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ドリフコントのような店~マダムのケーキ店~

私たちの娘は、3人とも夏に生まれた。しかも律儀に1ヶ月違いにだ。
7月が長女、8月は次女、9月には三女。さらに夫も7月生まれで、我が家にとって夏は誕生日バブル期間。夏の間は、毎月ケーキやプレゼントの準備、食事の手配をやっていることになる。これが結構忙しい。もちろん出費も忙しい。

暑さにも秋の陽気が入り混じる9月、いよいよ三女の誕生日がやってきた。泡粒のパチンとはじける音とともに誕生日バブルが終演を迎えると、私は来年に向け秋冬春と質素倹約に勤しみ、再びアリのようにコツコツと働き始める。私にとって9月は、年度と年度の境目のような月だ。

子育てが始まったばかりの時は、娘が喜んでくれるならと誕生日ケーキの注文には抜かりがなかった。私が子どもの時からある近隣のケーキ店は、好きな絵や写真をケーキにプリントしてくれる。その時々で、娘が気に入っている絵本やアニメの登場人物をいそいそと店に持参し、ケーキ代+カスタマイズ費用を払い、当日受取りに行くのだ。これだけは外せないと思っていた。当時は。

しかし、一人またひとりと子が増え、己の時間がどんどん子育てに吸い取られまるで一生自分の時間なんて持てないのではないかと言う錯覚(長い人生のほんの一瞬なのにも関わらず)を持ちはじたことで、子育てに関して横着さが増し、さらにひたひたと忍び寄る老化により、だんだんとケーキの事前予約ができなくなっていった。いや、出来ないというか、単にマルチタスクと加齢を理由に、オプショナルケーキの予約から受取りまでの複雑作業が煩わしく感じてしまっただけなのだが。

だから、ここ数年は至近距離にあるフランチャイズのケーキ店で直前に購入することが増えた。

しかし、今年は違った。誕生日バブル終演と、夏休みのマルチタスクの日々がやっと明けた嬉しさと、そして普段手を抜きまくっている家事育児の罪滅ぼしもあり、簡素でも素朴でもいいから、街のケーキ店でこれぞ誕生日!と思うようなホールケーキを手に入れたい。そして、子の成長や年頃の娘たちのいる家族が唯一終結できる誕生日会で、盛大にこの幸せを噛みしめたい。よし!いつもと違うちょいと美味しいケーキ店に行くぞ!そう決意したのは、焼き肉店にディナーへと向かう10分前だった。

私は焦っていた。何せ時間がない。まずはネット検索してみるも、焼き肉店から帰る頃にはもうケーキ店はどこも開いていない。さらに、近くの店で買わないと、移動に時間を食いディナー会場に遅れてしまう。そこで、近所にあるものの一度も行ったことがない老舗ケーキ店を思い出した。そうだ、あそこならおあつらえ向きのものが見つかるかもしれない。

店の前に到着するも、いきなり入ることがプレッシャーだった。
お目当てのケーキがあるかどうか分からないからだ。買うものがないのに、すぐに踵を返すのは定員の視線が直撃し背中が痛い。そこで、店の斜め前から姿が見られないようショーウインドゥをのぞくと、チョコレートコーティングのケーキとショートケーキがホールで置いてある。よし!あったぞ。勇み足で入店すると、品の良い60代くらいのマダムがいらしゃいませぇと出てきた。

ショートケーキの名札には、一切れ分の金額しか書いておらず、ホールの値段が分からなかった。そこで、私はマダムに、
「このショートケーキ、ホールだとおいくらですか?」とたずねた。するとマダムは、
「…いくらだったら買ってくれますぅ?」と言った。

時間がないうえに、初めてのお店で緊張もしており、一瞬マダムの言っていることが理解できなかった。真面目な値切り交渉か、はたまたどのお客にもこのような洒落を一発かますのか。もうマダムったら、今日も冴えてるわね。馴染みの客なら平然と構えられるのだろうか。私が答えに困窮していると、マダムは「あのー、これ6号なんですけどぉ、5号の値段でいいですよぉ」と言った。

そうか、時すでに夜の7時。そろそろお店が閉まるタイミングだろう。この提案は、閉店直前にお安くしますよ、という意味なのかもしれない。安くしますよ、と言われると、つい「ありがとうございます」と即答し目元が緩んでしまう。そして、続けて「では、ホールでお願いします」と伝えた。

「ありがとう、では準備しますねぇ」
マダムがゆっくりショーケースの扉を開け、ケーキを皿からナイフで持ち上げようとしたその時、私は思い出してしまった。誕生日ケーキはケーキ単体だけが誕生日ケーキではない、行事に欠かせない付属品があるんだということを。しかし、マダムからの提案は何もない。何か足りないはずだ。自分で思い出さなければ。なんだっけ。数十秒考えてやっと思い出した。そうだ、蝋燭だ!!

