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自殺と従妹と私と友達。



従妹が自ら命を絶った。 彼女がこの世からいなくなったことが今でも信じられない。 数週間、数ヶ月経てば実感が湧くのだろうか。


2週間前、彼女がインスタグラムのストーリーに自殺未遂をしたという投稿を載せていて、居ても立ってもいられず「会おう」と約束した。

彼女は「会いたい」と言ってくれたので嬉しかったし、とりあえず安心した。 彼女がどの程度の自殺願望を持っていたのか分からなかったし、普段頻繁に会っていない私にできることはあるのか不安なまま当日を迎えた。 すると彼女の妹から、「ごめん今日体調悪くて行けないの」と言われた。
彼女はその前日に亡くなっていた。

彼女の遺書のような日記を見るまで、彼女が何で苦しみ、自殺するまでに追い詰められていたのか知らなかった。 彼女は完璧主義で、真面目で、甘え下手だった。私たち親戚に会う時はいつだって元気そうに振舞っていたし、母親にも鬱病のことを打ち明けていなかったようだ。
仕事で成果をあげなくちゃ。勉強とも両立してやらなくちゃ。早寝早起きしてお酒は飲みすぎないようにしなきゃ。痩せなきゃ。人種差別やコロナウイルス、世の中に起きている様々な嫌なことに対して自分は何ができるんだろう、何もできない。絶望。 たくさんの「しなきゃ」に雁字搦めになっていたようだった。

幼少期の頃、私は彼女に会う度に、どうしたら彼女のような魅力的な人間になれるか頭を悩ませていた。服装や仕草を真似たりもしていた。 とにかく憧れの存在だったし、私たち親戚の中では一番頭が良かったし、一番かわいかった。

だから彼女が中学の頃いじめられていたことなんて全然知らなかった。いじめられていた理由は「モテたから」だ。

出る杭は打たれる社会の下、環境や人を自力で選べない幼少期を過ごしたその経験は彼女にどんな深い傷を与えたのだろう。エピソードを1つや2つ聞いただけでも想像を絶するようなもので心が締め付けられる気持ちになった。

私は自分から言っておいて、彼女に会うことが怖かった。完璧主義の自分にも他人にも厳しい彼女は、正直言って近づきがたかったし、なんて言えばいいか分からなかったからだ。私とは全く違う種類の人間だと思っていた。



-------------------------------------------------------------------------------------- 昨日、かつてうつ病を患っていた友達に、 「君は僕が落ち込んでたとき話を聞いてくれたけど、その後病院に行って薬飲んだら?と言ったでしょう。あの時、『ああ、この人も皆と同じか』と思ったよ。携帯割りそうになったよ。だめだよあんなこと言っちゃ。」 と言われた。 

 ショックだった。ショックを受けたのは彼のはずなのに、私もショックを受けた。 私は、コロナも相まって彼に会える状況ではなかったので、彼が自殺するくらいなら病院に行ったほうがいいと思った。私が心配だから誰かの監視下に置かれた方がいい、という彼の気持ちを完全に無視したエゴだった。


「『悲しい気持ちになることは誰でもあることだよ。何があったの?』そう言ってくれればよかったんだよ。薬は長期的に考えたら良くないし、病院に行って良かったって言ってる人を僕は見たことがない。むしろ傷つくことのほうが多いんだよ。」と言われた。 

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もちろん考え方は人それぞれだし、まだ何も勉強していないので学術的なことは何も分からない。

鬱に対する考えは国や育った環境によっても大きく違うから、この人は精神的に参ってる、だからこうしよう、と決まった対応方法はない。
鬱とか関係なく、普段から人への対応方法が十人十色であることと同じだ。

ただ、本当にどんな人でも鬱になり得る。かわいくてもブスでも頭が良くても悪くても、どんな性格でもなり得る。

接し方が分からないと戸惑っていたけど、一人の独立した人間として、愛をもって接する以外ないんじゃないかと思う。

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