蚊に噛まれたと言うと蚊に噛まれたって関東では言わんって知ってた?と

言ってこられることを警戒して「刺された」で行こうとするが、結局しっくりこないのでできない。

 こないだ急に暖かくなったせいか11月も終わろうというのに大きな蚊を立て続けに見るようになって、最後には噛まれた。

 太宰のなかでごくごく初期の「哀蚊」という短編が一番好きで、中学だか高校だかのときに読んだときはなんてみずみずしく美しい物語なのだ!と感動したものだが、今読むとよくこんな陰険な告発ができるものだ!と感動する。とともに、太宰が性暴力を繰り返し描いていることに、多くの作品に目を通していながらほとんど気付いていなかった10代の自分に呆れる。

 1年半ぐらい前から今まで短歌をかたくなに拒んだ期間だったのが、こんど神大短歌の機関誌のあの人は今欄に載せてもらうことになり、久し振りに連作らしきものを作った。私はもう、というか最初から最後まで、別に短歌が好きだったわけではないのだろうしもう言葉に念が籠もらない。リズムに乗って読むためのイグニションみたいなのが上手く行かなくて歌集を読む気にもなれないが、ともかく書けることを書いた。

 短歌を通して知り合えた人たちとは随分と楽しい時間を過ごしてきたけれど、短歌であれなんであれ、何かがなければその場所にうまくはまれないことは心細い。本について話す会をしようと思っていて、いずれ始めると思う。

 介護の研修で日ごとに違う人と会って、同じようなことを何度も聞かれて、ちょっとずつ違う答え方と話の流れをして、これが人との会話か、たのしいな、と思った。フリーターと言おうと大学に行っていない学生であると言おうとややこしいことを言われない安心感があり、そういうところに身を置きたかったというのもある。自立生活運動にかかわりたくて、とかなんか色んな動機を述べたような気がするし全然嘘ではないんだけど、やっぱり人と肌で触れ合いたかったんだ、と実地研修でおもった。そういえば、自粛、テレワーク、オンライン授業で人と会えなくなったことが確かにこの仕事へと自分を後押ししたのだった。

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