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気付いた。あるいは、気づいてしまった。

 映画が好きだ。
 知識はない。けれど、映画が好きという気持ちだけは自信をもって「そう」と言える。

 僕にとって映画を観るということは、「好き」を積み上げるということだ。観れば観るほど、好きのストックが増える。苦手な映画はあるけれど、嫌いまでいく映画はほとんどない。

 好きを積み上げるという行為は、僕にとって生きることと等しい。
 窒息しそうな自分の日常の中で、映画は酸素ボンベになってくれる。生きるために映画を観て、生きるために本を読む。
 僕は、食べる、寝る、読む、観るで命を繋いでいる。

 その、数々積み上げてきた「好き」の中に、いくつかの特別な映画がある。今回取り上げるのは、そんな特別の中の一作だ。


キッズ・リターン(1996年公開:監督:北野武)

 僕は北野武監督の作品が大好きだ。
 暴力的で、乾いていて、けれど、その壮絶な冷たさの向こうにある、命の熱量が、いつも僕に生きる力をくれる。
 その中でも、以前取り上げたことのあるソナチネが一番特別な作品ではあるのだが、このキッズ・リターンの特別さは、それとは少し異なる。

 映画のラストシーン。名ラストとして有名なので、知っている方も多いかもしれないが、そこで行われる二人のやり取りがある。

「俺たちもう終わっちゃったのかな?」
「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」

 このセリフをどう受け取るのかは、観た人によって違うだろう。
 僕には僕の、あなたにはあなたの受け取り方があると思う。
 一番最初に観た時、少し歳をとってから観た時、僕の受け取り方は少し変わった。けれど、この段階では、まだそこまで特別というわけではなかった。

 僕にとって、この映画が大きな意味を持つようになったのは、初めて観た時から10年以上経過した後。社会人として働き始めたころだった。
 なんとなくだった。理由らしい理由はない。好きな監督の作品を、休日に観よう。そんな軽い気持ちだ。

 面白いなぁ、かっこいいなぁ。いろいろ思いながら映画を観た。
 仕事の疲れも忘れられていたように思う。
 そうして、やってきたラストシーン。
 上記のセリフが、いつもと違う刺さり方をした。

 理解、というより、気付きだと思う。映画というより、自分についての気付き。
 薄暗くなってきた部屋の中で、思う。
 どちらも合っているのだと。
 終わってもいる。
 けれど、まだ始まってもいない。
 矛盾しているような、こんな気付き。
 その意味は、自分は「普通の幸せ」を欲することをやめてしまったのだということ。

 僕にとっての、生きる価値。生きていく意味というものは、最初に映画を観た時とも、何年後に観た時とも違う。
 けれど、その答えというか、意味のようなものは分からずにいた。
 けれど、気付いた。あるいは、気付いてしまった。
 僕は、僕の欲するままの生き方をしたい。
 それが普通でなくとも、ずれていたとしても、仮に間違っているのだとしても、僕はそうやって生きていきたい。

 これは、ポジティブな気付きなんだろうか。それとも、ネガティブなあきらめなんだろうか。
 まだどちらとは言い切れない。
 けれど、あの瞬間、映画のスタッフロールを眺めながら静かに泣いた時間を、僕は永遠に忘れない。
 僕は、僕の生きたい道を行く。
 それだけは、変わらない。
 僕にとって、このキッズ・リターンという映画は、大きな気付きをくれた、大切で、特別な映画だ。 


#映画にまつわる思い出

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