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全国最中図鑑

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日本を代表する和菓子の一つである「最中」。香ばしいパリパリの皮とともに餡を頬張れば、口の中にふわっと広がる品のよい甘さ。なんとも幸せな気分になるお菓子です。編集スタッフが取材の途…
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#菓子

「全国最中図鑑」57 鮎もなか (滋賀県大津市)

別名「香魚」「年魚」とも呼ばれる鮎は、滋賀県の代表的な湖の幸。琵琶湖の鮎は、春になると川に上り上流で大きくなるものと、川に上らず琵琶湖の中で暮らしてあまり大きくならないものとがあり、これはコアユと呼ばれている。コアユの天ぷらはちょっとホロ苦い味で、揚げたては格別の美味しさ。コアユの佃煮を熱々のご飯にのせて食べるのも、滋賀人自慢のふるさとの味である。 この琵琶湖の鮎をもなかに仕立てたのは、琵琶湖・大津で創業91年を迎える老舗の菓子メーカー大忠堂。最中種に「日本一のもち米」といわ

「全国最中図鑑」56 伊達侯もなか (愛媛県宇和島市)

慶長19(1614)年、伊達政宗は徳川家康から「大坂冬の陣」への参戦の功績として伊予宇和島10万石を与えられた。政宗の長子・秀宗が別家としてこれを継ぎ、翌年宇和島城に入城して、宇和島藩が正式に誕生した。時が移り、明治維新の際、秀宗は大政奉還に功績があったとして侯爵に任ぜられている。 このことから秀宗公の風格をなぞらえて「伊達侯」と命名されたこのもなか、厳選した十勝産の小豆と氷砂糖を職人がじっくりと時間をかけて煮詰め、素朴だが上品な甘さに仕上がっている。皮は手焼きの極上加賀種。

「全国最中図鑑」46 まけずの鍔《つば》(滋賀県近江八幡市)

織田信長は、桶狭間の合戦に先立ち、熱田神宮で戦勝祈願をした。その時、神前に向かい「神様、願わくば我軍必勝を目に物見せ給え」と一握りの永楽通宝を空高く投げ上げた。すると通宝はすべてが表を向いて落ちた。信長は「あゝ有り難や、我軍勝てり」と勝利を確信したという。 この合戦に見事勝利した信長は、愛刀の鉄鍔にこの永楽通宝を嵌め込み、以後、連戦連勝を重ねた。後世の人々はこの鍔を「まけずの鍔」と呼び、現在は国の重要文化財となって安土城趾の摠見寺に安置されている。 信長が天下の名城・安土城を

「全国最中図鑑」43 首里城最中(沖縄県那覇市)

首里城は琉球王朝の王城で、沖縄県内で一番大きな城である。2000(平成12)年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された(城自体は何度か破壊されて復元されており、世界遺産としての登録は「首里城跡」となっている)。2019年10月31日深夜の火災により、正殿をはじめ復元されていた多くの建築物と工芸品などが焼失したニュースは記憶に新しい。3年後の2022年11月3日、正殿復元が開始された。 その焼失前の首里城をモチーフにしたのが、デパートリウボウのオリジナル菓

「全国最中図鑑」34 音頭最中(山形県最上郡真室川町)

『真室川音頭』のルーツは、明治の頃北海道で流行した『ナット節(ぶし)』だそうである。それが宮城の漁港女川の漁民に伝わり唄われていたものを、真室川出身で当時女川で奉公していた近岡カナエという人が、昭和の初めに真室川に持ち帰り、創作を加えて唄った『山水音頭』が発展したものといわれている(ちなみに山水とは、カナエが働いていた真室川の料亭の名前である)。 当時の真室川は、鉱山の開発や軍用飛行場の建設などで全国からの労働者が集い、夜の街はとてもにぎやかだった。そこで盛んに唄われたのが『