「歴史総合」の教科書を採択する基準

文部科学省の教科書検定結果が出て、各教科書会社からダイジェスト版が送られてきた。本物を見て採択を決めたいところだが、今のところ送付されてきた資料から判断するしかない。

2022年度から新たに始まる「歴史総合」は、どのような内容や仕様になっているのか、地歴科の教員は興味津々だろう。

実際、先週はオンライン会議が開かれ、いくつかの教科書について意見交換した。

「歴史総合」の目指すものがぼやけ、これまでの「世界史A」と「日本史A」の内容をパッチワークしたものが多い。だが中には、まったく新たに練り直し、資料をふんだんに掲載したものもある。

共通テストの受験科目になる予定なので、大学入試のことも考えなければいけないが、できれば新たに練り直したものを使いたい。

では、どのような教科書がふさわしいのか。

あらためて平成30年に告示された「学習指導要領」を読んでみると、どの地歴科目の目標にも共通する表現がある。

それは、

社会的事象の見方・考え方を働かせ、課題を追究したり解決したりする活動を通して、広い視野に立ち、グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の有意な形成者に必要な公民としての資質能力を育成することを目指す。

である。

ここでいう「公民」とは、社会の発展に寄与するために必要な知識や素質がある参政権を持つ人々 のことを指す。

以前、生徒に「公民」という語から何をイメージするかを尋ねたところ、「固い」「束縛された」といった「自由」とはやや距離のあるものを連想するという回答が多かった。

したがって「歴史総合」を学習するにあたり、しっかりとした価値観を身に付けたうえで、自由に物事を考えて政治に参加することが重要であることを伝えてから、授業に入る必要がありそうだ。

さて、当然のことだが、各教科書とも(全部見たわけではないが)学習指導要領にのっとっているので、「内容」にあたる章立てとタイトルはほぼ同じだ。問題なのは、「内容の取扱い」が十分配慮され、生徒たちが「何」を「どのように」学ぶかを十分意識して編集されているかどうかである。

単に世界史と日本史の融合というわけではなく、通時的にも共時的にも「テーマ」を設定し、それを生徒が主体的に学べるような教科書の内容や構成になっていることが望ましい。

ここで、学習指導要領に基づいた教科書に要求されることについて、私見を述べておきたい。

1.課題解決に向かう生徒の視点

まず、生徒の視点を大切にすべきである。

A 歴史の扉
(1)歴史と私たち
B 近代化と私たち
C 国際秩序の変化や大衆化と私たち
D グローバル化と私たち

このように、学習指導要領の内容には「私たち」という語がついている。これは学習者が生徒自身であり、教員は彼らの学習に対する関心や学ぶ姿勢を引き出す必要があることを示していると思われる。

その観点からすれば、歴史を通して、自分ならどうするかという「自分ごと」として過去の事象を捉え、将来似たようなことが起こった場合、それをどのように解決して生きていくかを考えるような授業をデザインする必要がある。

つまり、現代的な諸課題にどう立ち向かうかヒントにつながるようなデザインが重要だ。言い換えれば、そのような授業をするための教科書であるべきだろう。

まちがっても「~させる」という指導観を持ってはいけない。教員は生徒の伴走者であることが望ましい。

2.何を理解すべきか明確なもの

第二に、生徒が次のことを理解するよう
教員は努めなければならない。
歴史とは何か、
近代化とは何か、
国際秩序とは何か、
大衆化とは何か、
そしてグローバル化とは何か、である。
これらの質問に明確に答えている
教科書こそ、採択に値するものだと言える。

3.批判的思考力の育成

第三に、以下のような深い学びを保障すべきである。そして、それをサポートするような問いがある教科書が望ましい。
 知識の獲得
  → 思考・判断・表現力の育成
  → 多面的・多角的な考察
  → 問いの表現

特に最後の「問いの表現」にたどりつくことがなかなか容易ではないのだ。

そのためには「問いかけ」が必要だが、各教科書には至るところに問いがあり、そのまま教科書通りに授業をすると、すべて問いに答える形になる恐れがある。あくまでも生徒自身が「問いを表現する」ことに行きつくことが重要である。

それに不可欠なのが、教科書の記述に対する「批判的思考力」すなわちクリティカル・シンキングであろう。勘違いしてはいけないのは、何でも批判的にとらえろと言うのではなく、何事も一度は疑って考える姿勢を身に付け、
そのことが「問いを発する」ことにつながるということを教員が知っておくべきである。

4.主体的・対話的で深い学びの視点

そして最後に、主体的・対話的で深い学びになるような材料を提供する教科書であるべきだ。過去の歴史において、なぜそう考え、そうしたのか、その結果どうなったのか、それは正しかったのか、ほかの選択肢はなかったのか、もし他の選択肢を選んだなら、状況はどう変わっていたのか、そうしたことを考える視点を身に付けてほしい。

だから、そうした資料や統計などを提供してくれる教科書であってほしい。

以上、四点の私見を述べてきたが、それにかなう教科書こそ、私が採択したい教科書だと言える。複数の教科書が候補となり、悩むことになることを期待したい。

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