実際に中に入ってみた。木造平屋建て、茅葺の寄棟造り、かまどや囲炉裏がある。棟が一直線になった直すぐ家や 形式が珍

【日本全国写真紀行】36 秋田県男鹿市加茂青砂

秋田県男鹿市加茂青砂やさしい浜風が吹き抜ける町 秋田の男鹿半島といえば、ナマハゲを連想する方が多いかもしれない。重要無形民俗文化財としていまや秋田の象徴的な存在になっている。だが、男鹿半島の魅力はそれだけではない。荒波立つ日本海を背景に、目の前に広がる美しく雄大な自然が訪れる人の心を捉えて離さない。なかでも、半島の西海岸部には、日本海沿岸で屈指の美しさを誇るといわれる海岸線が旅人を迎えてくれる。その西海岸の中心にあるのが加茂青砂だ。  おが潮風街道を入道崎方面へ車を走らせてい

【日本全国写真紀行】33 山形県東置賜郡川西町玉庭

山形県東置賜郡川西町玉庭 田園と茅葺民家、忘れ得ぬ農村の原風景 何気なく通りかかった場所で、忘れられぬ風景に出会うことがある。山形県川西町の玉庭という小さな農村集落は、そんな場所の一つだった。点在する茅葺民家と広がる田園風景、その見事な構図にしばし時間を忘れて見入ってしまった。  川西町は、山形県南部、置賜盆地のほぼ中央にあり、人口約15,000人の小さな町である。この町の南、米沢市と隣接するのが玉庭地区である。  玉庭地区を走る県道八号線を米沢方面へ南下していた。玉庭小学

【日本全国写真紀行】 32 宮城県塩釜市浦戸寒風沢

宮城県塩釜市浦戸寒風沢 仙台藩の海運を支えた浦戸諸島の島々 江戸時代、東北を旅した松尾芭蕉が奥州行脚の最大の目的地としていたといわれる松島。海に浮かぶ三百近くの島影による絶景は、今もなお多くの人々の心を魅了している。この数多くの島々の中で有人島はわずか四島。その四島をふくめた松島湾の湾口部の島嶼群は浦戸諸島と呼ばれている。ほとんどの島が塩釜市になっているが、一部の島々は宮城郡の七ヶ浜町に属している。浦戸という地名は、「松島浦の門戸」の地であることに由来したもので、かつては浦

【日本全国写真紀行】 31 埼玉県秩父郡東秩父村

埼玉県秩父郡東秩父村 和紙づくりの伝統を守り続ける県内唯一の村 日本が世界に誇る技術の一つに、手漉き和紙技術がある。文字どおり和紙をつくる技術で、熟練した手技によって生み出された和紙は洋紙よりもはるかに強く、ヨーロッパの美術館では絵画の修復にも用いられている。まさにものづくり日本を象徴するものといえるだろう。  和紙は古くから日本各地でつくられてきたが、中でもその技術が卓越しているとして2014年にユネスコ無形文化遺産に登録された三紙がある。島根県浜田市の石州半紙、岐阜県美

【日本全国写真紀行】 30 秋田県雄勝郡羽後町

秋田県雄勝郡羽後町 農村の原風景が広がる茅葺民家の里 雪が多く降る秋田の中でも、特に豪雪地帯として知られる雄勝郡羽後町。山形県境に近く、雄物川を挟んで湯沢市と隣接するこのあたりは、ほとんどが山林と原野だ。高い山々に囲まれているだけに、冬ともなれば2メートル以上も雪が積もり、あたり一面色のない世界に変わってしまう。  山と雪、その厳しい自然の中で、人々は川に沿って細くのびる谷を開き、田をつくり集落をつくっていった。地図を見ると谷を縫うように広がる数多くの集落と田。羽後町は出羽

【日本全国写真紀行】 29 岩手県一関市藤沢町大籠

岩手県一関市藤沢町大籠 自由と誇りを歴史に刻むキリシタンの里 岩手県の最南端、宮城県との県境にある一関市藤沢町。その町に大籠という小さな集落がある。江戸時代、たたら製鉄の地として栄えた場所で、当時この地を領有していた仙台伊達藩の保護を受けていた。だが、鉄の生産量が思うように伸びなかったため、技術指導を乞うために備中国(現岡山県)からたたら製鉄の技術者を招いた。この技術者がキリシタンだった。鉄の生産量が順調に増えるとともに、村にはキリスト教信者が増え、最盛期には三万人にも達し

