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Essay:コモンズは再建できるか

面白い人間の居場所

せっかくの人生をよりよいものにするためには、よりよい関係を築くこと、これに尽きるかと思います。幸せは人とのコミュニケーション上でしか生まれないと思うのです。言葉を交わし、物を交換し、体験を共有するという、当然の営みです。ただしコミュニケーションには上下の質があります。質の高いコミュニケーションは、知的かつ文明的、そしてより人間的でないと行えないでしょう。それができる面白い仲間を、このブログでも集めたいのです。

インターネットによって、趣味という共通項で集まることができるため、「きつい(必然的な)つながり」ができやすい。資本主義下でのきついつながりは互いの生涯背景を無視するため、プツンとすぐに切れてしまいやすいのですが、このきついつながりを「確かな居場所」で結ぶことができれば、よりよい関係を持続することができ、その場所は助け合うためのコモンズになりえるのではないでしょうか。


第2の実家であるコモンズ

コモンズは「共有地」を指します。誰もが自由に利用できる空間のことです。様々な場所ですでに取り組まれているように、誰もが自由に出入りできるクリエイティブな場所は増えるべきと思います。私が望むコモンズでは、もちろん、その空間でのブルシット・ジョブは厳禁です。相談や対話、議論するスペースであり、よりどころとしての確かな居場所、もしくは実家のような安心感のあるセーフティネットを望む人は多いのではないでしょうか。

人間はあくまで動物ですから、結局物理的な結びつきがないと弱ってしまいます。厚生労働省のまとめによれば、対面機会が得られなかったコロナ禍では、学生とくに女性の自殺者が増加しました。残念ながら資本主義によって共同体は解体され、テクノロジーが人びとの孤立を後押ししてしまいましたが、物理的に確かな居場所があれば、ゆるい(偶然的な)つながりも回復できるはずです。

コモンズが市民をつくる

ここまでの私の議論によれば、切れやすいきつい(必然的な)つながりはインターネット上で形成されやすく、弱い関係のゆるい(偶然的な)つながりは不確実性の高い物理空間で育まれます。そして仲間とのよりよい関係は、テクノロジーとリアルの両空間を行き来して、適度なバランスをとることが必要と思います。

そして仲間とよりよい人生を送るために、コモンズが共同体でなくてはなりません。コモンズを共同体せしめるには、皆が市民精神(シヴィック・スピリット)をもつ必要があります。古代都市アテネでもスパルタでも、市民はひとつの特権的な身分でした。市民は共同防衛の義務を負うからこそ政治に参加でき、国政に関与することによって国の方向を決めることができました。その特権がきわめて強い帰属意識を生みだすわけです。

日本ではしばしば市民がいないといわれます。日本は、憲法のなかで市民でなく国民が使われ、公とお上を混同し、誰にも防衛義務がない。これらの所以で奇妙な国家ができあがったようです。当然ですが、共同運営の義務がアソシエーションを育み、コモンズを完成へと近づけます。一人でも多く運営者としての仲間を増やしたいところです。

ランティエを目指して

それから、市民は「ランティエ」のように振舞ってほしいのです。ヨーロッパでは17世紀から20世紀の初めまで貨幣価値の変動がほとんどなく、ランティエと呼ばれる者たちは祖先の遺産による公債国債の金利だけで一生働かずに暮らすことができました。教養があり、富と余暇があるという羨ましい存在です。つまり、FIRE脱サラに教養を付け加えた人ということですね。

ランティエは新しい芸術運動、学術、冒険の最大の支援者かつ実行者でした。面白い芝居がかかっていると聞けば見に行き、才能ある詩人が登場したと聞けば朗読会を企画し。新しい哲学が出てきたと聞けば夜を徹して議論する。極地探検に行くという話も、暗黒大陸に行くという話も、成層圏に気球で昇るという話も、真っ先に食いつくのはこのランティエたちでした。実験的で、フロンティア精神が旺盛な彼らによって、人文学が発展したのです。私たちがランティエのように振舞えば、もっと面白い人たちを生みだすこともできるかもしれませんね。

偶発性をデザインする

最後に、キャリア学の「計画された偶発性」を参考にしてみましょう。現実は不確実性で溢れており計算不可能であるため、キャリアプランも計算可能なものではない、というような考えです。偶然によって左右される人生なので、あらかじめ計画にも偶然を取り込める柔軟性が必要ということですね。

そしてゆるいつながりに対しても、いくぶん偶然をデザインしておく必要があります。ここではコペンハーゲン市を参考にしてみましょう。この都市は2017年に新しい観光戦略として「観光の終わり」を打ち出しています。

「これまでは大量の消費者が、ビジネスと余暇、都市と地方、文化と自転車など、各セグメントに分断された観光を楽しんでいました。見栄えの良い観光地の美しい写真で観光をマーケティングする時代も終わりました。政府の観光局が、当局が消費者に観光地を上から目線で提案する時代も終わりです。観光はもっと地域住民や企業、そして観光客が一緒に作り上げていくものになるべきです。そして観光が地域に住む人の生活の質を上げなければコペンハーゲンは観光客の犠牲になってしまいます。マスメディアによるPRによって大量の観光客が押し寄せ、地域住民の負担になるようではダメです。さらに、観光客を単なる観光客としてではなく、一時的な住人として扱うことで、観光客も地域コミュニティの一員となり、コミュニティに貢献できるのです」。

ゆるく訪れた方々にも、共に活動し楽しみ、体験を共有できる設計をしておくことで、コモンズは再建されるのかもしれません。

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