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日本全国写真紀行

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取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。 日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。
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2023年6月の記事一覧

【日本全国写真紀行】48 福岡県福津市津屋崎

福岡県福津市津屋崎 「津屋崎千軒」ー海運で栄華を極め、塩で九州を支えた町 津屋崎という美しい響きのこの町は、町の西から北にかけて玄界灘に面した風光明媚な土地で、古くから筑前を代表する港としてにぎわっていた。江戸時代には廻船業の拠点として栄え、その繁栄ぶりは家が千軒もひしめくようだったことから「津屋崎千軒」と呼ばれた。当時、家が千軒も並ぶほど栄えていた港町は、福岡の芦屋千軒、下関の関千軒と津屋崎の三カ所だけだったというから、その隆盛ぶりが伺える。またもう一つ、津屋崎の名を九州

【日本全国写真紀行】47 福岡県朝倉郡東峰村小石原

福岡県朝倉郡東峰村小石原 柳宗悦に「用の美の極地」と言わしめた小石原焼の里 日本三大修験山のひとつで知られる霊山・英彦山の麓、標高1000メートル台の山々に囲まれた盆地に、焼き物の里・小石原がある。この一帯の山々からは質の良い赤土が取れる。寛文五(1665)年、高取八之丞がここで陶土にぴったりのこの土を発見し、窯を開き、主に茶道用の陶器を焼き始めた。小石原焼の始まり。その後、茶陶だけでなく、食器や花器など日常の暮らしを彩るさまざまな陶器を作り始めた。  小石原焼の特徴は、ロ

【日本全国写真紀行】46 長崎県長崎市茂木

長崎県長崎市茂木 通称「長崎の奥座敷」、 美味い魚と「びわ」が自慢ののどかな港町「茂木」という地名は、古くは「裳着」と記されていた。その昔、神功皇后が三韓征伐の際、この浦に船を入れ、上陸して裳(衣の下袴)を着けたことから「裳着」になったと言い伝えられる。そんなことから地名が? と驚くが、昔の地名の名付け方は案外そんなものだったりする。この小さな浦に皇后が立ち寄って着替えをすることなど、そうそうあるものではない。その名前が今も町の象徴である「裳着神社」に残っている。  茂木は