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人間関係に生産性を求めるべきなのか。


「もうこれ以上一緒に過ごしても関係は発展しないけど、あなたのことほんとにかわいいって思ってる。だからほんとに応援してる。」 最近言われた言葉だ。 

 これは決して告白の返事ではないし、私たちは飲み屋のごはんの美味しさに一通り感動し終わった後だったし、私はストレートだし、この言葉を発したの彼女もストレートだ。

「普通」に考えたらまずこの状況と台詞を奇妙に思うべきだけど、とりあえずそれは私と彼女の間にある友情と愛情というもので片付けるとして、私が気になったのは「これ以上一緒に過ごしても関係は発展しない」という前置きだっだ。 「急にどうしたの?」ととりあえず聞いてみた。 

 すると 「私といる時間を誰か別の人と過ごしたほうが生産的な時間を…」 冗談だよ、と笑いながらもこのような旨の話をしていた。 

 関係が発展する、とか、生産的な時間とは一体どういう意味なのか。確かに私たちはストレートなので付き合うことはないし、新しいビジネスを立ち上げる話もしてないので資本主義的な意味で何かが発展しているわけでもない。つまり友達としてはもう十分心を通わせてるからこれ以上仲良くなれないほど仲が良いということみたいだ。 私的な空間で誰かと時間を共有する理由として生産性について考えたこともなかった私にとって、そんなこと思うんだ~と驚いた。 __________________________________________________________________________________ 最近友達になった男の人(28)がいる。タナカさん(仮名)というのだけれど、今まで出会った中で一番好きなものが似ていて、とにかく映画、小説、漫画などのカルチャー面において話が合う。

そして頻繁に遊んでいるため、友達にタナカさんの話をしたりすると、「付き合わないの?」と必ずと言っていいほど聞かれる。 「その予定はない」と私が答えると、結構な確率で怪訝な顔をされる。「じゃあなんでそんな遊んでるの?」と言わんばかりに。 

 確かに、22歳の女が28歳の男と映画観に行ったり居酒屋で数時間語ったりしているのを傍からみたら、付き合っているように見えるかもしれないし、逆に「マブダチです」と言われても不思議に思うだろう。 

 付き合う予定のない成人男性と無邪気に花火したり映画みたりするくらいなら、付き合う兆しがみられる人と関係を発展させたほうがいいんじゃないの?と例の彼女なら言うかもしれない。それが人間関係において「生産性が高い」ということなのかもしれない。 しかし、人生の中のいかなる時期においても何かを発展させることばかり考えていなきゃいけないのだろうか。

ましてや人間関係において、お友達になれる人がいるだけでもありがたいことなのに、それに「生産性」を見出す必要性を私は今のところ感じていない。 然るべき時が来るまで、まだまだ好きな人とおもいっきり非生産的な時間を過ごしたいと思うばかりである。

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