私は、マダムの背中に向かって「あのう、蠟燭を頂きたいのですが」とお願いした。マダムの手が一瞬だけピクッと止まり、「蝋燭…ですか?」と聞き返した。
「はい、娘の誕生日用ケーキなので、年の分だけ欲しいんです。9歳なので9本欲しいのですが、ありますか?」
と聞くと、マダムは笑顔いっぱいでクルっと振り返り、
「ありますよぉ、大丈夫よ。何本だっけ?」と答えた。
「9本です」と答えると、
「うちは、3本以上はお金頂いているのよ、いいかしら」
オプションなんだぁ、値段は聞いてないけど、まあ法外な値段じゃないだろう。マダムに、
「あ、大丈夫です大丈夫です」
と、まるで自分に言い聞かせるように伝えた。

「じゃあ、蝋燭つけますねぇ」と言いながら、マダムは箱詰め作業を再開した。箱詰めの作業を見届けながら、私は再び何か忘れていることを思い出した。それは「〇〇ちゃん おたんじょうびおめでとう」のメッセージプレートだった。

ぴっちりとした箱にショートケーキが収められ、マダムが蝋燭の本数を数え始めた時、私は再びマダムに尋ねた。
「あのぅ、お誕生日のメッセージプレートはつけてもらうことできますか?」
すると、マダムの手が再び止まり、くるっと振り向いた。
「プレート、ですか…?」

語りかけた相手から疑問符付きの答えが返ってくるほど、怖い事はない。何か可笑しいことを言っただろうか。メッセージプレートは私が知っている狭い文化でしか通用しないのだろうか。いや、そもそも文化以前に私が下調べもほどほどで飛び込みで閉店間際の店に入り、あれこれ注文すること自体が失礼極まりないのかもしれない。ああ、聞かなければよかった。でも、せっかく懐かしのショートケーキ、しかもホールを入手したのだから、できるだけ理想に近づけたい。でも…と私が返事できずにいると、マダムは、
「実はね…プレートの話しが出るんじゃないか?ってずっとドキドキしていたのよ。プレートの字を書くのって緊張するし、少しお待たせしちゃうのよねぇ。それでも良ければ作りますよ」と言った。

優しい。マダムすごく優しい。きっとそろそろ店を閉めようとしていたのだろうが、色々注文をつける客が来て大変だろうに、快く受けてくれた。
「も、もちろんです!待ちます、何分でも待ちます。よろしくお願いします」
本当は、あと5分ぐらいしか待てないのだが、マダムの優しさが私の気持ちを落ち着かせてくれた。

「じゃあ、椅子に座ってお待ちくださいねぇ」と席に促された。椅子に腰をおろしじっとしていると、ふとショーウィンドウに目が留まった。チョコ掛けケーキの前に「昔ながらのチーズケーキ」と品札に書かれている。
このお店では、昔ながらのチーズケーキにチョコをかけるのがお店流なんだろうか。いや、それとも、正統派チーズケーキは必ずチョコがけをするのだろうか。食べたことがないから、気になる。好奇心に駆られ、ショーウインドゥ越しにキッチンにいるマダムに話し掛けた。
「こちらでは、チーズケーキにチョコがけされるんですか?」
マダムは、私の質問を肯定も否定もせず、遠くにいる私に聞こえるようにやや大きい声で、
「ザッハトルテです」と答えた。

そこでやっと私は、札の入れ間違いだということに気が付いた。良く見ると、レジの横に「ザッハトルテ」の札が残っており、昔ながらのチーズケーキはウィンドウの端っこに名無しのまま鎮座していた。値引き交渉といい、蝋燭やメッセージプレートのことといい、面白いお店だなと思った。まるで、ドリフのコントみたいだ。

今まで、システマティックな店でケーキを買っていたから、
「ハイ、イイエ、大丈夫です、ありがとうございます」
こんな定型の言葉を返しながらサービスを享受することが常だったが、己の行き当たりばったりな人生が良い感じで転んだらしく、人間らしい温かさに触れた買い物が楽しめた。

自分の行動を変えるということは、面白いことに出合うことであり、自分の当たり前を疑える機会でもある。その前に、私の無計画なところを改めなきゃならないが、全部が予定通りでも人生つまらんし。まあ、たまにはいいだろうと、またもや言い訳をしているあたりまたすぐにやらかしそうだ。

しかし、マダムの接客スキルはかなり高い。閉店間際の接客という緊張の時にも関わらず、穏やかで相手の気持ちを悪くさせない接し方、声の掛け方。困ったことをドリフコントみたいな笑いに変え、気持ち良く買ってもらう。商人魂である。

マダムとのやりとりで、幼少期に父に連れられ、父の仕事に同伴したことを思い出した。まだ、小学生にもなっていなかった。多分、たまたまその日、私の子守りが見つからなかったのだろう。父と一緒に長時間いることに慣れなかったけど、それがこそばゆくも嬉しかった。帰りに、昔ながらの中華料理店で夕食を食べることになった。そこは、老夫婦が営む店だった。
私はオムライス、父は焼きそばを頼んだのだが、何度言っても
「あい?なんだって?」と聞き取れない奥さんにやっと注文を取ってもらい、父はホッとして水を飲みながら
「まるでドリフのコントだな」とつぶやいた。

注文がやっと通ってからは、私たち父子はマスターが調理をしている様子やいい感じに荒れている店内を見て、この店大丈夫かなとヒソヒソ声で話した。普段一緒にいることに慣れない2人が、味のある店や、老夫婦についてクスっと笑ったり、心配したりと共通の話題によって結束が強くなった。コントにできそうな面白いお店は、人を幸せにしてくれる。人生には笑いが必要だ。ユーモアかつ機知に富んだお笑いが。

マダムのお陰で、いい誕生日を迎えられて良かった。お陰で、私は来年のバブリー誕生期間に向けてまたコツコツと頑張れる。甘いケーキが食べたくなったら、マダムの店にザッハトルテとチーズケーキ買いに行こうと思う。


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