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日本全国写真紀行

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取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。 日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。
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#ふるさとの風景

【日本全国写真紀行】 59 愛媛県西予市明浜町狩浜

愛媛県西予市明浜町狩浜 段畑散策3キロのコース、歩く価値はあります。 西予市の南西部に位置する明浜町は、宇和海に面し、入り組んだリアス式海岸が東西約14キロにもわたって続いている。中でもこの狩浜は、地区全体が宇和海に面していて、集落の後ろにはすぐ近くまで山々が迫り、平地は極端に少ない。民家は海に沿った細く狭い平地に密集して建ち並び、耕地は背後の山の斜面に階段状に広がっている。これらは段畑と呼ばれ、山のてっぺんまで続く畑と石垣の連続は、文字通り「耕して天に至る」絶景を成してい

【日本全国写真紀行】 57 愛媛県今治市小島

愛媛県今治市小島 日露戦争に備えた「芸予要塞」が当時のままに残る島小島は、今治市の来島海峡に浮かぶ、周囲4キロほどの文字通り小さな島である。今治の波止浜港から船で10分、船旅を楽しむほどの時間はなく、あっという間に到着する。1日10便運行しているそうだが、この日の乗客は我々4人と郵便局の職員2人のみ。帰りも同じ人数だった。  ここ小島には、日本が日露戦争に備えて、ロシア海軍の進攻を防ぐために築いた要塞が当時のまま残っている。「芸予要塞」と呼ばれるこの施設は、明治22年から2

【日本全国写真紀行】 56 熊本県葦北郡芦北町佐敷

熊本家葦北郡芦北町佐敷 加藤清正の城下町と薩摩街道の宿場町、二つの顔を持つ港町 佐敷は佐敷川の河口に開けた町で、水運だけでなく、薩摩と肥後を結ぶ薩摩街道の宿駅としても発展した町である。相良氏七百年の城下町である人吉は海のない内陸部にあり、佐敷はその人吉から最も海に近い港町である。薩摩へも人吉へも峠を越えなければ入れない。佐敷が古来から交通の要衝であり、峠越えした旅人たちを迎える宿場町として大いににぎわったであろうことは容易に想像がつく。  南北朝時代には軍事的要衝として城も

【日本全国写真紀行】 52 大分県津久見市保戸島

大分県津久見市保戸島 ゆっくりと流れる島時間を楽しむ 大分県と四国の愛媛県に挟まれた豊後水道。 太平洋からの黒潮の暖流と瀬戸内海の寒流とがぶつかりあうこの水域は、全国屈指の好漁場として知られている。その利を生かして古くから漁業の島として栄えてきたのが保戸島である。   その昔、この地が「海部郡穂門郷」と呼ばれており、この「穂門」が「保戸」に変わったものといわれている。  江戸時代には佐伯藩の勘場や遠見番所が置かれ、近隣の海で鯵やイカを中心に漁が行われていた。明治時代の半ばご

【日本全国写真紀行】47 福岡県朝倉郡東峰村小石原

福岡県朝倉郡東峰村小石原 柳宗悦に「用の美の極地」と言わしめた小石原焼の里 日本三大修験山のひとつで知られる霊山・英彦山の麓、標高1000メートル台の山々に囲まれた盆地に、焼き物の里・小石原がある。この一帯の山々からは質の良い赤土が取れる。寛文五(1665)年、高取八之丞がここで陶土にぴったりのこの土を発見し、窯を開き、主に茶道用の陶器を焼き始めた。小石原焼の始まり。その後、茶陶だけでなく、食器や花器など日常の暮らしを彩るさまざまな陶器を作り始めた。  小石原焼の特徴は、ロ

【日本全国写真紀行】46 長崎県長崎市茂木

長崎県長崎市茂木 通称「長崎の奥座敷」、 美味い魚と「びわ」が自慢ののどかな港町「茂木」という地名は、古くは「裳着」と記されていた。その昔、神功皇后が三韓征伐の際、この浦に船を入れ、上陸して裳(衣の下袴)を着けたことから「裳着」になったと言い伝えられる。そんなことから地名が? と驚くが、昔の地名の名付け方は案外そんなものだったりする。この小さな浦に皇后が立ち寄って着替えをすることなど、そうそうあるものではない。その名前が今も町の象徴である「裳着神社」に残っている。  茂木は

【日本全国写真紀行】45 長崎県佐世保市三川内町三川内皿山

長崎県佐世保市三川内町三川内皿山 庶民には手の届かなかった高級品、 今は誰にも広く愛される器に 16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した「文禄・慶長の役」は、日本、朝鮮、明の三つ巴の戦いとなったが、決着がつかぬまま秀吉の死によって終息。この戦争は侵略した側もされた側も甚大な被害を被ったのみで、何の成果ももたらさなかった。だが、戦いに加わった大名、特に九州の大名たちは、朝鮮の進んだ文化技術を取り入れようと、半島から多くの陶工たちを連れ帰った。そして九州各地にはさまざまな窯場が誕生

