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大学生活と自尊心

昨今、欧米の「自分を好きになろう」ブームが日本にも到来している。 ありのままの自分を、自分が愛そう。 その考え自体は素敵だ。誰しも自分自身を自分の力で好きになれたらなんて幸せな世界なんだろう。 でも私は、他人に奪われた自己肯定感は他人にしか補えないものだと思っている。 他人からの承認案されたくて仕方ない自己肯定感の低い自分から脱した後でも、やはりそう思うのだ。 そりゃそうだ、誰からも好かれてない人が自分で自分を肯定できるはずなんてない。 (ただ、自己肯定感が低かったときでさえ、誰からも愛されてなかったわけではない。自分を隠していたから周りからの愛に懐疑心を持っていたのだ。) 自己肯定が全くできない人がいきなり自分から自分を好きになるなんて無茶な話だ。きっかけとして他人から肯定してもらう必要があると、私は思っている。 自分を好きになるのはその後だ。 だから他人に肯定してもらおう、存分に。 他人に肯定してもらうためには、自分を素直に解放する必要がある。 つまり恥ずべきこと、後ろめたいこと、必死に隠してきたことを、自慢げにではなく、自虐でもなく、キャラっぽくもなく、ただ素直に発信し続けるのだ。 それはきっとオンラインでもいいし、周りの人との飲み会中でもいい。そうしているうちに、その切実さに惹かれてくれる人がちらほら現れる。面白がってくれる人が現れ始める。 自分を素直に発信することで、今まで話したことなかった人が共感してくれて友達になるケースだってある。 未来の友達は、案外近くにいる。 もちろん発信することで傷つくことだってある。わんわん泣く。なんで私はこんな人間なんだろう。 でもたくさん寝て美味しいもの食べたら、また発信する。 それを繰り返していたら、不思議と周りも自分に対する気持ちを素直に教えてくれるようになった。愛を言葉にしてくれるようになった。 そうやって肯定されるようになって、めちゃくちゃ幸せな日々をここ数ヶ月送っている。 自己肯定を取り戻すと、判断軸が自分の意志になる。 今までは自分は選ばれるのか、内定をもらえるのか、恋人として選ばれるか、そこで自分の価値を図ってきた。 今は選ぶ側に立つことも少しずつ増えた。手綱を握って餌を遠ざけることもできるようになったし、餌がなかなか食べられなくて逃げていく人はその餌にしか興味がない人だったんだと思うようになった。 例え選んだ人に選ばれないことがあろうとも、友達として距離を詰められるだけで結構幸せを感じることができるようになった。  こんな調子に乗ったことを散々言ってるけど、社会人になってまた環境が変わったら自己肯定感を失うかもしれない。 でも私は取り戻した経験があるし、取り戻し方も知ってる。 たぶん大丈夫、と思える今日であった。

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