パチンコ店員道開始。はじめまして。

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①パチンコ業界への入社

 私は、大学在学中に車のローンがキツくて、アルバイトをしにパチンコ業界に入りました。当時のローンが120,000円/月(すべて車関連)。
趣味程度のアルバイトでは返済不可能な経済状況だったため、遅番メインで土日祝日すべて返上して、勤務していました。
 当時の店長から、お声が掛かったのは、入社後3カ月が経つ頃でした。

「藤田くん。うちで社員をしないか?すぐに役職者にしてあげるよ」

と。当時、大学と言っても一浪した挙句に、車に走りアルバイト三昧だった私は、学業そっちのけで生きていた。当然、大学内で友達も出来ず、1年生のときにはすでに留年が確定していた。たしか単位を9割落としていたと記憶している。その店長からのお誘いにあっさりと乗って、大学は中退し、パチンコ店の社員として人生の舵をきった瞬間でした。

『役職者になればホールに出なくて、事務所で偉そうに出来る。しかもボーナスで車のパーツが買える』

 私が、社員になろうとしたきっかけはその程度の志しかありませんでした。その後数々の店舗を渡り歩き、たくさんの方々と共に前線(現場)で働いてきましたが、志の高くして入社した人なんで誰もいませんでした。実はこれがパチンコ業界の礎にいるほとんどの現場社員達の思考なのです。

②役職者としてのスタートから店長まで

入社後アルバイト歴4ヶ月で一般社員となりその1カ月後には金銭管理者として、ひとつめの役職付きの社員となりました。休憩を回したりするリーダーみたいなものですね。当時は400台の店舗で役職者は5名(私含めて)。店長は14:00から閉店までは帰ってこないので、なんと昇格3日目にして一人でお留守番をするなんてこともありました。現場は、や○ざさんや、ゴト師、チンピラさんなどが多数混在する鉄火場ホールだったので、毎日ドキドキしていたことを覚えています。
 そして、ただ一生懸命真面目に勤めていたある日。入社から1年で、主任昇格することになりました。年齢は21歳。その会社での主任は2番手です。
月売上1億5000万円あるホールで、地域では中堅レベルの店舗です。しかも主任昇格と同時に、転勤までセットに。その転勤先とは東京足立区の綾瀬駅前店…死にたくなりました。ご存知の方はおられると思いますが、治安が悪いことで評判のエリアでした。しかも店長は当時珍しかった女性店長。2番手としては、対客トラブルは全て私にくるという事態に…そんなことを想像しながら転勤して勤務しましたが、意外にも平穏な日々で良い意味で期待を裏切られました。(とは言っても、週に一度はや○ざもどきさんやチンピラさんと揉めていましたけど…)
 そして1年後には、埼玉へ転勤しグランドオープン店舗の2番手を担当し、その店舗が成功したあと、23歳で店長に就任します。しかも36店舗中6番目の利益店舗でした。月売上2億/利益5,000万円の店舗です。今思えば、無知な23歳のクソガキによくそんな店舗を任せたと思います。真面目に一生懸命勤務をこなしていたから上の人が認めてくれたと本気で思っていました。後日、先輩方に聞いたのは、

計数管理が凄い若造

と、評判だったようです。
 まだインターネットがそこまで普及されておらず、SISなんていう指標もない時代(知らなかっただけであったのかな)、私は役職者になってから毎日数字を見て、日々の変化を楽しんでいました。だって、何百万何千万円というお金が毎日動いているんですから。
 それにしても計数管理が凄いという評判は、今思えば初歩的な数字をただ言っていただけだったのでビックリです。そして現在もなお、最低限の計数管理数式しか知りません笑。

 そして私の店舗管理職としての長い業界人生が始まりました。

 ありがたいことに基礎的なことを20歳代の頃はたくさん学ばせて頂きました。計数管理はもとより、技術面(時代が時代なので詳しくは書きません)、人材管理景品管理、そして不正管理。今、思い出してもこのころには戻りたくないほど、毎日が修羅場の連続でした。

③常駐コンサルタントとしてステップアップ

28歳になってお世話になった法人を退社し、コンサルタント会社へ入社しました。退社理由は、自分が”井の中の蛙”だったことを知ったからです。当時惚れた女性が私の事を知らない現実を痛感したのです。それまでの私は若く、期待のホープ(たぶん…)として存在していたので、1000人近くいる社員は皆、私の事を知っていました。当時ツイッターをしていたら、今頃は…笑。なのに、一歩外へ出たら、私の事を誰も知らないのです。そうりゃそうですよね。知るか!馬鹿!といわれそうな話ですが、結構ショックでした。

 つまりは”井の中の蛙。大海を知らず”だったのです。現在もそういう店長ってまだまだおられますよね。そこで地位と収入、人間関係をリセットして、コンサルタントの世界へ足を踏み入れることになったのです。

ちなみにその惚れた女性とは、東京の海物語の展示会で見た、
初代ミスマリンちゃん(↓大久保麻梨子さん)です笑

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そうして、私は約10年間。全国の店舗へ常駐して現場で、店舗のスタッフの皆様と共に最前線で闘うことになるのです。知らない土地。マイナスしかない規制。たったのひとりの孤独。28歳からの10年間は私を強くしてくれました。

かなり端折りましたが、
私がここでドヤ顔でお話しをするのは、成功体験談などの”俺凄いアピール”をしたいのではなく、数千人以上と共に最前線で闘ってきて身についた知識や考え方をお話ししたいと考えています。

全ては未来の優秀な店長になっていただくために

 こんな私ですが、よろしくお願いします。

                  MONvalry 藤田 智行

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