幼少期の話。3■受験とミュージカル

小学校6年のある日、
母から「あんた受験してみらん?」と言われた。

私が上がる中学校は姉の辛い思い出の場所。
母は可能ならばそこに行かずに別の所に行って欲しいと言った。

私は正直友達と離れる寂しさはあれど、それ以上にワクワクしていた。
受験、も、試験、も楽しみの対象でしか無かった私は母や姉のことを考えてもそれが良いのだろうと考えて、「いいよ~」と応えた。

ただ、私は小学校3年生から地域の合唱団に入っていて、その定期演奏会で行われるミュージカルの主演にも抜擢されていた。

行った先の通信制高校で仲間ができた姉は、体調が落ち着いている時は、親の心配をよそにオールでカラオケに行ったりするくらいには心身ともに安定してきており、数年ぶりに母と私の時間もとれた。

母は私が主役に抜擢されたことをよく思わない事務長とTちゃんのお母さんから「Tちゃんの方が良かったのにねぇ!」と、チクチク嫌事を言われていたようだが、他のお母さん始め、何より指揮者のO先生から
「あんたしかこの役はできん。大丈夫、胸を張れ」
と言って貰えていたから、私は夢中で楽しむことが出来ていた。
(Tちゃんママと事務長はあー言っていたけど、Tちゃんは恥ずかしいからやりたくないと言っていたのは後で本人から聞いて笑ってしまった)

だがしかし、日程である。
定期演奏会の日付は12/23(祝)、受験日は1月の下旬だった。

ちょっと受験科目が多い学校で、なんと国算社理だけでなく、技家、図、音、体まで筆記試験がある学校だった。笑

母は主教科の過去10年分の過去問と副教科の過去5年分の過去問をコピーし、分からなくてもとにかく回答する、を目標に試験時間を10分短縮した上で
とにかくとにかく過去問を解く方法を実施した。

なお私は当時習い事は週6だったので
朝起きて1回、学校から帰って1回、夜寝る前に1回
このペースで解いては分からないところを潰し、傾向と時間配分に慣れる、という言わば特訓をした。

結果、ミュージカルは大成功、受験は平均点95点以上のボーダーを見事にクリアし、どちらも満足のいく形で私は小学校の卒業式を迎えたのだった。

期待を胸にワクワクする心の中とは裏腹に、
翌年私自身がいじめに遭うなど、この時の私は知る由もなかった。

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