お下劣は優雅な復讐~ジョン・ウォーターズ『ピンク・フラミンゴ』
Filthyであること。うんこまんこちんこから殺人窃盗放火誘拐監禁強姦まで、最も下品な人間の座を巡って2つのファミリーが血で血を洗う抗争を繰り広げる悪趣味映画の金字塔……!悪趣味は道徳のゼロ度を目指し、それを美意識として全面化する。これが世界中のヨクウツを吹っ飛ばす名作であるのはそういう理由による(たぶん)。
うんこちんこまんこから殺人(以下略)まで、と書いた。前者は性道徳と公衆衛生に関わり、後者は各種の暴力に関わる。前者の解放はカーニバルであり、一般的にみて再生の契機である。そのような場で一時的に既存の秩序は転覆され、とりわけヘテロセクシズムが駆動する家父長制度には奇妙な形で歪曲が加わる。トレーラーハウスに暮らすディヴァインの母は常に幼い子供のように振る舞い、娘のコットンは兄のクラッカーが連れ込む女との「ショー」でしか興奮しない筋金入りの窃視症。敵対するコニー・マーブル&レイモンド・マーブル夫婦のセックスは足の舐め合いだし、レイモンドの方は女子高生に長大なソーセージをくくりつけたちんちんを露出するのが生き甲斐だ。
少女を誘拐して地下室に監禁して妊娠させ、赤ん坊をレズビアンのカップルに売るといった、やばい方の悪事を働いているのは、もっぱらこちらの派閥。二人はディヴァインが「世界で一番下品な人間」の称号をほしいままにしているのが気に食わず、人糞を送りつけ、トレーラーハウスに放火する。怒ったディヴァインたちは二人の住居を突き止め、家具の全てを舐め回して欲情させることでマーブル夫妻の反抗を仕向けるというわけ(ディヴァインから息子へのサイコーのフェラチオもある)。最後は二人を連行して、タブロイド紙の記者たちの前で一方的な裁判ごっこをして文字通りの公開処刑(射殺)を行ってめでたしめでたしというわけ。この映画がウケているのはこのギリギリの道徳的バランスを取っているゆえであるという気はする。
けっきょくオゲレツの称号はパブリシティによって決まってしまった。家父長的、国家的な秩序が無化されたところにトライバルな抗争関係が回帰するというのは、カルト系にくくられる映画にしばしば採用される構図であるように思う。そこだけ取ったら面白くもないのだが、しかしこれは道徳を更新するとか(多様なセクシュアリティを言祝ぐとか)あるべき(無)秩序を構想するとかいった映画ではないのだ。
オゲレツとか下品とか言っているが、filthyは汚いとか猥褻といった意味と卑劣な、不道徳な、という若干区別したほうがよさそうな意味がある。今まで書いてきた構図からすると、卑劣で不道徳な企図が卑猥で汚え連中に敗北するのだ(ディヴァインは生肉を買うと股に挟んで”味付け”し、ステーキにして家族で食べる)。彼らは警官も殺しているが、いずれの殺人も短いショットと銃の一撃で済み、汚えシーンの執拗さと対比するとき象徴的な意味しか持たないように思える。
倫理的サイテーの外にある美的サイテーへ……だから私たちは物語外でディヴァインが本物の犬のうんこを口に入れて吐き出すところを目の当たりにするのだし、パーティ場面のクライマックスでは長々とクラッカーがアナルを開いたり閉じたりするその開口部を見続けなければならないのだ。伝わりますか。
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