女性蔑視問題の根深さは 知的障害蔑視問題に似てる気がする

女性蔑視問題の根深さは
知的障害蔑視問題に似てる気がする

そうだよね、
と思ってくれる方と
飛躍しすぎ、全文読め、って
と思う人と
何パターンかはあると思うけど

森さんの擁護で全文読め、という人の根深さを改めて考えてしまいました

そういう、ところ、女性が社会の平等に立てないストーリーというのか、思考パターンというのか、そういうのが似てる気がする。


家で対価の無い仕事をし続け、対価を得ている人間に、
対価が主体となる世の中では、自分が対価をもらっている人間より下だと無意識に刷り込まれる。

自分を卑下している人間は、相手に強くでることは出来ない。
だから、丸く収まるのであれば、いくらでも理不尽を飲み込める。

これはどこの蔑視問題でも包括できる心理だったり状況だと思う。

自分を卑下するようになったはなぜなのか。
なぜ卑下しなきゃいけなくなったのか。

お金を稼がないから、労働力として数えられてないから、
とかなんだろう、きっと。

この、「金稼がない=ダメ」、って、
どっちの意見だよ、と考えてみると、
蔑視されてる方も、してる方も、どちらも、の考えなんだよね。
だから蔑視問題が成立しない。

女性問題なら 「家事も立派な仕事で対価が欲しい!」と叫ぶのは
昔なら迫害されそうなほど生意気であり得ない発言だったのかもしれないが
今となっては、家事の時給換算しよう、なんて突拍子もない発言ではなくなってきてる。

そういう意味では、この変化は「その昔」より遥かに女性蔑視が緩やかになった、といえるが
それでも、実際賃金換算されてるわけではないし、
金さえ払ってれば(妻にお金を預ければ)問題ないだろう、とか、
社会で賃金もらって働くことだけが労働という原理主義思考が絶滅したり変わることもないでしょう。
と思う。

これを、知的障がい者が、同じ意味を持って
「少々できなくてもいいじゃん、同じ対価が欲しい!」と叫ばれても
恐らく全員一致で、それはない、となるわけで、
福祉で守ってあげようとか、気の毒、とか、
妙な同情だけされて何もさせてもらえないからチャンスもなんもない。
でも、こういう蔑視されていることにも、
まあいいか、ホントに出来ないし、と、
下であることを認めたり、理不尽を飲み込む癖もついてるし、
(そもそもそれが理不尽だということも気か付かないくらいの洗脳も多いはず)
お互いの合意があると、
そもそも蔑視は存在してないじゃん、となってるパターン多いと思う。


今、社会的にホットだから、少し通じるだけで、
ヨーロッパの人達が騒いでくれて、
一瞬はちょっとだけ気を使ってくれるかもしれないけど、
その気の使い方もまた蔑視が根底にある、遠慮であり、
いつまでたっても本質にはたどり着かない、

本質は、どっちが上でどっちが下、とか関係性を決めていること、なのかな、と、関係性がそもそも蔑視の出発点だと思う。

仕事なんだから役割というのは必然的に与えられるものだけど
上か下か、なんて、関係性がはっきりしたほうが得なほうが決めたものなはず。
便宜上、関係性があったほうが楽だったりスムーズだったからそうしたはずなのに、役割より関係性だけが重要視されてる仕事ってそもそも仕事のていをなしてないと思うので、奇妙な関係性で相手を縛るのやめようよ、ってまずそこから解き放たないと、

今までさんざん飲み込んだのに、声上げないやつが悪いとか
そんな簡単に言われても、同じ気持ちにはなれない、
洗脳バリバリの環境にいる人も沢山いるわけで...

支離滅裂になってきたけど、そんな根の深さを想えば思うど、
知的障がい者への蔑視なんてなくなるわけないな、と絶望を感じてきて何が発散したくなった次第です。

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