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日常の在り処

 締切から大幅に遅れてしまっている原稿チェックをしようとしたら肝心の原稿がない。LINEで送られてきていたのだが保存期限が切れていた。どうしてすぐにダウンロードしておかなかったんだろ。どうしていいのか分からずこれを書いている。

 「土田頁」の最終更新は昨年の夏。『もうラブソングは歌えない』というリーディング公演が終わった頃だ。その後は半沢直樹の朗読劇『黒い二人の日記帳』という作品を書いて南野陽子さんと二人で朗読したり、「駆け落ちアニバーサリー」というMONOの高橋明日香と渡辺啓太が出演した2人芝居を書いてAI・HALLで上演したりした。これは字幕サービスを体験してもらう為の試みで大変勉強になった。

 その後は何してたんだろう? 京都の自宅でNetflixばかり見ていた記憶がある。他は……MONO「アユタヤ」の台本を書いていたんだと思う。資料の本を結構読んだり。今年に入ってすぐMONOの稽古が始まり、2月後半から3月の前半まで大阪、広島、東京の三箇所で公演。お客さんは通常の半分強くらいの動員で財政的にはかなり苦しかった。しかし無事に最後まで公演できたことは何よりだった。歴史物だったので、作品の中ではコロナ との距離感に悩むこともなかったし。

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 公演が終わってすぐ「セイムタイム・ネクストイヤー」の演出だった。出演は劇団青年座の綱島郷太郎さんと小暮智美さん。これは会津若松だけで上演だったので大々的には宣伝もしなかったけれどおかげさまで大盛況のうちに終了した。(会津)若松城や白河小峯城も観られたし。

 そして京都に戻ってきた。現在は毎日家にこもって、7月にon7(オンナナ)で上演予定の「座れ、オオガミ」の台本の改訂と、10月に上演予定のピッコロ劇団への書き下ろし作品「いらないものだけ手に入る」の執筆、12月に上演する新作の構想、そして来年上演される音楽劇の資料読みなどをやっている。やることはたくさんある。しかし……あまり捗ってはいない。あまりというか……集中できていない。かといって大好きなDIYにもうつつを抜かしてないし、レザークラフトからも遠ざかっている。どうも生み出そうという気力が足りない。力が湧いてこない。気がつくとぼうっと映画なんかを観ている。

 それもこれも日常の在り処が掴めないせいだと思う。昨年、コロナの感染が拡大し始めた時、これはあくまでも緊急事態であり、やがてはそれまでに認識していた『日常』に戻るんだという感覚だった。しかし、収束が見えないまま一年以上経過した。私たちは知らない間にすっかりコロナ慣れしてしまった。例えば私は出かける時にはイヤホンをするのだが、その時だって自然とマスクを先に付けてからイヤホンをする。私のBluetoothイヤホンはコードで左右がつながっているやつなのでイヤホンを先にするとマスクのゴムと干渉するのだ。マスクを忘れて玄関を出た時など、ヘルメットをかぶらずにバイクに乗ってしまったような気分になる。すでに身体的感覚すら変化して日常の概念が変質している。もはや「今だけは」という感じではないのだ。人と会うこともほとんどなくなり、仕事以外では出かけもしない。買い物といえばAmazonばかりになってしまった。前はどうしてたんだっけ? すでに分からなくなっている。その癖、どこかで戻るはずだという期待だけはしたままだ。日常生活という踏み台がぐらついているせいで、先に向かってジャンプしたくても力が入らないのだ。



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