【日本全国写真紀行】42 佐賀県佐賀市富士町上無津呂

佐賀県佐賀市富士町上無津呂 山村の素朴な暮らしと静かな時間 佐賀市富士町の上無津呂という山村に、県内最古の民家があるというので行ってみた。「吉村家住宅」というのがその民家である。一見して、その豪壮な佇まいに経てきた年月の重みを感じた。かつてこの家を増改築しようとした際、天明九(1789)年建立という墨書が発見され、県内最古という称号を授かることになったという。  実際に中に入ってみた。木造平屋建て、茅葺の寄棟造り、かまどや囲炉裏がある。棟が一直線になった直すぐ家や 形式が珍

【日本全国写真紀行】41 佐賀県唐津市呼子町

佐賀県唐津市呼子町 イカと朝市でにぎわう風情ある漁師町 佐賀県北部、玄界灘に突き出した東松浦半島のほぼ突端にあるのが呼子町である。深い入江にある呼子港を抱えており、町はこの港とともに歴史を重ねてきた。  呼子港は、半島の北側に横たわる加部島が玄界灘の荒波を防ぐため、古くから天然の良港として知られてきた。江戸時代中頃には、捕鯨の基地としても栄え、鯨で財をなした商家の建物が今も残っている。捕鯨の他にも、アワビ、サザエなどの近海ものもよく獲れ、江戸時代後期には、干しナマコ、アワビ

【日本全国写真紀行】37 秋田県にかほ市象潟町象潟・九十九島

秋田県にかほ市象潟町象潟・九十九島 幻の潟がよみがえる昔ながらの景勝地 今から300年以上前、東北を旅して「奥の細道」を著した歌人・松尾芭蕉。その芭蕉が旅の最終目的地にしたといわれているのが象潟である。真偽の程は定かではないが、松島と並ぶ景勝地として先人の歌人たちを魅了してきた象潟を見たいと強く願っていたことは間違いないらしい。  果たして、念願かなって象潟の風景を見た芭蕉は、こう詠んでその魅力的な風景を絶賛したという。  — 象潟や 雨に西施が ねぶの花 —    (な

【日本全国写真紀行】36 秋田県男鹿市加茂青砂

秋田県男鹿市加茂青砂やさしい浜風が吹き抜ける町 秋田の男鹿半島といえば、ナマハゲを連想する方が多いかもしれない。重要無形民俗文化財としていまや秋田の象徴的な存在になっている。だが、男鹿半島の魅力はそれだけではない。荒波立つ日本海を背景に、目の前に広がる美しく雄大な自然が訪れる人の心を捉えて離さない。なかでも、半島の西海岸部には、日本海沿岸で屈指の美しさを誇るといわれる海岸線が旅人を迎えてくれる。その西海岸の中心にあるのが加茂青砂だ。  おが潮風街道を入道崎方面へ車を走らせてい

【日本全国写真紀行】34 青森県三戸郡三戸町

青森県三戸郡三戸町 「南部氏」と『11ぴきのねこ』と「せんべい」の町 三戸という地は、北奥羽の覇者・南部氏を抜きには語れない。  南部氏は清和源氏の一族で、甲斐国(現在の山梨県)南部郷の出身、建武の新政下で北奥羽奉行となり、北東北へ拠点を移した。一族には三戸南部氏をはじめ八戸氏(根城南部氏)、九戸氏、新田氏などがあり、これらが時により協力し合ったり、あるいは反発したりしながら、主導権を争う小競り合いを繰り返していた。だが戦国時代、群雄割拠の世になると、南部家二十六代当主・信

【日本全国写真紀行】 32 宮城県塩釜市浦戸寒風沢

宮城県塩釜市浦戸寒風沢 仙台藩の海運を支えた浦戸諸島の島々 江戸時代、東北を旅した松尾芭蕉が奥州行脚の最大の目的地としていたといわれる松島。海に浮かぶ三百近くの島影による絶景は、今もなお多くの人々の心を魅了している。この数多くの島々の中で有人島はわずか四島。その四島をふくめた松島湾の湾口部の島嶼群は浦戸諸島と呼ばれている。ほとんどの島が塩釜市になっているが、一部の島々は宮城郡の七ヶ浜町に属している。浦戸という地名は、「松島浦の門戸」の地であることに由来したもので、かつては浦

【日本全国写真紀行】 28 群馬県利根郡みなかみ町布施箕輪

群馬県利根郡みなかみ町布施箕輪 山間の隠れ里は、まるで養蚕農家の住宅展示場だった みなかみ町の布施箕輪集落は、赤谷川に合流する須川川の左岸にある小さな集落である……というと簡単に聞こえるかもしれないが、実は住所からここを探り当てるのはかなり大変だった。地図上では発見できず、大体の当たりをつけて直接出向き、旧三国街道の宿場町だった布施宿から南西に歩き、みなかみ町新治支所で道を訪ねる。役場の方はとても親切で、詳しい住宅地図を広げて探してくれ、多分この辺りだろうと教えてくれた。彼