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56. 休みの日には、涙を流してみたり。

休みの日は何してる?と聞かれるといつも答えに困ってしまう。
ぼーっとしてる、と答えるのは半分本当。でももう半分は嘘。本当はときどき、涙を流してみたりしています。

こんな風に書くと仕事や生活にものすごく疲れている感じがするけどそういう意味じゃなくて、意図的に泣いている。ん、もっと変か。つまりドラマや映画なんかを観て、泣こうと思って泣いている。
ただ、泣くとすっきりするといういわゆる涙活とも、実は少し違う。それじゃあなぜ泣いているかと言うと、これは私の夢と関係しています。


小学生の時、私は女優になりたかった。文集の将来の夢には女優と書いた。メガネっ子でオシャレでもなくて、クラスにはもっと可愛い子がたくさんいても、勇気を出してペンで書いた。高校で迷わず演劇部に入って、大学で自分でユニットを組んで全国大会に行った。
就活なんてするつもりなかった。だって、会社に就職しないんだから。

でも結局、お芝居を仕事にしなかった。


涙を流す演技は、私にとってはお芝居の真骨頂。だって、他のことは雰囲気でそれらしくできても、涙って感情がなかったら流れないから。涙を流せるというのは、きちんと気持ちを作って自分をその感情に潜り込ませることができてる証拠。お芝居の上手さの指標のひとつ、って感じ。
でも私が大学生までの間に舞台上で涙を目から溢れさせることができたのは、ほんの数回だった。もともと感情が盛り上がるタイプでもなければ、集中しようとする時に限って周囲が気になったりして、感情に一瞬ストップがかかる。他の演技ならまだしも、涙はじわーっとくるから一度止まると戻るのが難しい。と、私は思ってる。


だから、休みの日に泣いたりしてる。

つまり私は今でも泣くお芝居に憧れと未練があって、涙の感情と、そこにたどり着くまでの気持ちの流れをつくり体感することを、ときどき意図的にやっている。
涙が出そうな時って、あ、くるなってわかる。でもお芝居なら、くるなと分かりつつそのまま高めていって、泣くべきところで1番いい泣き方をする。それが現役の時に上手にできなかったから、無意識のうちにずっとそれを追って練習しているってわけだ。もう何千回も何万回も見ているシーンやセリフを一つずつ辿り、自分を潜り込ませ、涙を落としてみたりする。


お芝居の世界に戻りたいかどうかは分からない。でも自分はお芝居をする人になる、という思い込みとともに歩いてきた時間が長すぎて、そういうことがクセになってる。そしてそれは、自分の何かを保つためのスイッチみたいなものでも、あったりする。

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