【日本全国写真紀行】 28 群馬県利根郡みなかみ町布施箕輪

群馬県利根郡みなかみ町布施箕輪 山間の隠れ里は、まるで養蚕農家の住宅展示場だった みなかみ町の布施箕輪集落は、赤谷川に合流する須川川の左岸にある小さな集落である……というと簡単に聞こえるかもしれないが、実は住所からここを探り当てるのはかなり大変だった。地図上では発見できず、大体の当たりをつけて直接出向き、旧三国街道の宿場町だった布施宿から南西に歩き、みなかみ町新治支所で道を訪ねる。役場の方はとても親切で、詳しい住宅地図を広げて探してくれ、多分この辺りだろうと教えてくれた。彼

【日本全国写真紀行】 24 千葉県銚子市外川町外川

千葉県銚子市外川町外川紀州の漁民が拓いた、一大漁港の夢のあと銚子の漁業は、関西、特に紀州の漁師たちによって発展した、ということをご存知だろうか。  紀州和歌山は都に近く、造船や航海術、漁法が発達していたが、土地の九割が山地で農業が発達しなかったこと、また近世に入って漁獲物の需要が増大したことなどから、漁民たちは豊かな漁場を求めて、東は東北へ、西は五島列島まで遠征する「旅漁」を行なっていた。「旅漁」とは、船に漁具のほか生活用具一式をのせて一隻に16名ほどの漁師が乗り込み、各地の

【日本全国写真紀行】23 東京都西多摩郡檜原村

東京都西多摩郡檜原村東京とは思えない山間の風情ある里東京に檜原村という村がある。島嶼部をのぞけば東京唯一の村で、都の最西端に位置し、約2,000人の人々が暮らしている。多摩川の支流である秋川の上流にあるため、村のほとんどが山林で占められており、江戸時代にはその資源を生かして、江戸の木材供給地として繁栄した歴史をもつ。 ※『ふるさと再発見の旅 関東』産業編集センター/刊より一部抜粋 他の写真はこちら↓でご覧いただけます。

【日本全国写真紀行】22 栃木県那須郡那珂川町小砂

栃木県那須郡那珂川町小砂森と樹々と水田と素朴な焼き物、郷愁をそそる美しい村栃木県の北東、那珂川町の北部に位置する小砂地区は、本当に美しい村である。人口は約800人。総面積の64パーセントが森林で覆われた山間の村で、八つの小さな集落で構成されている。 とにかく絵になる風景が連続している村で、各集落を包む緑の濃淡がひたすら美しく、それが水田に光り輝きながら映る光景は、心のどこかに潜んでいる郷愁を呼び起こすのだろうか、いつまで見ていても見飽きない。日本の山里は、やはりどこの国よりも

【日本全国写真紀行】21 茨城県常陸太田市

茨城県常陸太田市 七つの坂と路地を楽しむぶらり歩きの街茨城県北部にある常陸太田市に、鯨の形状をした丘がある。かつて、この地を支配した戦国大名佐竹氏はこの丘に町をつくり、太田城の城下町をつくりあげていった。 その後、江戸時代に佐竹氏が秋田へ国替えになると、城は廃城となり、当然のことながら城下町も廃れていくかと思われた。ところが、その町は水戸と福島の棚倉を結ぶ棚倉街道がとおり、さらに水戸や那珂湊へ送る物資の集積地だったため、商家が林立する商家街に生まれ変わっていった。それが鯨ヶ

【日本全国写真紀行】20 三重県亀山市

三重県亀山市 「さびしき城下町」という別称をもつ六万石の城下町 江戸時代、11代126年間続いた石川氏の城下町として歴史を重ねた亀山。天正十八年に築城された亀山城は三層の天守閣をもち、その優雅な姿が蝶の舞に似ていたことから粉蝶城とも呼ばれていた。多聞櫓や石垣の一部がわずかながら今も残っている。  譜代大名六万石の城下町であった亀山だが、“市中はまったくにぎわいなし”と伝えられている。宿の規模が小さいこともあるが、それよりもこの宿が徳川将軍の宿泊所として使われていたことが大き