10月のポケットは6つ

 ベランダに繁茂しているアロエを間引く。乾いて薄茶色になった茎を折ると生々しい繊維が切れない鋏に抵抗する。手の平に収まる黒いゴムのポットに入っていたのが、大きくなり、株分けをするうちに、植木鉢8つ分ぐらいになっている。分ければもっと増えるはずだ。1つの株だった複数の身体を使えなくしたり、切り取ったりすることを、人間の身体を語ることばでは捉えられない。しかしこのアロエは病気が重かった頃の母親に買われ、種特有の生命力の強さのために度重なる乱雑な手入れを生き延びて夏ごとに青々と伸びることで、彼女の快復の象徴となっている。

 下心だけでレズアプリをやってみたり、掲示板に書き込んだりしてるが、ヘテロの男の子と多分同じような苦労をしている。何人かとやりとりをしてもう億劫だ。相手の人となりを知る手段がテキストメッセージのやりとりしかないという状況は難しい。スケベなやりとりもそれはそれで別に入り込めない。

 大型の裁断機をレンタルした。1週間でたくさんの本を切ることになる。かつて紙の本に対して無差別に持っていたフェティシズムはすっかり無くなった。本の上は洋服周辺とならんで埃が溜まりやすい。どうしても、という本は置いておくし、借りて読んだってこれは、と思えば買ったりもするのだが、色々な執着、というよりも、執着せざるを得ないことが不器用な格好良さだという信念をもう持っていない。

 前からそれなりに知っている自立生活センターに介助者として登録。研修は11月末になる。週1で夜勤の予定。不規則で虫食いだらけのスケジュールがやっと何とかなりそう。他の仕事との兼ね合いもあるが、出来そうなら週2日にしてもいい。自立生活運動について知ったのは文字通訳の仕事を始めたときだったから、随分前だ。どういうわけかその理念とは正反対に、自分が経済的に自立できていないことを思い悩んだりした。それは結局、精神的な依存の表出の形だったと思う。

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